第12話

 山中で獲物を狩って暮らしていたその妖魔は、過去類を見ない強敵を相手に己の窮地を悟っていた。


 どんな相手でも斬り裂いてきた最大の武器である鱗が、その相手にだけは通用せず打ち払われて、尚且つ破壊する瞬間さえ見せつけられた。


 そんな相手と対峙したことなど、性格的には臆病なこの妖魔は経験が無い。ましてや己の鱗が砕かれる瞬間などこれが初のこと。


 大抵の相手は乱射される斬れ味鋭い鱗の嵐で戦う気を失い引き返すか、そのまま鱗に斬り裂かれ屍に変わるだけだった。


 だが、今回の男は一味違う。本人は気付いていないが、この妖魔も倒した経験のないAクラスの妖魔と戦って勝利してきた紛う事なき強者なのだ。


 そんな男の視界から逃れた妖魔だが、臆病な性格である筈なのに逃げる素振りを見せないのは、ここで仕留めなければ生き延びることが出来ないと本能が警鐘を鳴らしていたからだ。


 そのようなことはそれなりに長く生きている妖魔も初めての出来事であり、そのせいで逃げようにも逃げられないと知らず知らずの間に追い詰められていた。


 鋭い眼光で辺りをキョロキョロと見回す。視界の悪い山林の中ではあるが、それでも生息地として森に住まう妖魔である。


 その視力は凄まじく、羽虫が飛び立つほんの僅かな姿さえ見逃しはしない。


 ただ、そんな眼であっても今の男の姿を捉える事は叶わない。


 木々の上を飛び回り、時折石でも投げているのか囮まで使って無駄弾を撃たせにきているのだから、ハッキリ言って待ちの姿勢を取るしかないのだ。


 何せ、その囮に引っ掛かって鱗を撃てば、一瞬にして自分の位置が男にバレる。


 すぐに移動すれば問題は無さそうだが、先程まで地の上にいた男は高い木の上。多少動いた程度では捕捉から逃れることも難しいのは容易に想像出来た。


 そこで、最大限の力を以て隠形に力を入れ、ほんの僅かな差異さえも見逃さぬように息を殺して男を探す。


 一瞬で決めなければ、逆にこちらの首をあの剛腕で縊り殺されてもおかしくない。己の生死が掛かった今だけは、どんな妖魔が相手でも恐ろしくないと思えた。





…………山中には、風に揺られる木の葉の音だけが響き渡る。






 互いに動きを見せていないからこその膠着。時間が有り得ない程に引き伸ばされているような感覚を覚え始めた頃、漸くその停滞した戦場が動き始める。




――――先手は、木々に身を隠した男の方だった。




 ドシュッ、という音が妖魔の耳に届いた瞬間、己の右前足に走る鋭い痛み。


 思わずギィィッ! と声を漏らして痛む箇所に目を向ければ、そこには何故か己の鱗が表面の鱗を裂いて突き刺さっている。


 何故そうなったか一瞬理解が出来なかった。それが、その後の妖魔の運命に大きな影響を与えた。




――――ドシュドシュドシュドシュッ!!!




 右前足のみならず、四方八方から妖魔の全身に次々と突き刺さる大量の鱗。あまりの痛みに苦悶の声を上げるが、その間にも次弾が表面を削り、或いは鱗の装甲を破って突き立っていく。


 今まで狙撃する側だった妖魔にとって、自分の鱗がこうして突き刺さる経験などある筈が無かった。


 そんな痛みに藻掻く妖魔の視界に一瞬だが映ったのは、己の最大の敵であるあの男の姿。その行動は、どんな相手が見ても信じられないもの。



――――男は、妖魔が撃ち出した鱗を拳で殴り、涙滴型の鱗の先端をこちらに向けて飛ばしてきていたのだ。



 その信じられない攻撃方法に、尚更思考能力が緩慢になる妖魔。最早停止寸前の思考が必死に警鐘を鳴らすも、撃ち込まれた鱗による傷とその光景の衝撃とでまともに動けない。


 そんな致命的な隙を逃す男でもなく、動きが止まった様子を見て瞬時に駆け出し、一気に距離を詰めようと迫ってくる。



――――シャァァァァァ!!!



