episode 2. 大洗 (7/7)

7月!待ちに待った月だっけ!


日光は部屋の片隅にもたれた全身鏡に自分の姿をあちこち映しながら身なりを点検した。顔はいつものように完璧で。 男らしく短く切った髪も、伸ばしたところ一つなく端正。 シミやシワは許さないきれいな白いシャツに、プロのような印象を与えながらも活動しやすい夏用ツーピーススーツセットも非の打ち所がない。玄関の下駄箱で待っているモンクストラップデザインの靴も、昨日午前中ずっと手首がこわばるまで磨いておいた。


最後に、骨の節が太い長い指を流麗に動かしてネクタイを締める。 結び目の種類は幅の狭いナロータイに似合うエスクァイアノートで、格式を逃さずにスリムに落ちるラインが日光の好みだった。


日光は締まったネクタイを見てにっこり笑って部屋を出た。


部屋とつながっている長い廊下を通り抜けるとたった一人のために建てられたギには広すぎて、階高もまた目がくらむほど高いリビングが登場する。 日光は今日も反射光をきらめかせながら、自分を歓迎する雄大なシャンデリアを疲れた目で見上げた。


日光が赤見の家に泊まってから一週間ほど経ったが、日光はまだこの大邸宅に完全には慣れていない。 まるでアクアリウム規模の水槽全体を一人で使っているカタクチイワシになった気分というか。家というよりはむしろ博物館や美術館のような種類の建物に近い。 日光もまた、殺人請負業者として名を馳せてからは、かなり豊かに暮らしてきたが、これほどまでに贅沢な生活をしたことはなかった。 お金が多いと聞いたので、そうなのかなと思ったけど。 これはやりすぎじゃん。


日光は居間の真ん中にある大きなソファにぽつんと座った。 そのまま横になりたい気持ちもあったが、そうするとせっかく念入りにアイロンをかけたスーツがしわくちゃになるだろう。 退屈だな···。


現在の時刻は午前10時46分。 午前6時ちょうどに起床した日光は、すでに自宅から電車1駅ほどの距離にある荷物までジョギングをして運動に行ってきた。 関節が傷んだり筋肉が無理しないように注意して体を鍛え、シャワーも几帳面に終えた。栄養と水分補給のために選んだ朝食メニューは、チキンサンドイッチとイオン飲料。 胃に食べ物を十分に入れたので、その後は熱いブラックコーヒーで気を引き締める。 最後に預けられた保育園から脱出するかのように独立して以来、ずっと守ってきた「朝のルーティン」だった。


反面、赤見先輩は··· 日光は眉をひそめ、あごを掻いた。 日光がこれまで見守ってきた赤見の生活パターンは、「パターン」という単語を使ってもいいのか疑問に思うほど不規則だった。赤見にとって時計とカレンダーという物は意味がないようだった。 赤見の眼下に濃く垂れ下がった黒い陰と血の気のない暗い顔色を見た時から察していたが、これほどとは思わなかった。 赤見は気が向いた時に起きて、気が向いた時に眠り、食事も時間通りにせず、その時その時に食欲が許す通りに何でも出前を頼んで食べた。その食欲というのも実は生きている生き物のものなのか疑わしいほどぼやけていて、赤見はきちんと飲むカフェオレ以外にはほとんど何も食べずに何日も過ごしたりもした。


見かねた日光が一口で食べやすいミニおにぎりを作って押し出すように差し出した日もあったが、その思慮深い配慮が面倒だったのか赤見は日光にそのおにぎりを持って残った一日中部屋に入って出てこないようにと催眠命令を下して監禁をさせてしまった。その事件以来、日光は赤見の無秩序な生活にこれ以上口出ししなかった。 日光は先輩を尊敬しているが、本当にずるいくそ野郎だと思った。


それで日光は赤見が低血圧に苦しみながら起き上がり、スリッパを引きずりながらよたよたと歩いて出てくるまで待っているところだった。 日光は訳もなく緊張して柔らかいシルクのネクタイの先をいじった。 ネクタイ、早く見せたいんだけど。 仕事がある日まで朝寝坊だなんて先輩らしいというか。


