episode 3. 彗星 (1/8)
「お昼を食べに行くんですか? 西村さん」
「あ、はい」
「わあ、西村さんは今日も顔から輝いているね。 お昼のメニューは何に決めた?」
「今日は蕎麦です。 夏はやっぱり蕎麦ですよ」
「そばもいいね。 佐藤さん、私たちもそば食べに行こうか?」
「あ、悪いけど無理。 鈴木さん、私は今日完全に牛丼のような感じなんだから。 お弁当の配達ももうすぐ来るはずなのに。 でも西村さん、私たちの名前を忘れてしまって省略するんじゃないですか?」
「あら、もう入社1週間目なのに、本当にそうなのかしら」
「そんなことはありません。 いくら馬鹿な男でもこんな美人たちの名前は忘れることができないでしょう。 美智子さん、康子さん」
「西村さんも!」
「話もうまいんだから!」
「では、午後の勤務中にまたお目にかかります」
「礼儀正しいし。 私が娘さえいたら婿にしたいのに、もったいなくてどうしよう」
「長男が今やっと小学生なのに何を言ってるの? あ、赤田さんもそばおいしく召し上がってください」
「はい···」
ロビーを鳴らす陽気な笑い声とともに、佐藤と鈴木が離れていった。 赤見はもしかして、自分が催眠術師としての能力だけでなく、透明人間としての才能まで備えているのかという疑問を抱いて首を横に振った。 もちろん、自分の存在感がぼやけているという事実はすでによく知っている。 それにこれといった遺憾を感じもしなかった。 ただ···。
「日光、やっぱりお前、 あまりにも目立つ」
「え?!」
日光はエレベーターの下降ボタンを連続してパッパッと押していたところ、赤見を振り返り、うわごとでも聞いたという表情をした。
「それは当然じゃないですか? 先輩、先輩がテレビも見ないし、インターネットもしないし、家で新聞と本ばかり読んでいるのでよく分からないようですが、俺のようなイケメンは絶対に珍しいです。 俺はホテルに例えると5つ星ですよ」
「ほめ言葉じゃないから生意気なこと言うな。 お前の存在自体が潜入の邪魔になるという意味だ」
またホテルとして例を挙げるんだね。 ホテルが好きなのか? 赤見は突然、日光が自分を何つ星ホテルに例えるのか気になったが、あえて質問はしなかった。
「とにかくこれが諜報の仕事だという事実を忘れるな」
「まあ、潜入や諜報といっても、言葉だけもっともらしいじゃないですか。 先輩の催眠術で出入りもフリーパスなうえ、後で依頼人に報告する平凡なアリバイを作るために見せかけで、ただ数週間働くふりをするだけなのに···」
薄い唇をとがらせながら、気に入らないことばかり言う不機嫌な態度に、赤見は何と訓戒しようとしたが、その瞬間、エレベーターのドアが開き、日光も叱られるだろうという予感がしたのか、素早くその中に入ってしまった。
「早く乗ってください、先輩! 今日は暑いので、きっと蕎麦屋が混んでいるでしょう」
赤見はため息をつきながらエレベーターに乗った。 素早く1階のボタンを押した後、さっきロビーでそうしたように閉まるボタンを再び力強く連打する日光の指を見ながら、赤見は自分だけの考えにふけった。
彗星インターナショナル。 2000年の時点では(旧)彗星商事だったこの企業は、アメリカと東アジアを主要舞台として自動車輸出を専門とする貿易会社だ。1980年代初めに富裕層の東京千代田区でも、当時富裕層とされていた資産家の彗星草一郎から立派に創立され、約40年が経った現在、時価総額7億ウォンを軽く超える大規模企業に成長した。最初から優良児として生まれた赤ちゃんが、相撲選手として育ったようなものだ。 今年でちょうど70歳になった彗星草一郎は、これまでも同社の最高経営者の座をこれ見よがしに占領していた。
赤見の依頼人はこの会社、彗星インターナショナルのライバル格である新進企業、海王グローバルの筆頭株主。両社は自動車を主な商品として輸出する点、アメリカと東アジアを相手に取引をするという点で重なる部分が多かった。 一言で言えば、後発走者である海王グローバルでは対外的には産業スパイである赤見が彗星インターナショナルがすでに握っている海外バイヤーの情報を盗み出してくれることを望んだ。赤見は費用を掛け合うことなく、海王グローバルが提示した価格でこの件を引き受けることにした。 お金ならもうかるだけもうけた赤見だ。 赤見がまだこのような面倒な仕事をする理由は、ただ何事もなく暮らした方が仕事をするより退屈だったからだ。それから、金持ちをからかう機会をあえて拒む必要もないし。
赤見は自分も経済的自由を獲得したにもかかわらず、金持ちという部類が気に入らなかった。 それはおそらくスタート地点が大きく違ったためだろう。