 奴を近付けたらマズい。その一心で尾を振り上げて咆哮と共に鱗を飛ばす。傷の影響で幾分狙いが甘くなっているが、その分は数で補えばいい。


 男目掛けて何十と飛んでいく鱗。妖魔の再生能力を最大限利用して、生え変わる度に新しい鱗を次々と射出していく。


 少しでも足止めになればと考えての攻撃だが、男の行動はその予想を遥かに上回った。



「ッラァァァァッ!!!」



 なんと、飛んでくる鱗に斬られるのも厭わず、正面からこっちに向かって走り続けていたのだ。


 勿論、致命的なものは拳で打つなり何なりして弾いているが、それ以外は斬れるのも無視して受けに受けまくっている。


 だが、それはある意味で好機でもある。既に向こうの手元に残弾は無いのに対し、こちらは再生能力を活かして再度鱗を射出することができるのだ。


 それを考えて、すぐに鱗を撃ち出そうと尾を高く構えた――――――その瞬間だった。




「手の内はわかってんぞゴラァァァッ!!!」




 咆哮のような叫びと共に思いっきり振られた男の右足。それは、地面を削るように蹴り飛ばし――――






――――己の尾が、宙を舞うところを目の当たりにした。





 何をされたのか理解が出来なかったが、男の足下を見てすぐに答えがわかった。


 あの男は、地面に落ちていた己の鱗を蹴り飛ばし、それでこちらの尻尾を斬り裂いたのだ。


 その鱗の硬さと斬れ味は己自身が一番知っている。それを武器にして今まで生きてきたのだから当然だし、こうして身体中に突き刺さっているので否が応でもわからされている。


 そして、尾が切断されたということはこちらも残弾は無く、あの男には恐ろしい事に接近して己の爪牙で挑まねばならない。


 そんな真似をしたら、あっという間に殴られ蹴られてこの鱗も甲殻も砕かれる。つまり、もう勝ち目は全く残されていない。


 だが、せめてもの抵抗はしてやろうと、その牙を剥き出しにして大口を開け、咆哮しながら男に喰らいつこうとする。




「死に晒せやクソトカゲェェェェェッ!!!」




 そして、最後にその目が捉えたのは飛び掛かってきた男の右の剛腕が、己の額に向かって真っすぐ伸びてきた瞬間だった。













 目の前でボロ雑巾のようになったトカゲを見る。全身の鱗や甲殻で割れていない部分は無く、片目は潰れて血が流れ出していた。


「あァ〜……怪我すんのなんて久々だなぁ」


 体の端を中心としてボロボロになった作業着を見ながら、特に意味もなくそう漏らす。言ったところで直るわけではないので、これは殆ど感想に近い。


 圧し折った四肢、外してやった下顎、殆ど真っ二つに割れている背甲。そして斬り落とされた尻尾と、ここまでやれば再生能力の高いこのトカゲであってもくたばっただろう。


 正直、コイツの抜け落ちた鱗が無かったら結構キツい戦いになっていたかもしれないから、そこだけは運が良かったかもしれない。


「……よし! 取り敢えず、コイツ持ってって回収車に放り込むか!」


 まぁ、終わったのなら後はもうどうでもいいだろうと、ぶっ倒した後処理を始めようと思い――――ふと、気付いてしまう。




 目の前には、回収車にギリギリ入るサイズの巨大なトカゲが一匹。通常なら一度解体しないと入らない筈だったが、一番長い尻尾をぶった斬っているから積み込みに問題は無さそうだ。


 ただ、一番問題なのは積み込みではなくて輸送。丸ごと一匹ならまだ運ぶのは楽だったが、ここに転がっているのは本体と斬られた尻尾の二つ分。


 これを俺は回収車に持っていって積み込まなくてはいけないのだ。二周する気力なんてあるわけがない。




「あー……最後の最後までメンドクセェなコイツ!」




 ガシガシと頭を乱雑に掻くと、仕方無いという気持ちを込めて大きくため息を吐き、そして面倒臭い後片付けをヤケクソで始める。


 右手はトカゲの喉、左手は斬り落としたトカゲの尻尾の断面に指を食い込ませ、そのまま引き摺って山を下りていく。






――――ここから一時間近く、トカゲを運びながら回収車を探し回る羽目になったのは最大の誤算だったと言えるだろう。今度は、後片付けの事も考えて戦わないと駄目だな……

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