第20話

 強い衝撃を食らって空をクルクル回りながら飛んでいく。少し頑張れば、このまま空の星に手が届いたりしないだろうか。


 そんな幻想を抱くくらいにはふざけているが、内臓にもかなりのダメージが入り、口や鼻からは鉄臭い血の匂いが充満して気分も悪くなる。


 揺らぐ視界には、こちらを倒したと思って余裕綽々な姿を見せる赤と白の甲羅のバカデカい蟹坊主が、ゆっくりとした動きで水の中に戻ろうと方向転換をしていた。





――――舐めんじゃねぇぞ、カニ野郎がッ!!!





 痛む全身を無理矢理動かして、空中で姿勢を制御し回転の方向も整える。


 既にアイツの視界には俺の姿が写っていない。従って、ヤツに『俺の攻撃を避ける隙』は生まれない。


 身体に回転の力と、高空から落ちる力を重ね合わせて、火事場の馬鹿力も上乗せして腕に力を込め続けていく。


 向こうが『甲殻』と『体格』と『タフネス』で三段重ねの防御力を成立させているというのなら、こちらも三種の力を使ってその防御をブチ抜く!


 全身の力を一点に込め、流星のように加速しながら身体に捻りを加えて腕を思いっきり振り回す。








――――――そして、遂にその瞬間が訪れた。









「――――ぶっ壊れろォォォォォッ!!!」












 高空から打ち下ろすように振り抜かれた右腕が握り拳をカニの甲羅にブチ当てて、物凄い衝突音と共にその甲羅が一瞬でヒビ割れる。


 遅れて、ヒビ割れたカニの甲羅が陥没し、最後にカニの口から『ギュッ』という謎の声を発生させて、目が大きく飛び出した。


 そしてそのまま力無く崩れ落ちる巨大蟹坊主。流石に脳天近くで甲羅諸共潰すような打撃を食らったら、耐えられるわけもなく力尽きたようだ。


「ッ、ハァァァァ…………めちゃくちゃイテェなぁ」


 ただ、流石に無茶し過ぎて右腕が痛い。かなりジンジンしていてちょっと感覚が麻痺しているが、まぁ無理矢理動かせなくもないので気にしなくていいだろう。


「……さて、コイツはどうやって運ぶかね?」


 身一つで来ていた俺のパワーなら持ち上げられなくもないだろうが、流石にこれは回収車に載せられるサイズを超えている。


 何せ、縦にも横にもデカいカニなのだ。脚を切り分けてもその太さと長さで入らないのが一目瞭然だし、甲羅の部分に至っては四分割、いや八分割はしないと多分入りそうにない。


