2-10 【ミイラ女の衣装】

「……見たんでしょ? 私の、夢」


僕はもう一度、さっき見たイメージを思い出す。あれは勇者というより、踊り子の姿に近い。格好も、細い布を身体に巻きつけただけのような露出度の高いものだった。


「勇者様がわざと見せたのかと思いました。違うんですか?」


「違うから! 女神様に見られた時と同じ感じだったから、もしかしてと思っただけ。そっか……見られちゃったか……」


アヤメさんの声が段々と小さくなっていく。


「確かにあの装備なら、女神様の加護を限界まで活かせると思いますよ。勇者様が恥ずかしくなければ」


「……ラノ君って意地悪よね」


女神の加護と思われる勇者のチャームは、身体の表面から発せられる魔力を使う。会長の時のように素肌を見せる面積を増やすことで、その効果は強くなる。


「……やっぱりあの格好、人前で披露するものじゃなかったんですね。つまりあれは、勇者様の妄想?」


「メンバーみんなの! 夢だったの。あの時は半分冗談のつもりで衣装とか色々考えてたけど、それでもドームは私たちにとって目標で、絶対に叶えたい夢だった。みんなが、応援してくれてたから」


アヤメさんの剣が、少し寂しげに煌めいた。


「それが、私が勇者に選ばれた理由なんだって。私には、みんなの応援を力に変えられる資質があるって、女神様が言ってた」


他者の応援を力に変える資質……。応援している人間の、魔力の流れや勢いを利用する感じだろうか……? それとも、魔法では解明できない神の力か……。


「だからって、あの格好はちょっと」


「今その話してない!」


「……すみません」


「とにかく! そろそろ振り下ろすけど、場所を変える魔法は使わなくて良いの?」


彼女が構える剣から、また魔力が溢れ出す。今度は僕の魔力とぶつかり合うのではなく、彼女の両腕にまとわりついていく。


「うーん……」


アヤメさんはさっきから、僕に炉心象形ろしんしょうけいの魔法を使ってほしがっているように思える。わざわざ深夜の市街地で、僕を襲ったのもそれが理由なのだろうか。


「……」


彼女の性格からして、町の人に迷惑をかけるのを良しとはしないはず。町での応戦に戦い辛さを感じて、僕が本結界を使うのを待っているのだとしたら、その目的は一体何なのだろう。


「え……?」


僕は杖を地面に置いた。僕が今ここで本結界を使えばどうなるだろうか。彼女がそれを目にすれば、きっと一目で覚えてしまうことだろう。そしてそれを、彼女がアレンジするとしたら。


「こ、降参ってこと……?」


「いいえ。勇者様、さっきの夢を本結界で再現して、どうするおつもりですか?」


「っ!」


図星だったのか、アヤメさんがギクリと肩を強張らせる。彼女が何をしたいのか、僕はようやく察しがついた。容疑がどうとか言って襲いかかってきたけど、やっぱりそれだけじゃない。


「それは……」


僕はさっきのイメージに出てきた、大勢の観衆の姿を思い出す。その中でも、最前列で一際鮮明に映っていた人影。


「クルミさんに、会うつもりですか?」


「……っ!?」


アヤメさんの手から剣が落ち、カランと乾いた音を立てた。二人目の魔王を倒すために召喚された勇者パーティーの一人で、四天王との戦いで命を落としたであろうアヤメさんの戦友、クルミさん。確かにあの空間でなら、死者に会うこともできるだろう。


「魔導書は、使用者の資質に応じてその空間を作り変えます。勇者様の資質が、他者の応援を力に変える力なのであれば、かつて勇者様を応援してくれていたであろうクルミさんも、きっとイメージ通り再現されることでしょう」


「……」


「ですが勿論、それは本物のクルミさんではありません。それこそあなたが作り出した、都合の良い操り人形でしかない」


「……それでも、私は」


アヤメさんは剣を拾おうともせず、自分の両肩を抱く。


「それでも私は、クルミちゃんに会いたい。会って謝りたい」


「そうですか……きっと慰めてくれるでしょうね。それは都合の良い、操り人形ですから」


「……そんなことない。クルミちゃんは、私が弱気になってる時いつも叱ってくれた」


叱ってくれた……?


「私、この世界に来るまで知らなかったわ。友達に叱られてる時が、一番幸せな時もあるんだって」


その表情は切なげで、しかし同時に満足気だった。そしてそれは僕にはまだ、理解できない感想だった。


「そう、ですか……」


「クルミちゃんのためとかじゃなくて、私は……私は前に、進まなきゃいけない」


彼女の肩が小さく震えている。その目は潤んでいるものの、涙はまだ零れていなかった。勇者としての重圧も、戦友を失う絶望も、彼女はまだ乗り越えられてはいない。そう簡単に、乗り越えられるものではない。僕だってまだなんだ。


(ワスレルナヨ)


また、幻聴。これは……父さんの声か……?


(ワスレるなよ、サイカ。男が女の子を泣かせたら、ゲームオーバーだ)


(げーむおーばー?)


小さかったころの、自分の声まで聞こえてくる。あのころの僕はまだ、世界一幸福な魔法使いではなかった。


(そうだ。女の子をあやすことを楽しめる男になれ。泣いて良いのは、強くならなきゃいけないやつだけだ)


(えーなんでー? 女の子が強くなっても良いじゃん)


(それもそうだな……。強くなりたい女の子もいるもんな、母さんみたいに)


「……」


(じゃあ、どーするの?)


(そうだな……。その子に聞イテミロ。強クナル、覚悟ガアルカ)


「覚悟……?」


そんなこと、父さんは言っていただろうか。記憶が混濁している。どうやら僕も、疲れているようだ。


「……覚悟」


アヤメさんの声に我に返る。


「……そう、覚悟です。過去を乗り越えるということは、後戻りできなくなるということ。次のステージへ進む覚悟、あなたはできていますか?」


「次の、ステージ……」


アヤメさんは自分の両手をじっと見つめる。そしてその手を、ぎゅっと握りしめた。


「大丈夫。私は勇者だから」


力なく笑うその目は、もう乾いていた。その悲しみを流すにはまだ至らなかったようだ。だが、限界は近い。


「……勇者様の、意志のままに」


僕は仮面を外し、杖の上に置いた。こういうハイリスクな魔法をアヤメさんに使えるようになってほしくはないが、そもそもこの魔法は魔導書がなければ使えない。僕が持っている魔導書さえ死守すれば、彼女がこの魔法を使うこともないだろう。今見てそれで気が済むのなら、見せるだけ見せておけば良い。それでミッションコンプリートだ。


「サイコーヒストリア・レディ」


僕は、一冊の魔導書を呼び出した。


「それが魔導書?」


「はい。この本は、我が敬愛する大魔法使い、サイカ・ワ系初代魔導師、サイコー様が我に授けた、至上の本。これよりその炉心を、ご覧に入れましょう」


魔導書から、赤黒い霧が立ち上る。それが辺りの暗がりと混ざり合うと、周りの景色がみるみる色褪せていく。


「セット・黄泉戸喫よもつへぐい炉心象形ろしんしょうけい明窓浄机めいそうじょうき・スタンバイ」


僕とアヤメさんの足元に、それぞれ巨大な本の形をした魔力が開く。


「あ、それから。この本結界は一度入ると千年出られませんので、そのおつもりで」


「え?」


「サイカ・ワ系ステージセレクト、千年魔書魔炉せんねんましょまろ


足元の本が閉じ、僕たちは本の中に消えた。

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