両親と一緒だった最後の年に赤見は7歳だった。 かすかな7歳以前の記憶をあちこちにたどってみると、性格が落ち着いて線の細い顔の父親と微笑から堂々とした気品が染み出てきた母親の姿がぼんやりと思い浮かぶ。父はおそらく公務員。 職務も職級も分からないが、いつもきちんとスーツを着て、何よりも夏休みの時期に母親と一緒に市役所まで父親の見送りに行った日があった。見送りそのものよりは、帰り道に母親が見送りに一緒に行ったのが立派だと言って、初めて飴を2つも食べることを許してくれたので覚えている。チョコレート味とイチゴ味の飴を口の中に同時に入れて転がしていた赤見は、まだ幸せという単語を見たり聞いたりすると、その甘酸っぱい味が舌に漂うような気がした。母の職業は確かに知っていた。 母は教師だった。 科目は文学。 枕元で7歳の子供が理解するには多少難解な長編小説を読んでくれた穏やかな声がまだ耳元に鮮明だ。 母の声は美しかった。 あまりにも、あまりにも。
···いずれにせよ、それまでは両親の職業が安定していたので、それほど困窮してはいなかった。 問題はその次だった。 初めて割り当てられた保育園は最悪だった。 赤見は福祉の死角という概念を8歳の誕生日を迎える前に体得した。
それでも赤見は生き残った。 赤見は成功した。 うごめく虫で覆われた二段ベッド六つが、隙間なく埋まっていたその鶏小屋のような部屋から抜け出した以上に、赤見は最高点に達した。 何とかして高い実績を出そうとする気配を隠せず、手のひらをこすりつけていた仲介人に「部屋の展望やオプションなどはよく知らず、関心もないので、一番高い物件を現金で購入する」と宣言するほどだった。
しかし、赤見の胸の中には、自力で成功した自分が感激しているという感慨はなかった。 どうせ赤見もまた、生まれつきの才能である催眠術を利用して、そのような金持ちに精神的な暴力を振るい、規模を大きくしただけだ。言い換えると、ドーピングをした力士というか。 堂々としていないことのレベルではなく、事実上日本で自分を制裁する法がなく、今まで何の問題もなく社会に属しているだけで、犯罪者と変わらないという自覚はあった。 誇らしいはずがない。 だからといって今さらやめるつもりもないのに。
ところが、日光は違った。 人の命を直接的に奪いながらも、日光は何の罪悪感も感じていないように見える。 むしろ言うことを聞いてみると、人を害する自分の力と技術に自負心さえ持っている。 どうしてそんなことができるのか? それをたかがと言ったらおかしいだろうが、とにかく人を何人も殺した記憶では、日光を苦しめることはできなかった。 日光を苦しめることができるのは、今のところ赤見の催眠から解放されることだけだ。
こういう部分が難しい···。赤見は日光が怖かった。 催眠が解けたら、自分を殺そうとする殺人請負業者を恐れるのは当然だ。しかし、日光はその事実と同時に、赤見の忠実な後輩になるために全力で努力する奴だ。 日光はいつも赤見の顔色をうかがっていた。 自分の気持ちよりも赤見を優先にしていることが全身で感じられた。赤見が低気圧の時は適切な冗談で盛り上げ、赤見が珍しく気分の良い時は日光本人がもっと楽しんではいた。 チョコレート味とイチゴ味のキャンディーを一気に口の中に入れて頬を膨らませた7歳の赤見のように。 まるで7歳の少年のように喜んだ。
その充実した幸せが。 大洗海岸で一緒に見守っていた波のように、勝手に押し寄せる笑顔が。 肋骨の内側を直接ノックするような低い笑い声が。 野生動物のような威嚇的な目つきの中でさえ、穏やかに向き合う黒くて小さな二つの円が。
私を親愛する他人の体温。 重さ。脈拍。そんなことを感じてからずいぶん時間が経ったからだろうか。 難しい。大変だ。困るし。 やっぱりいやだ。 日光を警戒することは、信じないことは、だから、だからほぼ一生かけて実行することに決めたそのことは···。
「先輩、食べ終わったんですか? そのように少しだけ食べて大丈夫ですか?」
蕎麦屋のテーブルの向かいの席で日光が聞いた。 いつの間にか赤見の向い側には当然のように日光が座っていた。 赤見は蕎麦が何本かかかった箸を手に持ったまましばらく固くなり、すぐに気がついた。
「食べ終わった。 事務所に戻ろう」
日光はほとんど食べなかったも同然の赤見を見て少し不満に思ったが、黙ってうなずいて席を立った。 赤見は半分以上残したそばを見下ろした。 私はこれを、おいしく楽しめない。 お前をそのまま受け入れられない。 日光は本当の後輩ではない。 催眠にかかった自分の犠牲者にすぎない。
その事実を決して忘れてはならない。
ハードボイルド·セブン オニタカ @oni_taka
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