第9話
それは、妙に暑く感じた夏の夜のことだった。影人討滅後の後処理で、俺はいつも通り回収車を運転して研究所に帰還していた。
「こちら回収班。ただいま任務より帰還した」
『了解。四番ゲートを開放します』
この日もいつも通り、回収任務から戻って車を指示されたゲートに入れて、エレベーターを使って研究所に戻っていた。
昨日、百骨童子というAクラスの妖魔が狂骨の回収車の中に紛れていて大惨事を引き起こしたが、今回は影人という類似する妖魔が直近で確認されていないものだから特に心配はしていなかったのだ。
「お疲れ様です! 十番が空いていますのでそっちに移動します!」
「了解! ってか、なんかあっちぃな……」
案内役の職員に従って車を動かすが、妙に暑くて車内のエアコンを久々につける。普段は防寒防暑機能に優れた回収班の制服のお陰で気にすることは無かった。
ただ、この時は制服が擦れてきて術式の効果が切れてきたのかもしれないと思っていた。何だかんだもう何年も使っていたものだからだ。
「オーライ……なんて言わなくても完璧ッスね」
「まぁな。俺もそれなりに長くこの仕事をやってるし」
馴染みのある職員と軽くやり取りをしながら、俺はこの時まで実にのんびりと回収車の操作をしていた。
影人の死骸は軽くて風に飛びやすく、今回の回収車は専用のハッチが上部に付いているものになっていた。コンビニに行った時は追加回収用にハッチを開けていたが、ここに運ぶ時はしっかりと閉じて来ている。
「……なんか、妙に暑くないッスか?」
「んぁ? まぁ、確かに今日は暑いよな。俺も久々に車内のエアコン効かせてるよ」
まだつけたばかりだからそこまで涼しくはないが、それでも比較的マシになっている筈……
――――そう思っていたその瞬間。俺は全身が焼かれるような熱に襲われて、次いでシェイカーに入れられたように車内でめちゃくちゃに揺らされる。
シートベルトをしっかりと締めていたからどうにかなっていたが、それでも暑いを超えて熱い程の熱に蒸され、必死になってシートベルトを外して扉を蹴破り外に転げ出た。
「――カッハッ!? ヒューッ、ヒューッ!?」
痛む身体に咽る喉。それでも、肺が空気を求めて大きく二度三度と空気を吸う。
そんな事をしていると、近くで何かが倒れるような音が聞こえた。そして、俺はそれが何なのかゆっくりと視線を向けてしまって――――
「――――――――あ」
そこには、黒焦げになった案内役の若い職員の死体と、回収車の荷台から身体を起き上がらせた燃え盛る髪の鬼が、赤い双眸をこちらに向けている姿があった。
研究所内を尋常ならざる程の警報音が鳴り響く。
既に回収車を受け入れていた区画は炎に沈み、辛うじて動作しているカメラには炎上した車両や逃げ遅れた職員の炭化した死体が映り続けている。
これ程の被害は百骨童子が襲来した時以上のものであり、まさか連日連夜でこのような事が起きるとは誰も思ってはいなかった。
「警備部隊に連絡は!?」
「先程十三番隊と二十二番隊が向かいました!」
「じ、十二番、十八番、二十一番隊との連絡が途絶えました!!!」
「――――隔壁封鎖、失敗! 対象、依然として移動中の模様!」
司令部では担当職員が警備部隊と無線でやり取りする中、百骨童子の管理問題で支部内に在勤していた支部長と秘書の両名もまた、今回の侵入者の正体に思いを馳せていた。
「昨日の百骨童子に続いて、か?」
「流石に有り得ないと思いたいですが、ね。現地にいた隊員からは、回収したのは通常の影人だけだと聞き及んでいます」
百骨童子は狂骨と似ているからまだ理解出来たが、影人の場合は話が違う。炎を使う時点で、影人の範疇を大きく逸脱しているのだ。
少しでも足止めをしようと隔壁で行く手を遮るものの、何の役にも立たずにアッサリと壊されて歩みを止めることが出来ない。
そして、姿を捉えようにもあまりの熱に負けて監視カメラが先に壊れてしまう。それこそ映像が途切れる寸前で、監視カメラのレンズが融解する瞬間さえ見えた程だ。
運が良かったのは、丁度今Cクラス妖魔の討滅が終わって補給しに来た上級討滅部隊が三部隊もいることだろう。
百骨童子の抑えの為に二部隊も残しているので、人数としては凡そ三十人前後。オマケにもう二部隊も補給の為に現在帰還中なので、合流する事が出来れば鎮圧も不可能では無い筈だ。
そんな事を考えていると、カメラの一つが爆炎と共に飲まれて暗転する。確か、彼処の通路には対大型妖魔用の戦車を待機させていた。
砲撃に巻き込まれたか、それとも敵の攻撃を食らって吹き飛んだのか。出来れば前者であってほしいが、希望的観測は望まない方が良さそうだな。
「やー……なんか、研究開発部から呼び出されたと思ったら、これ結構ヤバい状況です?」
