【7/3】 現在の魔法使いと勇者のお手並み
3-1 【狼女の衣装】
今は初夏、
「ここ……どこ?」
本棚の隙間から、アヤメさんが辺りを見回しているのが見えた。僕は彼女のいるところへ歩いて行く。
「ようこそ。我が一族の書斎、
床には乱雑に本が積まれており、壁の棚や机の上にも無数の書物が所狭しと置かれている。窓はなく、明かりは壁に等間隔に掛けられた蝋燭の火のみ。一言で表すならば、本でできた迷宮といったところだ。
「……本結界って、ほんとにそのままの意味だったのね。書斎っていうか、図書館みたい」
「これは先代の趣味ですので、本に関係ない空間でも再現できますよ。さっき拝見させて頂いた、勇者様の夢のような空間でも」
勿論それは、彼女が魔導書を使って本結界の魔法を再現できればの話だ。僕に彼女の夢は再現できないし、彼女の手に僕の魔導書が渡ることもない。
「……」
この魔法は格上の相手には乗っ取られる危険性を孕む、戦場において仲間に使って欲しくない魔法第一位の代物だ。よって、僕の魔導書を貸すつもりもない。
「クルミちゃん……」
アヤメさんがぽつりと呟いた。本結界を使って、アヤメさんと再現されたクルミさんが再会することは、きっとないだろう。
「少し……ひとりにさせて」
アヤメさんが僕の横を通り過ぎていく。
「どうぞごゆっくり。この本結界に、外の時間は影響しません。ここでは肉体が成長することも老衰することもない。ここでの千年は、外での一瞬ですから」
本だらけの空間を慎重に進んでいく、そんな彼女を目で追っていると、床に積まれた本を避けようとして机の角に腿をぶつけているのが目に入った。
「っ!?」
彼女は一瞬痛そうな表情を浮かべたが、自分の不注意を悔いるようにため息を一つ吐くと、そのままその机の角に腰を下ろす。そして足をぶらぶらと揺らし、天井を見上げた。
「それも、演技ですか?」
「……」
女神の加護で、彼女の身体は痛みをあまり感じなくなっているとさっき言っていた気がするが、もしかしてそれも出任せだったのだろうか。
「千年出られない空間に閉じ込められたというのに、ずいぶんと余裕そうですね。それとも、もう諦めたんですか?」
「……そう見える?」
アヤメさんは座ったまま、首を横に振る。
「私、諦めだけは悪いから」
「そうですか」
「千年出られないとか、冷静に考えたらそんなわけないかなって。だってラノ君も一緒に来てるし」
「……」
「それにここ、ラノ君は初めて来たわけじゃなさそうだし。ラノ君なら、千年経つ前に出られる方法を知ってるってことなんじゃないかしら」
アヤメさんがクスリと笑う。人を試すようなその目。まるで一昨日の会長のような、意地悪な視線。今までの彼女は、本当に演技だったのか。
「……」
だったら僕も、手加減する必要はないはずだ。
「確かに、僕はこの書斎を利用したことがありますが……その時はちゃんと千年過ごしましたよ」
「……え?」
アヤメさんの顔から笑顔が消える。予想外の答えに驚いたのか、それとも何か別の感情か。
「一度目は事故で。二度目は故意に。合わせて二千年ですね」
「ど、どういうこと?」
アヤメさんの顔が、みるみる青ざめて行く。
「何度も何度も発狂し、我に返り、狂気と正気を繰り返し、繰り返し、ここにある数え切れないほどの本を掻き集め、読み漁り、脱出方法をひたすら探しました。でも、見つからなかった。まぁおかげで、魔法の知識は豊富になりましたが」
「……」
「千年という時間は、人を何度も狂わせるのに充分な長さです。勇者様も、まずは一度発狂してみては?」
アヤメさんは少しの間茫然としていたが、すぐに顔をぶんぶんと振って、キッと僕を睨み返した。
「そんな嘘で……私が動揺するとでも思った?」
「ええ。思っていましたよ」
「え……?」
「……ですが勇者様は、僕が思っていたよりずっと冷静で、そして脆い人でした。勇者様なんて言われてちやほやされて、きっとどんなことでも思い通りにできると思っていたことでしょう。そういう思い上がりに支配された人間は、誰にも理解されず、何も成し得ないまま終わりますよ」
「……」
アヤメさんがまたも言葉を失う。しかし今度は怒りによるものだ。彼女は立ち上がり、僕に向かって剣を構えた。
「……もう良いわ。結界の主であるあなたを倒して、ここから出る!」
アヤメさんの身体を、白い光が侵食していく。
「フェイクファー・百華繚乱・ウェアウルフ!」
彼女の声とともに、彼女の着ていた服が弾けた。
「その格好は……」
勇者というより、盗賊に近い。初めて会った時の彼女を思い起こさせる毛皮が、彼女の胸と腰回りを覆っているが、それ以外はほぼ紐だ。
「これがルリの、人狼の力。これもルリのデザインなんだけど、さっきのミイラよりはマシでしょ?」
確かに、さっきイメージで見た踊り子の衣装よりはマシかもしれない。しかしルリさんの魔法をコピーしたということは、魔王軍四天王の魔法を、女神の加護を持つ勇者の身体に纏わせていることになる。確かに彼女自身の魔力は高まっているが、魔王の力と女神の力の同時制御など、長くは持たないはずだ。
「お似合いですよ、その虚勢。そのお召し物を維持できるうちに、決着をつけましょう」
「……そうね。どうせなら、一撃が良いでしょ?」
アヤメさんの剣から放たれる光が彼女を包み、月の満ち欠けのように明滅する。
「偽装・月華・ガルルムーンサルト!」
彼女の姿が視界から消え、次の瞬間、彼女の気配は僕の真上にあった。
「せいやぁーっ!!!」
アヤメさんの身体が弓のようにしなり、僕めがけて落ちてくる。だが彼女の顔に、憎しみや恨みといった感情の気配はない。あるのはまだ、迷いと戸惑いと、少しの怒りだけだった。
「まぁでも、充分」
僕は右手を頭上に掲げ、用意しておいた魔法陣を展開した。お気に入りの杖が手元に現れる。そしてアヤメさんの剣が魔法陣に触れた直後、結界全体が歪む。
「なっ……?!」
僕の杖と、外に置いてきた仮面の魔力が繋がる。
「僕の勝ちだ。ストック、スリー……リスタート」
壁に掛けられた蝋燭の火が全て消え、僕たちは、赤黒い光の中に消えた。
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