第7話

 刀を持つ長身痩躯の影人。恐らくは相当強くなった個体なのだろうが、肌に電流が走ったような痺れる感覚に少し気が引けそうになる。


 だが、既に戦う覚悟は決めた。どうせ殴った方が早いからと、荷台に積んである鉄パイプを持ってこなかったのは失敗だっただろうが、やると決めたからには死力を尽くして戦い抜く。


 そう思い、こちらを見る影人の目を睨み返す。向こうも俺が敵だと理解したのか、赤眼を爛々と輝かせながらその刀を両手で持って構え始めた。


 ただ、驚くべきはその刀。強く握りしめたと思ったら、その刀身に黒い炎が纏わりついたのだ。


「……誘拐犯、殺人鬼の次は放火魔ってか?」


 火の粉爆ぜる黒炎の刀。斬られれば出血どころか大火傷で死ぬことになるかもしれない。


 まぁ、だからといって引き返すことも出来ない。こうして見られた時点で逃げられるとは思えないし、仮に逃げ切れたとしてもコイツが野放しになってしまう。


 大きく息を吸い、肺に大量の空気を入れて吐き出す。そして、袖をまくった両腕でファイティングポーズを取り、影人の一挙手一投足に目を向ける。



 最初は影人の一太刀。様子見なのか、はたまた強者の余裕というものなのか、今にも攻撃しますよと言わんばかりの大振りで俺を両断しようとしてくる。


 ただ、それでも凄く早い。振り上げから振り下ろしまでの一連の動きを辛うじて避けたが、俺じゃなければ今の一太刀で終わっていたかもしれない。


 尤も、避けられた事に驚いているのかその双眸は大分多く見開いている。


「シャァッ!!!」


 振り下ろした刀を持つ手に向かい振り抜く右腕。フックのような形になったが、その分威力は相当なものになってくれている筈だ。


 とはいえ、向こうも素直に受けてはくれない。刀もそのままに、地面を削るようにしながら両腕を引くことで、残念ながら俺の右フックは空を切る。


 そして、今度は引いた腕をそのまま後ろに引き、身体で隠した刀を下から地面諸共斬り上げる。


 即座にバックステップで避けたが、斬り上げの際に地面も巻き込んでいたから、アスファルトの欠片が刀身に弾かれて跳ね上がり、細かい礫が幾つも俺の身体を打つ。


 オマケに熱気も凄まじい。夏の夜は昼間より涼しいと言っても蒸し暑く、それに上乗せするように黒炎の熱までこちらの身を焦がそうとしてくるのだ。


 今のところ服に着火するようなことは無いが、ヘタにギリギリのラインを狙って避けると掠った時に思いっきり炎上しそうな気がする。


 と、そんな事を考えていると、僅かではあるが苛立ちを見せた影人が上段に刀を構え、大きく力を込めて振り下ろす。


 ただ、完全に間合いから外れた位置からの振り下ろし。当然ながら、その刀身が俺の身を斬ることはない。





「――――――ッ!!!」






 だが、本能的に警鐘を鳴らした俺の直感に従い横に飛び退く。


 その瞬間、俺の横を通り抜けていく黒い炎。アスファルトの路面を焼き焦がす斬撃は、俺がいた場所からかなり遠くまで真っ直ぐ突き進んで消えた。


 何が起こったのかは容易にわかった。コイツの刀が振り下ろされた時、斬撃がそのまま俺を斬り裂こうと飛んできたのだ。



「油断してたのはこっちかもなぁッ!!!」



 これで、俺は後ろではなく前に出ることを強いられることになった。


 この狭いとも広いとも言えない通りでは、飛んでくる斬撃を躱し続けることなど十全に出来るわけがない。


 何より、その刀で横に斬撃を飛ばされたら、俺は上に飛ぶか下を潜り抜けるかしかなくなってしまう。


 そうなれば、正直に言って立て直すまでの隙を突かれてバッサリいかれる未来しか見えない。


 なら、刀の間合いの更に奥に踏み込んで、そのほっそい身体に何発も何発も俺の拳をブチ込みまくる!




