4-4 【視点は主人公へ、時間は勇者が結界を発動する前へ戻る】

 今は初夏、賢暦けんれき千二十年七月三日の丑三つ時。世界一幸福な魔法使い、サイカ・ワ・ラノが、異世界から召喚された勇者、千歳アヤメと対決した夜中の町中。


「それが、魔導書ですか……?」


一匹のヒノトリが町の上空を飛び回る中、アヤメさんはどこからか、小さな手帳のようなものを取り出した。とてもじゃないが、魔力量から考えても魔導書には見えない。


「そ。名付けて『千歳アヤメの備忘録』。女神様からもらった、正真正銘の魔導書よ。まだ書きかけなんだけどね」


「いや、書きかけの、魔導書……?」


そんなものが、魔導書として機能するはずがない。そんな小さくて薄っぺらい手帳みたいなのが……。


「ちょっとアヤ、ほんとに大丈夫なの?」


ルリさんはそう言いながら、町の冒険者たちと消火活動を続けている。さっきの警報といい、この町の人たちは魔物の襲撃への対応が迅速だ。深夜だと言うのに、火の手が広がるのをすでに食い止められている。第二次魔王城が出現した時の教訓か。それともこの町は、当時もこうして乗り切ったのだろうか。


「大丈夫! 本結界の使い方はさっきラノ君に見せてもらったし、まずはあのヒノトリを捕まえて閉じ込めないと」


「……」


確かに本結界は、敵を閉じ込めるために使うこともできる。僕の千年魔書魔炉せんねんましょまろは書庫になっているため、ヒノトリを入れてしまうと結界ごと燃えてしまう可能性が高く相性が悪い。アヤメさんの未知の本結界のほうが、捕まえるのには適している可能性がある。


「ですが、勇者様が本結界を使うのは初めてのはずです。 戦場でぶっつけ本番なんて、何が起こるか……」


「でも、あの親鳥、逃しちゃダメなんでしょ?」


「それは……」


黒金の獅子団の卵泥棒は、すでにあのヒノトリに食われたらしい。人の味を覚えた魔物は、また人を襲う。もう生きて森に帰すわけにはいかない。


「それはそうですが……」


とは言えここでヒノトリを撃ち落とせば、墜落した場所は間違いなく火の海になる。かと言って、ヒノトリを空中で消し炭にする程の火力の魔法を使えば、余波でこの町も火の海になる。


「勇者の姉ちゃん、何か秘策でもある感じかい?」


「やっちゃってください、アヤメ様!」


周りの冒険者たちが、無責任な応援を始める。どうやらアヤメさんは、この町の冒険者たちとも良い関係を築いてはいるらしい。


「……」


ここでアヤメさんが本結界を使うのを、無理にでも止めておくべきだったのか。いまだに答えは、出せていない。


言ノ葉声刃ーコトノハセイバー、セットアップ」


地面に置いた魔導書に、アヤメさんが聖剣を突き立てる。聖剣の名は言ノ葉声刃ーコトノハセイバーと言うらしい。柄の部分がマイクのようになっていて、地面に突き立てるとマイクスタンドのように見える。


「アヤメミーラ、オンステージ!」


アヤメさんが聖剣を引き抜くと同時に、魔導書のページがパラパラと捲れ上がる。地面から吹き上がった青白い魔力の光が、辺りを包んだ。


「……」


「ここが……」


気がついた時には、僕はどこかのライブ会場、その客席の前のほうにいた。振り返ると、客席には見たことのない数の人間がひしめいているのが見える。舞台上はまだ真っ暗で、誰がいるのかは見えない。でも、この空間に関する知識が、どんどん頭の中に流れ込んでくるのを感じた。いつの間にか手に持っている、これは……。


「サイリウム、というようですね」


「れ、レンさん?」


隣の席に、一昨日ファムファタール女学院で校内を案内してもらった、レンさんがいた。


「会長に様子を見て来るよう言われて来たのですが、まさか勇者の結界に召喚されることになるとは。しかもこの結界、召喚した人間の脳内に、直接記憶を流し込む特性があるようですね」


「記憶を……?」


どうやら本結界の魔法を発動した時点で、周辺にいる人への記憶操作は始まっていたらしい。そもそも僕はマイクスタンドどころか、マイクという名の異世界の道具のこともよく知らない。


「あ! 仮面の兄ちゃんだ!」


「ほんとだー!」


前の席に、昼間に町の広場で会った子どもたちがいた。


「な、何でここに……?」


「わかんなーい!」


「燃えてるおうちから出られなかったんだけど、気づいたらここにいたの!」


「そんなことが……」


子どもたちも、僕やレンさんと同じように結界の外から召喚されたようだ。他にも観客席に、町の住人や冒険者たちの姿が見える。もしかしたらこの結界の応援席に呼ばれるのは、今も生きている人だけなのかもしれない。とは言え席の後ろのほうは、人かどうかもわからない黒い影たちがサイリウムを構えている。さすがにあれは、この結界が作り出した幻だろう。


「そういえば、ルリさんは……」


そう言いかけた時、また記憶が上書きされる。


「いや、ルリさんもソラさんも、キュアソルのメンバーだったっけ」


cure⭐︎soldierキュアソルジャー。通称キュアソル。アヤメさんがリーダーを務める、今をときめくアイドルグループ。


「あ、始まりますよ、サイカさん」


レンさんに言われて、目の前の舞台を見上げる。


「彼女たちのステージ、アイドルのライブが」

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