第52話

ある日の夕方、蓮は決心した。


花屋に寄って一つの花を選び花束にしてもらう。こんな未練たらしい男で最後までいるなんて彼女にはやっぱり自分は勿体ない男だった。


それでも愛されて幸せだった。


彼女にまだ愛されていたい、でもそれ以上に彼女に幸せになってもらいたい。


花束を受け取って家路に着いた。


帰るともう美月が夕食を作っている。


「おかえり、どうしたのこんな花束、綺麗だね、でも今日何かあったっけ」


言わなければ、いけない。

その言葉は花束を手渡すと同時に何とか出てきた。


「美月、これまでありがとう。幸せだった。今でも愛してる。それでも僕は貴女の幸せを幸せと思う人だ。だから、」


ーーだから、僕と別れよう。


美月は自分が何を言ったのか分からないような顔をした。そうか、まだ君は気付いていないんだね。



「美月、君はもう僕のことを見ていない。愛してるからこそ僕はこの手を離すよ。


ーー君が今見ているのは君の先輩だ。君が追いかけていたいのは、超していきたいのは、そしてそのためにどんな努力でも惜しまないと思えるのは、もう僕のためじゃない。


これは僕の自己満足だ。それでも君には世界で一番幸せになってほしい。誰より幸せになって欲しい。


君なら絶対に彼に追いつける、彼に見てもらえる時が来る。


だから、だからもう僕のことはいいんだ。


幸せだった、一生分の幸せを貰った。


君を追いかけてきて僕が幸せだったんだ。そして君が気付いていないとしても僕は君に気付いてもっと幸せになって欲しいんだ。それが僕の幸せだから。


だからごめん、別れよう」



美月は聞いているうちに涙を流し始めた。

この一時の不幸せを経験させてしまったことにまた後悔がつのる。それでも僕はこの手を離さなければいけない。


「私、私蓮が好きなはず、なのに、蓮から見たらもう私が好きなのは蓮じゃないの?」



「うん、そうだ。僕は君を愛してる。


だから君より先に気付いた。気付かせることが本当に幸せなことなのか何日もかけて考えた、それでも僕と離れるのが、僕から解放されるのが君の幸せだ」


「違う、私の幸せは蓮といることで、私の幸せは帰ってくる場所があることで、そのはずで、別れるなんて、だってまだ蓮は私のことを好きでいてくれてるのに、愛してくれてるのにそんなこと、」



ほら、気付いたんだろう。ほら、君が今持っているのは罪悪感と未練であって愛じゃない。



しばらくの沈黙が続いた後にゆっくりと言った。


「……僕は君を愛してる。出来ることならもう一度愛して欲しい。……でもそれよりも君の幸せが僕の幸せだ、これは変わらない」



ゆっくりと美月の左手の薬指から指輪を抜いた。そのまま抱きしめるようにしてネックレスを外して机に置いた。その手を離すのは自分でも怖かった。



「もう気付いたんだろう、行っておいで。僕は一生君の味方だ」



ごめんなさい、ありがとうと言って外に出た美月を見てこれで良かったんだと心に言い聞かせた。机の上に残った指輪とネックレスを見て、1人になってしまえば驚くほどに広すぎる部屋を見て、机に肘をついて一人で泣いた。



置き去りにされた花束は黄色の水仙だった。その花言葉は"もう一度僕を愛して欲しい"。

"別れる男に花を教えておきなさい、その花はまた咲くから"なんて言葉に頼ってしまった。


僕はなんて未練たらしい男なんだろう。

貴女を手放すと決めて、それでもまだ貴女に見られていたいと思っている。


そのまま荷物をまとめて家を出た。

折半してあった家賃と次の部屋を探すまでに十分なくらいのお金を置いておいた。

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