「ッシャァァァァァァッ!!!」




 獣のような咆哮と共に接近した俺を見て、影人が思わず身動いだのが一目でわかる。


 どうやら、奴さんは俺が突っ込んでくるとは全く思ってもいなかったらしい。


 牽制も兼ねていそうな左下からの斬り上げを、踏み込んだ足を急停止させることで空振りさせ、そのまま止めた足をバネにして瞬時に加速し近付き直す。


 それに対する影人の答えは、後ろに下がりながらの剣撃の乱舞。上下左右斜めと、四方八方から刀を振り切り振り抜くことで俺を牽制し、絶対に間合いに近付けさせないという意思を感じさせている。


 紙一重で躱し、刀が振り抜かれる度に通り抜けていく熱波。身を焦がすような熱さに汗が湧き出て、服の端が焦げて独特の臭いが漂う。


 そんな中、影人の刀が大きく後ろに引くような形で振り上げられ、その刃は地面スレスレを削るように足元を薙いできた。


「それァ悪手だぜぇぇぇぇぇッ!!!」


 だが、それはハッキリ言って好機の一言に尽きる。何処を攻撃するつもりか分かり易過ぎて、次にどう行動するべきかすぐにわかった。


 俺の左足に力が入る。狙うは奴の胸か腹。この一発が彼奴を崩す、崩してみせる!




――――そして、俺の足に刀が触れるかどうかの瞬間に、力を込めた左足はバネとなって俺の身体を前へと押し出した。


 下を通り抜ける影人の燃える刀。削られた路面は激しく燃えているから、やはり前に跳ぶのが正解だったようだ。


 そして、振り抜かれた後の左腕を俺の右足が踏み台にすると、そのまま身体を回転させながら回し蹴りを奴の胸部に叩き込む。





――――ォォォォォォンッ!!!!!





 まるで爆発したかのような激しい打撃音。相手も後退していたので威力こそ落ちていただろうが、避け切れなかった影人はその衝撃を受けて大きく蹌踉めきながら飛び退き、片膝をついて倒れそうになる。


 だが、流石にこの一撃で倒れてくれる程甘い相手ではないらしい。フラつきを見せながらもすぐに立ち上がり体勢を立て直すと、その赤い双眸でこちらを睨みつけながら刀を構え直す。


 ただ、驚いたのはその後だ。構え直した刀の黒炎に赤が混じり始め、その赤は腕を伝って影人の全身に纏わりついた。


 ほんの僅かな間の変化だが、全身の主要な筋繊維や血管に沿って赤く輝く影人の身体。黒い髪を靡かせた頭部は燃え上がり、毛の一つ一つがパチパチと火花を弾かせ炎を揺らしている。


「……本気モード、ってか?」


 爛々と輝く双眸と頭髪。刀の赤は血のような紅となり、より一層その熱気を強いものにしていた。


 明らかに危機的状況である筈なのに、何故か両端の口角が上がる感覚に気付く。思えば、丸々一晩喧嘩に明け暮れた頃にはこのように高揚する相手に出会えた事はなかった。


 そこらのチンピラやヤンキーとは違う、完全に殺す気で刃を向ける妖魔。脅しで抜かれたチャカよりもその殺意は有り余る程に高い。


 あぁ、そうだ。ヤクザの事務所に突っ込んだ時も、そのヤクザの仲間数百人に囲まれた時も、ヤクザの車で突っ込まれた時よりも、どんな修羅場よりもこの場が一番面白い。




「――――悪ぃな。少しばかり『本気の喧嘩』ってのを忘れちまってたみたいだ」




 生ぬるい態度と動きをしていた事を素直に詫びる。昔の俺がこんな姿を見ていたら、まず間違いなく顔面を殴られて腹を蹴られていただろう。


 死んではいけない命賭けの戦いだとずっと思い続けていたがなんてことはない。妖魔の戦いで何度も何度も命を賭けてちゃいつか絶対に負けが来る。


 だから、命を賭けるのはもう『止め』だ。死んじまったらそれまでのこと。多少の怪我も目を瞑れ。


 邪魔になるスニーカーを脱ぎ、靴下も裏返るのを無視して雑に引っ張って脱ぎ捨てる。


 先程までガンガン距離を詰めてきた相手が急に立ち止まり、靴や靴下を脱ぎ捨て始めたので影人の動きも思わず止まってしまっているようだ。





「…………待たせちまって悪いな。さ、続きをやろうや」






 両腕の袖をまくり、大きく腕を回してから仁王立ちで両目を見合わせる。腕は体の横に軽く広げ、ボールを握るような手で待ち構えた。


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