3-3 【夜遊び延長戦】

 今は初夏、賢暦けんれき千二十年七月三日になってすぐ。世界一幸福な魔法使い、サイカ・ワ・ラノが、異世界から召喚された勇者、千歳アヤメと対決した夜の路地裏。


「戻って……来れた?」


黒い霧が晴れ、仰向けで寝転がる僕の上に馬乗りになっているアヤメさんが、辺りを見回しているのが見えた。


「どうやら、うまくいったらしいですね」


そして彼女の服は、一昨日初めて出会った時と同じように、ズタズタになった毛皮が辛うじて身体に引っかかっているような有様に変わり果てていた。つまりあの惨状は魔鎧まがいにやられたわけではく、魔王と女神の力を同時に制御した、副作用のようなものだったようだ。


「うまくいったって……何したのよ」


「これが、二度目に千年魔書魔炉せんねんましょまろに入った時に完成させた、いわゆる脱出方法です。外に置いておいた仮面と呼び出した杖を魔力で繋ぎ、そこに別の魔力をぶつけてこじ開ける。あの時は一人でしたので骨が折れましたが、今回は勇者様のお怒りをお借りしたので楽でした」


アヤメさんはしばらくの間僕を睨みつけていたが、やがて呆れたようにため息をついて首を横に振った。


「……やられたわ。のせられたってわけね」


毛皮で右腕を押さえながらよろよろと立ち上がる。僕はまだ少し帯電している仮面を拾い上げ、埃を払う。


「全部が嘘ってわけじゃないですし、騙して悪いとは思ってましたよ」


昨日アヤメさんに言われたことを、そっくりそのまま返してやった。


「っ……そう。悪いと思ってるなら、その上着貸してくれないかしら?」


アヤメさんが左腕で胸を隠しながら、僕のほうをちらりと見る。


「良いですけど……良いんですか?」


「良いって、何が?」


「……いえ、どうぞ」


僕は変な冷や汗をかく前に、パーカーを脱いで彼女に渡した。アヤメさんはそれを受け取ると、羽織るように肩に引っ掛けて前を隠した。


「ラノ君が着てるやつだから防御力高そうだし……思ったより大きいのね」


「男物ですからね」


アヤメさんはパーカーに腕を通し、余った袖をプラプラと振ってみせた。そして僕の横に腰を下ろすと、そのままぱったりと横倒しになって動かなくなった。


「……魔力、使い果たしたわ。もう一歩も動けない」


目だけを僕のほうに向けるアヤメさん。


「すぐに良くなりますよ。その服には、魔力の自然回復を促進させる素材を使ってますので」


「ふーん……便利なものね」


「ですが、魔力とは本来、使い果たしてはいけないものです。魔力を失った人間は、身体能力が著しく低下します。……つまり」


僕はアヤメさんを見下ろすようにして、杖を構えた。


「こうして動けなくなった勇者様に、容易に止めを刺すこともできる」


しかしアヤメさんは僕の話を聞いていないのか、眠そうに欠伸をしてから上半身を起こした。


「ねぇラノ君、一つ聞いても良い?」


「……なんでしょうか」


僕は杖を下ろし、彼女の言葉を待つ。


「私の全力を受け止めたさっきの魔法、いつものラノ君の魔法と比べて呪文が短かったと思うんだけど、ラノ君はそういう魔法も使えるの?」


アヤメさんが僕の目をじっと見上げる。その目は何かを見透かしているというわけではなく、単純に疑問を持った子どもが大人に質問しているような雰囲気だった。


「……ちなみに、勇者様のお考えは?」


「私?」


アヤメさんが首を傾げる。そして、少し間を置いてから続けた。


「んー……いつもみたいに魔法陣を描くんじゃなくて、ラノ君の陰? から、いきなり魔法陣が出てきたように見えたから……先に描いておいた魔法陣を召喚した、とか?」


「……」


「魔法陣召喚魔法、そういうのがあるって女神様から聞いたんだけど」


僕は思わずため息をついた。


「……女神の入れ知恵と勇者様の観察眼の前では、神秘性もへったくれもありませんね」


アヤメさんはそんな僕を見て、少し嬉しそうに笑った。


「当たり? やった」


「……まぁ良いです。勇者様のご想像通りですよ」


彼女がちゃんと魔法理論や戦術を学べば、僕など容易く凌駕してしまうだろう。それが楽しみなような怖いような、僕は少し複雑な気持ちになった。


「戦場で、悠長に魔法を唱えている暇はありませんから。非常時によく使う魔法は途中まで魔法陣を描いておいて、魔力を通せば呼び出せるようにしてあります。こんな風に」


僕は再び、アヤメさんに杖を向けた。


「ストック、ワン……リスタート」


一瞬だけアンデッド状態にしたアヤメさんに、治癒の魔法をかける。赤い光とともに、彼女の魔力が回復した。


「この赤いのってヒールだったっけ? あの魔法、魔力回復の効果もあったのね」


「これはマジカルヒールです。初めてお会いした時に使ったものよりは、魔力回復に特化したものを使っています。今の勇者様には、こちらのほうが効くでしょうから」


アヤメさんが立ち上がり、軽く伸びをした。


「ありがとう。楽になったわ」


「いいえ。ところで」


僕はアヤメさんの背後を指差す。


「ちょっと夜遊びをし過ぎたようですね。勇者様のお仲間が、お迎えにいらっしゃったようですよ」


「え?」


アヤメさんが振り返ると、そこには寝巻きの上に僧侶の上着を羽織った、見覚えのある人影があった。


「ルリ……」


アヤメさんは彼女のほうに向き直ったが、なんだかばつの悪そうな顔をしている。


「……もしかして勇者様、独断専行だったんですか?」


僕が尋ねると、アヤメさんは何も言わずに僕と視線を合わせてから、ルリさんに近づいて行く。どうやら図星のようだ。


「ルリ、この格好は、その……」


アヤメさんが、着ている僕のパーカーの裾を引っ張る。ルリさんは僕とアヤメさんを見比べるように視線を動かした後、僕のほうに歩み寄って来た。


「別に、私はアヤの邪魔をしたいわけじゃないし。アヤが選んだ人なら、私は応援する。でも」


ルリさんは僕とアヤメさんを隔てるようにして立つ。その目にはまだ、僅かだが敵意が込められている。


「アヤを泣かせたら、メッタ刺しにするから」


「……わかりました。肝に銘じておきます」


ルリさんの鋭い視線を受け止め、僕はそう返した。


「僕は勇者様の、配下ですから」


アヤメさんはそんな僕らを、どこか寂しそうに見ていた。


「あ、そうだラノ君、前から言おうと思ってたんだけど、その勇者様って言うの……」


アヤメさんが何か言いかけたその時、深夜の市街地に、時計台の鐘の音が鳴り響いた。


「え、何……?」


「これって、警報……?!」


「今のは……」


僕は一瞬だけ、不自然な明るさを見せた空を見上げる。火のついた羽が、夜空を舞っているのが見えた。


「ヒノトリ……!?」


「何でこんなところに……?」


確か、黒金の獅子団がヒノトリの卵の専売に手を出したみたいなことを、昼間喫茶店の店員が言っていた気がする。まさか採集に失敗してこの町に逃げ込んだ挙句、親鳥に尾けられてたんじゃないだろうな?


「でも……丁度良いですね」


「え?」


僕は仮面をつけ直し、杖を構える。


「黒金の獅子団の後始末……先に済ませておきましょうか」


夜遊び延長戦。今夜は眠れそうにない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る