第16話
山から下りて近くに停まっていた回収車の荷台に巨大蚕の妖魔を詰め込むと、そのまま次の場所に向かって商店街の中を通る。
「流石に人っ子一人いやしねぇ、か」
最近起きている行方不明者の動向を調査して、昼夜問わず繁華街と商店街の付近で、その被害者達の消息が絶たれている事を研究所は特定した。
そしてその研究所の捜査を元に、何度か該当地域を調査していた部隊の一部も消息を絶ったことで、明確な位置こそ不明だが、その地域に何かしらの妖魔が潜んでいることまで断定するに至っている。
ただ、そこから先が手詰まりとなっていた。理由としては単純で、そうして送り出した部隊が未帰還となることが多かったからである。
地域もわかっているし、何かしらの妖魔がいることも断定出来ている。だが、その正体だけが未だに定かとなっていない。
そこで、研究所は新しく開発された術符を使って周辺エリアに設置。拘束効果のあるこの術符は、最近封縛したAクラス妖魔関係の素材を使った特注品らしく、日中の間に仕掛けた箇所を見回るのが今回の仕事になるらしい。
効果はかなり強いものであるらしく、まだ正体こそ不明なものの仮定でBクラスとしたその妖魔くらいならば、試算では動きを一時的に抑えることも可能。
それを何十箇所と設置しているので、迂闊に動いたその妖魔を捉える事も可能だと判断したらしい。
「……なんか、失敗する気しかしねぇんだよな」
さっきの妖魔の件もあって、イマイチ研究所の自信というものに不信感を抱いてしまっている。
いやまぁ、別に何であろうと殴って蹴っ飛ばしてボコれば、大体の妖魔は討滅できるわけなんだが。
「研究所の術符は期待しない方がいいな……」
誰もいない商店街をゆっくりと歩き、妖魔が潜んでいそうな裏路地へ入り込む。
確か、ここの路地には古いコインランドリーがあって、昔は犯罪者が色々と証拠隠滅のアレヤコレヤをしていたとかいないとか、そんな噂が流れていたと聞く。
そういう曰く付きや悪い噂のある場所には、影人のような霊体に近い妖魔が集まりやすいのだと、真宮先輩からそう聞いている。
今回の誘拐犯の妖魔も、恐らく性質としてはそう言った霊体系の妖魔に近いのだろう。他ならぬ影人がそういう類なのだし、潜伏先としてここまで相応しいところはない。
研究所がここの調査をしないのは……まぁ、あからさま過ぎるってのはあるだろうな。
「さて、中に入るべきか否か……っと」
雑に取り出したゲーセンのメダルを指で弾き、落ちてきたタイミングでそれを右手で掴み取る。
開いた手の上には表面を上にしたメダル。それじゃ、今回は中に入る方向で動くとしよう。
人気の欠片もないコインランドリーの引き戸を横に開ける。自動ドアじゃない辺り、古さとかそういった要素を感じるな。
「……ま、流石に何も動いちゃいねぇわな」
外から見た時点でわかっていたが、廃墟と見間違う程の古びたコインランドリーに使用された後は見当たらない。
犯罪者とて自分の命が惜しいから、こんな曰く付きなヤバい場所は最早誰も使うことは無いのだ。
「ここはハズレかねぇ……次の場所に行くか」
――――そう思って振り返った俺の視界は、瞬く間に赤く輝く黒い闇に飲み込まれた。
ソレは、元はこの世界に住まうものではなかった。
世界と世界の狭間を微睡むように漂い、時折思い出したかのように他の世界に潜り込んでは、気ままに取り込んだものを虚空に落とす。
己の身体に虚空を有する異形は、今回も寝床に侵入した不届き者を一呑みで虚空の中に追放した。
これで、まだここでゆっくりと眠ることができる。世界の狭間で揺蕩うのも疲れるものだから、少しくらい長居してもいいだろう。
そう考えていた異形。だが、そのほんの僅かな欲が最大級の失策を引き起こすことになった。
――――――ボゴンッ!!!!!
突如として、黒い異形の身体が内側から外側に向かって突き出すように伸び始める。
最初の一度が始まれば、そこからは二度三度と四方八方に異形の身体が引き伸ばされ、異形の表面で動いていた白目の無い赤い瞳が血を流す。
混乱する異形の体内は何も見えない暗黒の空間。寄生虫のようなものは多少いるかもしれないが、それを加味したとしても脱出は不可能で、実際それを成し得た者を異形は知らなかった。
知らなかったが、己の身体が限界を迎えようとした瞬間に、初めてその時が訪れたのだと悟ることは出来た。
――――ボシュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!!