「ヤバい状況だぞ。警備部隊は向かったところから音信不通。隔壁もタダの紙ペラだ」
「うへぇ……今から戻っちゃダメですかね?」
「ダメですね。そもそも、ヘタすれば貴方のいる研究開発部の区画も焼け落ちますし」
既に研究開発部にもその連絡はしているのだが、彼処は様々な意味で手が離せない研究も多々あり、完全に人を排除するのは難しい。
故に、研究開発部の周辺にも警備部隊を配し、更には開発部の試験兵器や試作品を大量に使用して防備を固めている。
だが、それでも不安が勝るのがこの相手だ。今も尚警備部隊が次々と全滅し、目的があるかどうかもわからないまま彷徨う敵に、果たしてそれらの兵器が通用するのか。
「最悪の場合、収容している百骨童子をぶつける。相性は良くはないだろうが、それでもAクラス妖魔の実力を鑑みれば安々とは負けんだろう」
「その場合、施設への被害は甚大な事になるでしょうけどね。まぁ、四の五の言う余裕が無いのは同意しますけど」
どちらかと言えば数で押し切るタイプの百骨童子と、広範囲を炎で焼き尽くしている敵とでは恐らく厳しい戦いになる。
ただ、そうだとしても数少ないAクラス妖魔の百骨童子がこの支部に於ける最高戦力の一つであることは間違いない。
『こちら
「敵は依然としてそちらに向かい進行している。お前達だけで鎮圧出来れば幸いだが、不可能な場合は早急に連絡しろ。その時は、百骨童子を解放してソイツにぶつける」
『……了解。正直、妖魔頼りになりそうなのが苦しいところですけどね』
決戦場は宴会場を兼ねた大広間。年に数度の宴会で使うような場所だが、脱走した大型の妖魔と戦う事を考慮して作られている場所でもある。
ここほど今回の相手に相応しい場所は無いだろう。広い分攻撃を避ける空間も多く、また百骨童子をぶつけた際には広い空間いっぱいに骸骨兵が呼び出される事になる。
『――熱気が強くなってきました。間もなく会敵するかと思います』
「そんな余裕は無いだろうが……無理はするなよ」
現場の無線から察せられるのは、間もなく広間に今回の敵が姿を現すということ。ここのカメラはかなり頑丈なものになっているので、暗転した他のカメラよりは長時間耐えられる筈だ。
大型モニターにはカメラが撮り続ける映像が、敵の襲来を待ち構える討滅部隊の姿を大きく映し出している。
進行方向には最後の隔壁で封鎖して、万が一にも敵が討滅部隊を見て反転し引き返さないようにもしている。ただ、そこから先は運否天賦になるだろう。
――――そう考えていた瞬間、その最後の隔壁が何の抵抗もなくアッサリと破壊された。
瞬く間に噴き出す赤い炎。それを水の術式が使える部隊でどうにか打ち消すと、破られた隔壁の奥から明らかに影人とは似ても似つかない妖魔が姿を現した。
「――――バカな!?
それは、嘗て神西支部及び宮都支部、神部支部に甚大な被害をもたらしたAクラス妖魔。現地の水神や土地神の多くを屠り、対峙した部隊はその大半が壊滅したという正真正銘の悪鬼だ。
レポートでは黒い炎を刀に纏わせ、その一太刀で数多の神や妖魔の身体を斬り裂き焼き尽くしたと記録されている。
また、辛うじて生き延びた隊員もその後の後遺症もあって大半が引退。警備部隊及び教導部隊への移籍を余儀なくされた。
「焔刀鬼の動向は不明って話だったよな!?」
「それは偵察部隊や監視用のドローンさえ無力化されるからです! 最後の目撃例は、飛山支部の領域内である山地だったかと!」
「山から下りてきたのか? いや、だとしたら何でここに運び込まれてきた?」
既に映像は見るも無惨な有り様だ。西海支部のエリート部隊がまるで雑兵を斬り捨てるように炎を纏わせた刀で薙ぎ払われ、赤々とした炎が広間全体を焼き尽くそうとする。
司令部の職員がスプリンクラーを起動させるも、火力の強さに負けてすぐに蒸発。何なら耐火性に優れている筈の壁さえ熱されて融解し掛けていた。
『――――ァァァァァ!!!』
『――――アヅイ!? アヅイィィィィィ!!!』
熱で壊れかけた無線が、焔刀鬼に焼き殺されようとしている隊員達の絶叫を司令部に拾い届けてくる。クソが、何で焔刀鬼なんてバケモノまでここに来てんだよ!?
「――――百骨童子を出せ。それと、Bクラス以下の妖魔もぶつけられるだけぶつけろ!」
「開発部の兵器も全部使ってください。これ以上は聞いてられません」
こうして、俺達は焔刀鬼というバケモノ相手に総力戦を仕掛けることになる。
――――その結果として、焔刀鬼は百骨童子さえ退けて研究所内に甚大な被害をもたらし、最後は自ら収容室の一つを陣取って堂々とそこで眠り始めた。
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