第19話

 蟹坊主がいるんじゃないかと思って上流に来たはいいが、どうやら俺はとんでもない勘違いをしていたらしい。


「……一匹も稚ガニ共が見当たらねぇんだが?」


 山間の渓流には親蟹どころか稚ガニすら居らず、大きな岩が川の流れを受けて飛沫を弾かせる音しか聞こえないくらいに、その川辺は静寂を極めていた。


 折角、それなりに長い時間を掛けて歩いてきたというのに、今回はタダの散歩で終わってしまいそうだ。


 久々にやらかしたなと思いつつ、誰もいない川辺の岩の上に飛び乗って座り込み、そのまま空に浮かぶ星を眺める。


「いい夜だな。こういう夜にはなんか面白い出会いがあったりしてもいいもんだが……」


 思えば、こうして当たりをつけて外したのはいつ以来だったか。


 昔は当たりをつければ大なり小なりの結果を得ていて、失敗と呼べるようなものは殆ど無かった。


 たまに酷い目に遭うこともあったが、それでも最終的には良い結果になっていたし、こうして空振りするのは幾久しいと言ってもいいくらいだな。


「しかし、この岩もかなり邪魔だな……」


 渓流のど真ん中で隆起した白っぽい岩。明らかに川の流れを大分遮っているのだが……まぁ、天然の岩が川のど真ん中に佇んでいると考えたら悪くはないか。


 それにしても、この岩だけ他の岩より色が明るいんだよな。軽く蹴ってみたけど、なんか音も軽いような気がするし……





――――と、そんな事を考えながらかかとで岩を蹴っていると、急に自分の座る岩が激しく揺れ始める。





「お、おぉぉぉぉ!?」





 あまりの揺れに思わず岩を蹴っ飛ばして河原に戻ったが、その間にも岩は水面から大きく隆起し始めており、水面は大きく乱れていく。


 そして、俺は自分の当たりが色々な意味で間違っていなかったのだと確証した。




 白い岩だと思っていたそれは、出っ張っていた甲羅の一部。俺が蹴ったことで目を覚ましたソイツは、自分の脚で堂々と立ち上がり、その両手を大きく上に掲げていた。


「まさか、親蟹の甲羅に座っちまってたとはなぁ……」


 それは、大きさにして30mは余裕で超えている超巨大な逞しいカニ。何処ぞのカニ料理の店で看板も務められそうなバカデカいカニが、機嫌悪そうにハサミを振り上げてこちらを威嚇している。


