第一話 猫と科学者⑦


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 動物病院に協力を要請して猫を保護し、飼い主に連絡をする。その日の内に事が済まなかったのは、保護した黒猫が恵大の受けている依頼数より多かった為だ。

 考えてみれば当然で、飼い猫を捜す人全員が恵大の事務所を訪れる訳ではない。保健所に届出をすると、猫の数と状態を不審がられ、結局、警察に事情を話す羽目に陥ってしまった。

 目の前で飼い猫を連れ去られて、追いかけた先が現場だった。

 時系列のさんな説明が警察に疑われる事はなく、恵大は住居侵入罪を免れた。現場のせいさんで奇怪な状況に、捜査に当たった刑事はへきえきとしており、厄介事を増やしてくれるなと目をつぶった節もある。

「しかし、作業員の目から隠してあったはずのケージをわざわざ引っ張り出して、まさに埋める寸前だったのでしょうか」

 それにしてもケージの扉を開ける理由はない。生き埋めが目的なら、壁裏にケージを隠したまま、しつくいふさがれるのを待つだけで達成される。

 恵大が腕組みをすると、新家明が胡座あぐらをかいた椅子を回転させてこちらを向いた。

「工事現場への差し入れを注文したのは松正さんだったのですよね」

 新家明が紙袋を開けて中身を机に並べる。粉砂糖を振ったガトーショコラと猫用の無糖カップケーキ。黒猫を見失ったびに恵大が持参した雅乃特製の菓子だ。

「はい。周囲では気が利く人と評判だったみたいです」

「差し入れのガトーショコラに粉砂糖を振り過ぎたとか、ショコラトリー長門で粉袋が失くなったなんて話が有り居りはべりいまそかり」

 何故、彼が知っているのだろう。恵大は腕を解いてうなずいた。

「雅乃さんから聞いたんですか? ガトーショコラの仕上げに使った粉砂糖の袋を紛失したそうです」

「大量注文でごった返して、納品の箱に紛れ込んだかな」

「だとして、事件と何の関係があるんです?」

「あの夜、松正さんは特定の猫を捜している様子でした。あたしの夢見がちな想像だから、ゾーイの精度には著しく及ばない世迷言ですけど」

 新家明は念入りに前置きをして右足を下ろす。

「現場のケージ周りには甘い匂いと白い粉末が散っていました。松正さんが捜していた黒猫は、粉袋にじやれて粉砂糖をかぶったのではないかな。と言うか、粉砂糖をかぶったから捜されていた説」

「砂糖ごと埋めたら蟻が湧くとか?」

「想定が残酷」

「普通、思うでしょう。じゃなかったら何ですか」

 恵大は鼻白んでけんしわを寄せた。

 新家明が椅子のキャスターを転がして本の塔のひとつに寄り、一番上の本を取る。先日も読んでいたあの絵本だ。

「黒猫を不吉とした中世ヨーロッパでは唯一の例外がありました。黒猫の胸や首に生えた白い毛はエンジェルマークと呼ばれ、幸運の象徴とされたそうです」

「付着した粉を見間違えたんですね」

「説。エンジェルマークを持った猫を壁に生き埋めにすると、迷信にける整合性が乱れます。その為、問題の猫を捜し出さなければならず、更に一度のミスが疑心を呼び、ケージを引っ張り出して他に見落としがないか確認する必要性に迫られました」

 真相は当人に聞くしかないが、充分に納得のいく話だと恵大は思った。おまけに、松正が焦って騒いでくれていたお陰で、恵大達は現場に直行出来て、ケージの発見も容易だった。としか言い表せない。

 新家明が絵本を塔のてつぺんに投げる。互い違いにずれてバランスを保つ無数の本が危なっかしく揺れて踏みとどまった。

「全く理解不能です。理屈は通っているし、松正さんは論理的思考の持ち主でした。効果の望めない迷信にリスク全振りする行為は不合理で矛盾しかない」

「……心から信じていたのではないと思います」

「信じていたのでなければ、どうして猫をさらったりしたのです?」

 心から解らないという顔が出来る新家明は、純粋なのだと恵大は思う。彼の理屈には人の醜さが計算されていない。

「嫌がらせ、かな」

 恵大は黒歴史を暴かれているかのような居たたまれなさで、菱柄のネクタイピンを無為に開閉した。

「神仏に頼ったフリをして、迷信を口実に体を動かしている間は無心になれる。猫の死体に囲まれて笑う人達を、何も知らずに馬鹿めとあざわらってりゆういんを下げる」

「相手が知らないなら無意味では?」

「知られたら、自分が不利になります」

 新家明にはさぞ奇妙おかしな事を言っているように聞こえるのだろう。

 人は、目的があって行動する。その前提が崩れると思いもしない彼こそ、合理的な人間の証明だ。恵大には彼のシンプルさがうらやましくさえある。

「動機と行動が逆さまなんですよ。欲が先にあって、それが良くないものだと自覚してるから、誰かに責められる事を恐れて一見合理的な言い訳を用意する。けど、スタートが間違っているから何処かでたんして矛盾するんです」

なぞいなあ」

「どうせ、凡人の低俗な発想です」

 今更、否定すまい。恵大は凡人だ。自己肯定感は低いのに、プライドは高い。願いは大きく現実は厳しく、義憤や風潮に便乗して正論を解放する隙を狙っている。他人の目がどうしようもなく気になって、不完全さを自覚しているからこそ我が身可愛さに先回りして見栄を張る。弱く、ずるく、その癖、非情にもなりきれない。

 悪事を働いた人には罪を認めて謝って欲しい。真相を知って納得したい。過ちを糾弾しながら、話を聞けば安易に同情して共感を探してしまう。凡にして愚かな人間である。

「思い付きで始めてみたらずるずる熱中してしまうのも、興が乗って行き過ぎてしまうのもよくある、あるあるですよ」

 恵大は半ば捨て鉢になって吐き捨てた。

 個人事務所を構え、紳士の装いと振る舞いをなぞろうと、あこがれの探偵像ははるか遠く。新家明にあきれられたところで痛くもかゆくもないと思いながらも、傷付く準備をしてしまうのだから情けない。

 ところが、新家明は目をキラキラと輝かせて言った。

「やっぱり面白い」

「何が?」

 今度は恵大が首を傾げる番である。

 新家明は口の両端を引き上げて三日月みたいな笑みを浮かべている。

 あの時の様に。

「地味に気になってるんですけど」

 恵大は思い出して、聞きそびれていた疑問を尋ねた。

「スーツのコーディネート以外、僕の何を笑ったんですか?」

 すると、新家明は白衣のそでぐちで口元を隠して、愉快げにまぶたゆるめた。

「あたしを先生なんて呼ぶからです」

「いや、学生でなくとも、教員全般は先生と呼ぶでしょう」

「学生ですよ」

 新家明は机の端をつかんで椅子を回転させ、机の抽斗ひきだしを順に開けると、最下段からカードの様なものを拾い上げた。

 彼の右手から左手に、左手から恵大に渡されたのは、瀬橋大学の学生証である。

『新家明 情報科学科二年生』

 性質たちの悪い冗談だ。

「年下!?」

「よろしく、恵大君」

 新家明がガトーショコラの包みを開ける。

 天使が降らせた粉砂糖。

 陽だまりにそびえる本の塔で、黒猫の6がニャアオと鳴いた。


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