第8話

 まさか、このような相手に出会うことになるとは思いも寄らなかった。


 己の刀に焔と力を込め、正眼に構えて集中力を高めている中、ふとそんな言葉が脳裏によぎる。


 今まで多くの敵とこの刀で戦い抜いてきたが、目の前の男は間違いなく記憶にある中で尤も強く、尤も恐ろしい。


 鋭く睨んでくる眼光に睨み返しているが、その感覚はまるで獣。山でヌシと呼ばれるような強大な妖魔を過去何度も斬り殺してきたが、その時の圧を容易に超える圧倒的な威圧だ。


 思えば、今まで戦ってきた相手で心震えたのはどれもこれも獣の類ばかり。人相手では武の戦いも出来たが、その実力に彼我の差があると分かればすぐにつまらないと感じてしまった。





――――――だが、目の前の男はどうだ?





 無手でありながら我が一太刀を幾度となく躱し、蹴りの一撃で受けた衝撃は体躯の差を考えても有り得ん程の威力であった。


 アレ程の一打を受けたのは、嘗て水神と崇められていた龍を屠りし戦の際、その尾で腹を打たれた時以来であろう。いや、威力だけならば恐らくその時を上回っている。


 こうして我が身に焔を宿し、足先から髪の毛の一つ一つにまで火を灯すのもこれが初の事。己の身体から力が湧き上がる感覚は、目の前の男を斬れると充分に感じさせてくれる。


 そう思っていた矢先の『コレ』だ。履物を脱ぎ捨て、堂々と仁王立ちで待ち構える男の姿は完全にこちらの攻撃を待ち構えている。


 ハッキリ言って理解が出来ない。我が一太刀、受ければ斬られるだけでなくその身を焼き焦がすことになると、先程の動きを見れば理解していた筈なのだ。


 それがどうした? 我が一太刀を十全に振るえぬ距離まで詰める動きは、一転して我が一太刀を正面から待ち侘びるような構えに変わった。


 目の前の男の考えが理解出来ん。理解出来んが、引くも進むも一か八かなのは理解出来る。


 ここで引けば我は武士としての誇りを失い、タダの畜生同然の妖魔へと成り下がる。もしかしたら引くことこそが正しいのかもしれんが、それだけは他ならぬ我自身が許せん。


 となれば、我のやるべき事はただ一つ。この一太刀に全力を込めて、あの男に避ける間も与えず両断してみせる。


 正眼からゆっくりと上段の構えに移る。我ながら遅過ぎる動きだったが、何故かこの時はそうしても問題無いという気がした。


 月を背に構える刀に力が入る。普段なら蒸発して消える我が身から一筋の汗が流れたのが、過去一番の驚きだったかもしれない。


 決めるは一度、仕損じれば我が身の終わり。コレこそが、武士と武士の戦いというものよ!







――――振り抜いたのは、男にほんの僅かな隙を見たからだ。






 恐らくは顔の前を飛んだ羽虫。男がそれで一度目を瞬かせた一瞬の暗転こそ、我が一太刀を放つ最大の好機!


 踏み込みと共に振り下ろした我が一太刀が空を焼くように火の粉を弾き、赤が混じる黒炎が激しく燃え上がって迸る。


 男は未だに仁王立ちで立ち尽くすのみであり、最早後ろにも横にも避けられまい。仮に一太刀は避けたとしても、追従する黒炎までは避けられないだろう。






――――そう思っていたのは、我が身の浅慮。






 何かが割れる清々しいまでの美しい音。我が両目には、刀から溢れ出る焔が半ばから途切れ消え去る瞬間が見えた。


 一体何をしたのか? それは男の姿勢を見れば即座に理解出来た。



――――あの男は、燃え盛る我が刀を折ったのだ。



 恐らくは、左足の後ろ回し蹴り。男の踵が燃え盛る黒炎に怯むことなく伸ばされ、その刀身の腹を蹴って一打の下に圧し折ってみせたのだ。


 その一撃の余りの鋭さに、刀身を覆い尽くす黒炎さえ斬り裂かれたようだ。男の身体には炎どころか火の粉一つ近寄れなかった。


 だが、これでもう趨勢すうせいは決しただろう。折られた刀を未だに振り下ろす最中の我は、あの男にとって幾らでも攻められる隙を晒している。


 せめてその動きだけは見逃してなるものかと、両目の視線を外すことなく男に向ける。


 その瞬間、男の足が地面を打ってこちらに向かい飛んできた。


 瞬きすらしていないというのに捉えきれないその動き。折られた我が刀の鍔に左足が掛けられると、更にそれを踏み台にして男の身体が加速する。


 次に受けたのは、尋常ならざる威力の衝撃。先程受けた蹴りとは比較にならぬ一撃に、我が身が大きく後ろに仰け反る。


 何をされたのかは辛うじてわかった。男の右足が、我の下顎を正面から蹴り抜いたのだ。


 恐らく飛び蹴りの形で蹴ったのだろう。位置と角度を考えれば喉も狙えた筈だが、反射的に体勢を立て直そうとした我が身が男の次手を繋げやすくしていて、下顎を狙った理由がその時よくわかった。


 あの男は宙で己の身体を翻し、空を切る速さで再び蹴りを放とうとしていたのだ。


 我が両目が捉えたのは、再度高空から我が身目掛けて降り落ちるように足を伸ばした男の姿。その右足は真っ直ぐに我が額に伸びており、避ける間は僅かたりとも残されていない。





――――――見事也、名も知らぬ武士よ!!!





