第一話 猫と科学者③


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 パソコンの薄型モニターに簡素なウィンドウが表示される。

 恵大のスマートフォンに搭載されたブラウザの検索画面より飾り気がない。縦長の窓の中はのっぺりとしたダークグレーの空白で、底部に文字を打ち込むボックスが一行だけある。だが、それすらも枠線が薄く無反応で、非アクティブ状態だと分かった。

「ハイ、ゾーイ」

 新家明の声に応えるように、空白部に『201』と文字が浮かび上がって、テキストボックスが入力可能になった。

 システムと入れ替わりで固まってしまった恵大に、新家明が人差し指と中指を揃えてモニターを示す。

「研究室の名前は表に書いてあったでしょ。情報の集積、及び分析をする場所。これは更にその先、情報の解析──つまり、情報の構造をつまびらかにした後、論理的に原因の究明を行います」

「そのパソコンで?」

「あたしが作った生成AI『ゾーイ』です」

「せいせいえーあい……」

 恵大の苦手分野だ。不可解な存在は、目にするだけで頭を圧迫して思考能力を低下させる。

「簡単に言えば、詰め込んだ情報を一定の条件で出力するふるいです。プログラムと異なるところは、自律思考を挟むので応用が利くけど、間違える事もある。要するにちょっと人間に近い」

「機械が間違ったら危ないじゃないですか」

「単一の結果を求める作業にはプログラムを使います。それに、AIは情報を集めれば集めるほど精度が上がる。人間を超える事は理論上可能です」

 恵大とて全く知らない訳ではない。

 写真の背景から被写体以外の通行人を消したり、監視カメラで不審な動きを検知したりと既に人々の生活に広く活用されており、恵大も知らずと世話になっている事は想像に難くない。

 だが、企業の問い合わせ窓口に設置されたAIチャットは回答が何処かずれているし、閲覧履歴からのお勧め商品が琴線に触れた覚えもなかった。

しよせん、最後には人間がチェックしなくちゃいけないたたき台でしょう」

「人間は間違いを犯さないと?」

 新家明の声音が挑発的に呼吸をめる。恵大がとつに唇を結ぶと、彼は画面に向き直った。よどみないけん音がワルツのリズムを奏でる。

「集合知の偉大さを思い知り、その恩恵を受けてきたのは人間ではないのですか」

「確かに」

「情報の集積から精製されるひとしずくにどれほどの価値があるか。例えば、地形、天気、交通情報、人間の行動パターンにまつわる統計」

 新家明がテキストボックスに次々と文字を打ち込み続けている。恵大の思考はまだ出遅れたままだ。ワルツのステップは止まらない。

「監視カメラの警戒ログ、過去の類似事件、関係者のデータ」

「!」

 彫刻の様な横顔がかすかに笑みを含む。

「無尽蔵の記録を学習したゾーイが導き出す可能性は、警察の捜査をもしのぐと思いませんか? 探偵さん」

 新家明が黒目だけを動かし、モニターの端に映る恵大を見た。

「安楽椅子探偵は、情報科学の真骨頂です」

 彼とゾーイ、どちらを指しているのだろう。

 どちらでも異存しかない。

「人間を侮らないでもらえますか。情報を得たところで推理は門外漢でしょう」

「AI門外漢の貴方に是非の判断が付くので?」

「お言葉ですが、先生こそ科学を履き違えているのでは? パソコンに向かってるだけの人に白衣は不要でしょう。形から入って虚勢を張っていないと研究者として認めてもらえないのだと自白しているも同然だ」

 恵大は肩を怒らせて言い返した。勢いで言い過ぎた自覚はあったが、いらちの方がまだ大きい。

 新家明は、怒鳴り返しはしなかった。むしろ、口角を上げて笑みを広げると、白くとがった犬歯を覗かせた。

「ふふ、面白い」

「何を笑っているんですか」

えてひとつだけ言うとしたら、柄スーツに強い柄のネクタイはめた方がいいですよ。上級者でも乗りこなすのが困難なじゃじゃ馬です」

 恵大は真っ赤になって声を失った。先程発した自身の言葉がブーメランとなって舞い戻り、我が身に突き刺さる。ぐうの音も出ない。

 新家明の視線は既に前を向いて対話の文字を連ねていた。

 空白だった画面が新家明の問いとゾーイの応答で徐々に埋まっていく。

「今月に入って、市内では飼い猫のしつそう件数はわずかながら増加傾向にあるようです。前年比、前々年比で見ても多いから、季節の影響とは考え難い」

「不自然な増え方をしてるみたいな言い様ですね」

「先月まで飼い猫がいなくなっても捜す人が少なかったという解釈も出来ます」

 その方が不自然だ。

 しかし、となるとにわかに浮上するのが事件性である。

「誰かが猫をさらっている?」

「地図と地形情報、失踪した猫の自宅と行動範囲を割り出して入力します。犯人の足取りから得られる偏向は、連続犯罪では重要なかぎですからね」

「そのくらい僕だって分かります」

「でしょうね」

 だが、恵大が現実にそれらの情報を集め、地図にピンを刺して視覚化するには数日を要するだろう。悔しいが、速度ではゾーイに負ける。

(もしかして雅乃さん……俺をこの人に会わせる為に?)

 恵大の脳裏に彼女の知的な顔がよぎった時だった。

「出ました。イレギュラーな外れ値を除いて、中心点は──」

 新家明が前髪の下で数ミリ、まぶたを持ち上げる。

「ショコラトリー長門」

 恵大の頭に上った血が急速に下降して、眩暈めまいに足元がふらついた。

「雅乃さんが犯人だと言うつもりですか!」

「事実情報の分析結果です」

「人を犯人呼ばわりしておいて。ジョイとやらは便利な責任転嫁装置ですね」

「ゾーイです」

 新家明の訂正の場違いさがいやに冷酷に感じられて、恵大はこれ見よがしに身を翻した。

「不愉快だ。失礼する」

「探偵さん」

 謝罪なら聞いてやらない事もないが。

「このトラ猫は大学セバスを行動範囲にしていたから詳細なデータがあります。所謂いわゆる、外れ値ですが、赤で囲んだ辺りを捜してみるといいですよ」

 のうのうと説明する新家明に、これ以上、どう怒りを表せば良いのだろう。入り口近くに置かれたプリンターが迷い猫のポスター写真と丸の付いた地図を排出する。

「依頼の有無を超越なさってまで御親切にありがとうございます。お邪魔しました」

「どう致しまして」

 嫌味も通じない。

 恵大は力任せにドアノブをひねって廊下に飛び出した。不意にペイズリー柄のネクタイが目に入って、思い切り引き抜き、衝動で床に叩き付ける。

 首の後ろが摩擦で熱い。

 何故か、足元に黒猫が座っていた。

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