 第一、こんな山奥寄りの場所でバラしたら持って帰るのに何周する必要があるかもわからない。


「……やっぱ、俺が持ってくしか無いんだよな?」


 グシャグシャになった背中の甲羅から飛び降りて見返すが、下手な戸建て住宅よりデカいカニを担いで川下りとか、苦行を超えてて被虐主義者も裸足で逃げ出すぞ。





「…………いや、ワンチャン浮かぶか?」





 試しにデカい蟹坊主を川の水にグイッと押し込んで落としてみるが、力が抜けて軽くなっているのかプカプカと水面に浮かび上がる。


 脚やハサミが引っ掛かりそうだとは思うが、担いで運ぶよりは大分楽になるだろう。このままカニに乗って川下りと洒落込むとするか。



















 誰もいない川のど真ん中を、巨大なカニの甲羅に乗ってどんぶらこっこと突き進む。


 ここの川は中心が深く、三角州のような浮島になる部分がない。正確に言うと、昔はあったらしいが妖魔によって更地にされたそうだ。


 ただ、そのお陰でカニ運びの作業が非常に楽になったのは凄く有り難かった。名も知らぬ妖魔には感謝の念を送るとしよう。


「……お、見えてきた見えてきた」


 近くに放棄されていたトラロープをお借りして、カニの脚を頑張って縛って持ち上げていた俺は、漸く目的の建物が見えてきてホッと一息つくことができた。



 そこにあるのは、研究所の東入口。基本的に使われることの無い場所で、緊急時にしか回収車も通行する事がない。


 だが、そのお陰で今回のバカデカいカニを運ぶのが楽になった。もし回収車が多く通行していたら、運び込む間に渋滞を引き起こしてしまっただろう。


「よっ、と! やっぱこのサイズはしんどいな!」


 岸辺に寄せた蟹坊主の身体を、河原から更に引っ張って一息で持ち上げる。


 背中側を割ったせいで持ち上げるのがとても難しくなってしまったのは反省点かもしれない。いや、こうでもしなければ倒せなかったから言ったところで無駄なんだが。


 身体を前屈みにし、トラロープを掴んで背負うように蟹坊主の巨体を持ち上げて、ゆっくりと研究所の東入口に向かって歩いていく。


 幸いにも、急遽東入口を使うことになった回収車もいないらしく、また正門側にも全然回収車が来ていなかった。


 コレはある意味ラッキーだ。こんなに大きいカニを運ぶと、ついうっかり脚の端っこで他のものを壊してしまうかもしれなかったから、そういうものが無いのは非常に有り難かった。


「……これ、ここの回収部屋使っていいのか?」


 東入口にあるのは緊急時の回収部屋。確か、生け捕りにした妖魔を中に入れるための部屋で、死骸を中に入れる部屋では無かったと思う。


 まぁ、デカい妖魔だし通常ルートで入れる方が難しいだろうから、今回は別にこっちの部屋を使っても問題無いだろう。


 開きっぱなしの回収部屋の入口付近で立ち止まると、重くのしかかっていた背中の蟹坊主を降ろして、そのまま蹴っ飛ばすように部屋の中へと放り込む。


「よし! 後は、下に送り込めば終わりだな!」


 確か、聞いた話だと入口横にスイッチがあるってことだったが…………


 そう思って右手側を見てみると、あからさまなパネルが堂々とその姿を晒しており、何処からどう見てもそれがそのスイッチであると思いっきり主張していた。


「わかりやすくて助かるねぇ、っと」


 パネル上の下矢印キーを押し込めば、あっという間にゲートが閉じて部屋の中のエレベーターが動き出し、大きな蟹坊主の死体を乗せた回収部屋はすぐに研究所内へと降りていく。


 これで、今日の仕事の山場は越えたと言ってもいいだろう。アイツ以上の大物と戦う事なんて早々無いとも思うしな。


「しっかし、硬い相手の攻略法も考えた方がいいのかもしれねぇなぁ……」


 じんわりと痛む身体を軽く抑えつつも、今回の反省点を素直に振り返る。


 改めて思ったが、喧嘩殺法で通用しない相手というのは案外多い。今回のように硬い相手だとただ単に殴るだけでは傷すら付かないし、余程の無茶をしなければ乱雑な攻撃ではダメージさえ与えられない。


 とはいえ、俺も武術や武道、格闘技に詳しいというわけでもないし、参考資料なんて何を見たらいいのか検討もつかない。


…………こういう時はマミペディアだな。先輩に聞いたら、きっと何かしら良い案とか情報とかを教えてくれるだろう。



「ま、今日はとっとと帰るか。思ったより時間も掛かっちまったしな」



 既に時計の針は深夜の三時か四時くらいになってきているだろうか。徐々に日も昇り始めるだろうし、痛む身体も休ませなければ明日に響く。


 明日の飯は……まぁ、起きた時にコンビニで何か買ってけばいいか。最近は自炊してねぇけど、そもそもする余裕すらないからなぁ。


 誰もいない夜の道を、たった一人でゆっくりと散歩するように歩いていく。今日は久々に疲れたと思える日だった。


















……翌朝、研究所でエラい騒ぎがあったと班長から聞かされたが、その時の俺は所詮他人事だと気にも止めずに二度寝をかましていた。

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