 我が心中より湧き上がる賞賛の言葉で脳裏が満たされた時、凄まじい衝撃を受けた我は僅かばかりの抵抗も出来ずにその意識を暗闇の中へ落としていった。

















 燃え盛る髪が煙を出してその火を燻らせ消していく。赤く輝く身体もその色を消して黒に戻り、影人は大の字になって天を仰いでいた。


 その爛々と輝いていた赤眼も完全に黒く染まっている。まぁ、念には念を入れて二発も渾身の蹴りをお見舞いしてやったのだ。コレで倒れなければかなりギリギリの戦いを強いられることになった。


「……後で氷水に足突っ込んどくか」


 取り敢えず、多少足の皮は焼けたような気がしなくもないが、致命的な怪我はせずに終わらせることが出来たことを喜ぶとしよう。


「さて、コイツも近くの回収車に放り込んどかないと駄目だな」


 折れた刀の刃は燃え尽きたのか無くなっているので、運ぶ必要があるのは未だに力強く握っている柄等の残りの部分と、それを握る影人本体だ。


 脱ぎ捨てた靴下とスニーカーを履き直し、長い手足に四苦八苦しながらどうにか持ち上げると、俺は近くに回収車が無いか広い通りの方に向かって歩き始める。


 前回は停車していた回収車を見つけられたから良かったが、果たして今回は近くにあるんだろうか。


 あるとしたらコンビニとかに停まってそうな気もするので、最寄りのコンビニを探して歩いた方がいいか。確か、向こうの方にフェアリーマートがあった筈だからな。


「……うわ、本当にあったよ」


 流石に無いだろうと思っていたんだが、そこにはちょうど駐車場に停車している回収車が堂々と停まっていた。


 運転席には人影が見えないので、コンビニで買い物中かトイレ中のどちらかだろう。


 まぁ、どちらにせよ見つけられたから良し! 割と重いし運び難いコイツをサッサと荷台に積み込んでおくとしよう。


 周りの車に気を付けながら、担ぎ上げて持ち上げている影人を荷台にゆっくりと乗せる。手足が長いから割とはみ出しそうだったが、折り畳めばどうにか綺麗に収まってくれた。


「よし! それじゃ、後は班長の所に戻るとすっか!」


 後始末は研究所の人がしっかりとしてくれるだろう。この影人の素材がどう使われるのかはわからないが、久々に本気の喧嘩というものを思い出させてくれたコイツには良い未来が訪れる事を願っていよう。





「あ、班長! お疲れ様です!」


「おぉ、慶治! こっちは終わったぞ!」


 少し時間が掛かってしまったが、特に何事もなく班長と合流すると、無事に影人退治が終わった事をすぐに教えてくれた。


「虱潰しにして九体だ! そっちはどうだった?」


「エラく強いのが一人。誘拐犯、殺人鬼と来たら何が来るかと思ってたんですが、どうやら次は放火魔らしいですよ?」


「あぁ? ってことは、相当強ぇ奴が混じってたってことか。ソイツはどうした?」


「俺がぶっ潰しました。久々に本気の喧嘩が出来て楽しかったですわ」


 班長のところでは物陰に潜もうとした影人が九体も見つかったらしく、現地にいた他の業者の人間や研究所の新米達と一緒になって追い掛け回して叩きのめしたそうだ。


「そうかそうか! 腕っぷしに自信があるとは聞いちゃぁいたが、まさかDクラスの妖魔も一人でぶっ倒せるたぁな! こりゃ、ウチの会社初の討滅担当が生まれたかもしれねぇな!」


「いや、物騒な見た目してたんで流石に逃げようかとは思ったんスけどね。このままだと班長達のところに行きそうだったから、こりゃやるしかないなと腹決めてやり合ったんスよ」


 あまりにも班長が大袈裟なくらいに褒めてくれるものだから、恥ずかしくなって正直な事を話してしまう。


「おぉ!? なんだなんだ、随分と好感度稼ぎに来てんじゃねぇか! なら、それに免じて討滅系の依頼はお前に任してやるよ!」


「え!? い、いいんスか!?」


「おうよ! 流石に手が足りん時は解体作業を手伝って貰うがな! あ、コレは俺が班長やってる時だけだから、他の奴には内緒にしとけよ?」


「りょーかいッス!」


 まさか、本気の喧嘩をしたら班長から討滅系の依頼に行っていいという許可が出るとは思わなかった。


 正直、俺としては班長達に恩があるからずっと解体作業でも文句はなかったけれど……




「――――よっしゃ! なら、班長の期待に応えられるように、討滅ん時は思いっきり暴れてやりますよ!」


「いいぞ慶治! その意気だ!」





 こうして、俺は伸ばされた班長の拳と拳を軽く打ち合わせて、より一層楽しくなるだろう明日に思いを馳せた。


…………余談だが、この後で解体作業が五回も挟まってケツが死に掛けた。なんか、スッゲェ気力落ちてきちまったな、うん。

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