「――――アァ〜……こりゃたまげたなぁ」
まるで風船から空気が抜けるかのように、破れた身体から妖気と瘴気の混合物を撒き散らした異形は、そのまま力無くコインランドリーの床にペシャリと潰れていく。
ポタポタと無数の眼球から血を流す異形は明らかに瀕死の状態で、最早男に抵抗することも逃げ出すこともままならない姿を晒していた。
「こんな妖魔は聞いたことないが……まぁ、研究所にぶち込みゃ何かしらわかるだろ」
男の言う事が十全に分からない妖魔は、瀕死の身体を震わせて必死に命乞いをし、そしてその場から逃げようと試みた。
「お? まだ逃げようとするか」
だが、ほんの僅かな隙を見逃すことも無く、己の身体の端を掴み取られてそのまま引き摺り出され、それでも黒い異形は恐れから血涙を流しながらも逃げようとし続ける。
「逃げんな逃げんな。ほら、大人しく捕まっとけ」
意識が薄れ消えそうな状態で這いずる異形の身体が、男の腕によってゴロゴロと転がされ、まるで巻かれた絨毯のように丸められて動きを止められる。
「そんじゃ、後はぐっすりあの世まで眠っとけ!」
――――そして、最後に男の拳が眼球の一つに突き刺さった時、異形は全身の目から血を噴き出しながらその意識を己と同じ黒に染めていった。
「うわ、きったねぇ……」
ブシャッ、と血を噴き出した黒い妖魔。完全に力尽きたようで抵抗する様子の無くなったそれを担ぎ上げると、辺りに飛び散った血も段々と薄れて消えていく。
研究所が特定出来なかった誘拐犯の妖魔は十中八九コイツのことだろう。
人の立ち寄らないコインランドリーを根城にして、腹が減ったら適当に動いてポツンと孤立した人や妖魔を一呑みで捕食する。
ここが市街地だから犠牲者に人が多かっただけで、山の方であれば妖魔を間引く良い妖魔となっていた筈だ。少し哀れではあるが、人を襲った時点で許せる妖魔ではなくなっている。
「ま、後処理は研究所に全部丸投げだな」
この妖魔の素材については研究所に押し付ければ詳しく調べてくれることだろう。また適当な回収車を探して、そこの荷台に放り込めばそれでいい。
コンパクトに収まった妖魔を担ぎ上げて肩の上に乗せると、コインランドリーの扉を足で開けてそのまま立ち去る。
どうせ誰も利用しない場所だし、最近だと解体の話も出ていたくらいだ。扉を開けっ放しにしたくらいでどうこうなってもあまり変わらない。
……そんな事を考えて歩くと、近くで何かが弾けたような音が聞こえた。
「……あ、コレが例の術符って奴か。やっぱり案の定だったなぁ」
音の発生源を探して辺りを見回せば、電柱の下に黒焦げになった紙くずが少しだけ煙を燻らせながら、地面の上にばらばらになって落ちていた。
恐らく、この妖魔に反応して呆気なく破れてしまったのだろう。研究所はBクラスの妖魔までなら動きも止められると言っていたが、やっぱりカタログスペックというのは参考にならないな。
「多分、コイツってCクラスぐらいの力はあるよな?」
俺も妖魔のクラスの判定に詳しい訳では無いが、被害状況や実際の戦闘能力等を考えればギリギリCクラスの妖魔に入るんじゃないかといった程度。
妖魔にも近接戦向きや遠距離戦向きなどピンキリであるから一概には言えないが、多分研究所のエリート達なら余裕で倒せるような相手だろう。
そんな妖魔の力にアッサリ負ける術符なわけだから、まぁ……これ以上は何も言わなくていいか。
――――取り敢えず、今夜はこのまま近くの回収車を探して積み込み、途中で班長達に合流して解体業務にも勤しむことにした。
しかし、現場にいるいないに関わらず荷台にはクッションを常備した方がいいな。これじゃ、凶暴な妖魔と戦う事よりケツの生死を掛けた移動の方がキツいと思ってしまう。
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