 まぁ、自分の甲羅を散々蹴っ飛ばした相手にいい感情は抱かないだろう。俺だったら威嚇するより先に手か足が出るだろうけどな。



「って、そんな事考えてる場合じゃねぇ!?」



 振り上げられたハサミが振り下ろされ、直ぐ様飛び退いた場所に深々と突き刺さる。


 まるでショベルカーのショベルのようにも見えてしまう巨大なハサミにより、河原の石は砕け潰され地面には大穴が空いていた。


 というか、ハサミも脚も太過ぎる。先端部分でもその直径は大型トラックのタイヤくらいはあり、太い部分では大の大人が何十人か手を繋がないと囲むことすら出来ない程。


 そして、ハサミの大きさは特に際立っており、今まで倒してきた妖魔が可愛く見える程の威圧感を漂わせている。


「おわっ!? ちょっ!? ぶんまわしてんじゃねぇって!?」


 そんなハサミをブンブン振り回してこちらを叩き潰そうとしてくる巨大ガニ。蟹坊主の親玉だからデカいだろうとは思っていたが、このデカさと逞しさは完全に想定外だ。


 あまりにも太過ぎるハサミを避けつつ、深く刺さって抜けにくくなっているタイミングでカウンターのように思いっきり蹴っ飛ばしてやる。


 だが、流石に頑丈な甲殻をしているだけはあり、蹴っ飛ばしたところでヒビすらまともに入りはしない。


「やっぱ顔面狙うしかねぇか!?」


 取り敢えず、落ちている石を適当に拾い上げては、それを顔狙いで素早く投擲して只管邪魔をしてやる。


 パァン、パァンと発砲音のような音と共に砕け散る河原の石。拳大の石が弾丸のように飛んで直撃している筈なのに、全く怯む様子を見せないのは当然と言うべきなんだろうか。


 ただ、流石に煩わしくなってきたのか振り回していたハサミを顔の前に持ってきて、それを盾にしながらこちらに向かい突き進んでくる。


 デカいカニの身体はぱっと見でわかるほどの重量級であり、それが地面スレスレを己の甲羅で削るように迫ってきているのだ。


 轢かれれば間違いなく重傷は不可避。昔、怨恨でヤクザ崩れに軽トラで突っ込まれた事があったが、その時とは比較にならない事になるのは容易に想像出来る。


 タイミングを見計らい、ギリギリを狙って横跳びで突進を躱し、通り過ぎようとしている大きな脚に頭程の大きな石を両手で投げつける。



「そりゃ、そこらの石じゃこうなるよな!」



 呆気なく砕け散った石を見て思わず口角が上がるのを感じる。


 こういう相手と戦うのはヤバいという理性を、そんなん関係ねぇ! と騒ぎ立てる闘争本能が捻じ伏せていく。


 どちらにしろ、コイツを野放しにしたら尋常じゃない被害が出るのは明白。それならば、起こした責任をしっかりと取って、コイツをブッ倒して研究所送りにしてやるしかない。


「シチューにカツ、だっけな! 忘れたけど、こうなりゃ壊れるまでぶん殴るしかねぇよな!」


 シチューにカツって合うんだろうか? 多分意味が違うんだろうが、考える暇は捨てて真っ直ぐ殴りに突っ走る。


 振り返りつつあったカニの脚に飛び蹴りをかましつつ、反動で飛び退く形になってからもう一度飛び掛かるように殴りつける。


「――――っ! かってぇなぁっ!?」


 ガツンガツンと両腕を振り抜くが、あまりの硬さに顔をしかめそうになる。普通の瓦で瓦割りした時もこんな感じになったが、あの時も結局力技でどうにかぶっ壊していたな。


 鬱陶しさを感じたのか振り下ろされるハサミや脚。それを掻い潜って素早く動き回り、動きを止めている脚を殴打しながらついでに下っ腹にもアッパーを何度かブチ込んでやる。


 しかし、デカい身体に分厚い甲殻。そして妖魔のタフネスという要素の三段重ねもあって、全くダメージが入っている気がしない。


 というか、他にも武器が欲しいと考えておいてなんだが、この硬さじゃ何を使ったって先に武器がぶっ壊れるような気がしてきた。



「やっぱ素手が最強なんだよなぁッ!!!」



 かなり高くて狙い辛いが、他と比べて脆いであろう関節部分を狙って飛び蹴りを叩き込む。


 すると、他の殻の部分よりはしっかりとした手応えを感じ、巨大蟹坊主自体も嫌がる素振りを見せてより激しく暴れ始めた。


 ここが開けた渓流の河原だったから良かったが、もし市街地でコイツと戦うことになったらとんでもない被害が出ていただろう。



「オラオラオラオラオラァッ!!!」



 時には甲羅の上に飛び乗り、嫌がらせのようにその分厚い甲羅に向かって何十発もの連続パンチを繰り出し、振り払おうとしたら素早く脚を蹴り抜いて離脱する。


 そのような戦いでジワジワと蟹坊主のスタミナを削ろうと思っていたが、正直に言うと全体的に手応えが少な過ぎて俺のスタミナが先に尽きそうな気がしてきた。


 と、少し注意散漫になっていたのが悪かったのだろう。渓流の際にある大きな石に足を乗せていたら、その石がズレて体勢が少し崩れてしまう。


 そんな僅かな隙が最大のミス。動きが少し鈍った瞬間に、ヤツの大きなハサミが最大限開かれて、こちらの身体をぶった切ろうと真っ直ぐ迫ってくる。




「うぉぉぉっ!?」




 思わず伸ばした両腕がハサミを掴み、どうにか自分の身体が両断されそうになるのを防ぐ。


 が、圧倒的サイズ差でしかも挟むことに関しては相手の得意分野。自慢の馬鹿力でどうにか抑えているが、その握力の凄まじさに腕が折れそうになる。


…………というか、なんで挟もうとしてきているテメェ自身が驚いてんだよ。


 何とも言えないが、その姿になんか腹が立ってきたので馬鹿力に『火事場』の三文字を付け加えてより一層強くハサミを押し出していく。


 メキメキ、ミキミキと音を立て始めるハサミ。流石にこれ以上はマズいと判断したのか、挟もうとしてくるハサミの力が少し緩んだ…………







「――――――ンガッハッ!?」







 その瞬間、頭上から落ちてきたもう片方のハサミ。先端部分では当たらないと察したのか、横にした状態で落ちてきたハサミが俺の頭を強く打つ。


 飛びそうになる意識を無理矢理繋ぎ止め、再び力の入り始めたハサミを抑え続け、鼻の中で臭う血の香りにむせそうになる。


 だが、強く掴んだハサミはこちらを断ち切るのではなく、そのまま俺の体を持ち上げていき、そしてそのまま力一杯地面に振り下ろされた。




「グガッ!? ゴアッ!?」




 ズドン、ズドンと衝撃音が響く度、俺の足を介して尋常じゃない衝撃が内臓を揺らす。


 あのバカデカいハサミで地面を叩いているのだ。衝撃の一部をハサミに逃がしているとは言え、足が折れずに耐えているだけ奇跡に近い。


 ただ、焦れったくなった蟹坊主はそのまま俺を空に向かって高く持ち上げて…………





「うぉっ―――――――ッガァッ!?」






 力を抜かれてすっぽ抜けた俺は、反対のハサミによるアッパーを食らって、空高く打ち上げられた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る