赤見の公的な日程は、まるで赤見の生活パターンのように不定期に進められた。 日光が赤見から聞いたところによると、赤見が情報屋として仕事を始めた序盤は本人がお金が必要だと判断した時点ごとに忙しく著名人の秘密を集めて脅迫をしていたという。それから5年後、赤見は今持っている財産の1/3程度の経済力を築くことになった。 それこそお金を熊手でかき集めたも同然だった。 赤見はそれほど真面目なタイプでもないため、ある程度高額が集まると、国内で一流とされるファンドマネジャー数人にまた催眠をかけ、自分が集めたお金の一部を預けて投資を命令した。ファンドマネージャーたちは、赤見が誰なのかも知らず、赤見のために昼夜を問わず仕事をした。 そして現在。お金が多すぎてむしろ関心がなくなった赤見は一日一日をむやみに浪費して時間を殺していた。


なんで殺人とかしないといけなかったんだろう。 催眠術さえあれば、日本の資産家の仲間入りができるのにね。 日光は少しばかげた気分だった。


それでも今日は、7月が始まる初日だけは赤見にもしっかりとした任務がある。 赤見は催眠術師としてのアイデンティティを隠していたので、対外的には企業に浸透して高位幹部の情報を聞き出すという設定を打ち出していた。 だからアカミは一種の産業スパイなのだ。 それで個人的なことでなくても、時々このように他の企業から依頼を引き受け、その企業のライバル格の企業に投入される時があった。


「お前が一緒に行くって?」


数日前、日光が同行を提案した時、赤見はかなり慌てたようだった。


「はい。俺、もう殺し屋の仕事も辞めたんですから、別にすることもないですし」

「暇だからといってついてくるとは··· 中学生のように進路体験でもするつもりか」

「俺が学校に通っていないことを知りながら、痛いところを突くんですか? まあ、はい、ついでに先輩が言ったあれ、進路体験って言ったっけ? することにしましょう。 俺は構いません」

「私は関係ある。 私の仕事はいたずらのようなものではない」

「ああ、お願いします。 いくら先輩が催眠術師だとしても、仕事をしながら危険だったことくらいはあったでしょう。 とにかく先輩は物理的な部分で脆弱です。 その部分を俺が完璧に補完してくれるんです。 業界トップの元殺し屋が警護してくれるなんて、心強いですよね」

「いらない。 警護なんて。 お前がついてくるときっと面倒くさくあれこれ聞いてくるだろう···」


話し合いはそのように支離滅裂に進行したが、結局2人は同行するという結論を下した。 日光は、「よくは分からないが、赤美がこれまで催眠術を利用して仕事をしながら、肉体的に困難だった経験が一度以上は確かにあっただろう」と推測した。気が利く日光は、危険という言葉を聞くやいなや、かすかに揺れる赤見の瞳を逃さなかった。 日光はその日、赤見をしつこく責め、赤見の用心棒という職責を得た。


先輩の用心棒だなんて。 聞くだけでも胸がいっぱいになる言葉だ。 日光はこすっていたネクタイを無意識に握りしめ、ネクタイにしわができるのではないかと驚いて叫びながら振り払った。


「···朝から何をしているんだろう」

「あ、先輩! 起きましたね!」


日光がさっと台所に向かった。 アイランドテーブルの上にコールドサーモンサンドイッチとレモン水を出しておいた。 赤見は黙ってテーブルに椅子を引いて座った。


「今日は何も言わずに召し上がってくださいますか?」

「うるさい。 空腹に催眠術を使うと疲れやすくなり、後で面倒になる」


日光は赤見の隣の席に座り、赤見がサケのサンドイッチを小さく切り、もぐもぐする姿をにっこりと笑いながら眺めた。 赤見の片眉がちらりと聞こえた。


「何だ」

「先輩、俺、今日何か変わったことはありませんか?」


赤見が少しでもインターネット文化に慣れていたら、彼女か?と指摘した発言だったが、赤見はそんな流行とは程遠いものだったので、ただ眉間を狭めて日光をじっと見つめるだけだった。


「何が変わったんだ? 久しぶりにスーツを着てはいるね。 仕事に行くと浮かれているようだね。 興奮して失敗ばかりするな」

「あ、そういうのじゃなくて。 例えば、色とか?」

「色?」


赤見はレモン水を一口とともにサケをかんで、首をかしげた。


「あ、ネクタイが赤いね」

「そうです!どうですか?」


アカミが目を瞬かせた。


「どうだと言っても···」


日光が席から立ち上がり、スーツジャケットの襟の部分をつかんで、とんとんと振り払いながら、あれこれと姿勢を整えて見せた。 ファッションモデルのように優雅な姿だったが、当然赤見はそんな日光を見ていぶかしさ以外には何も考えなかった。 日光はそんな赤味をものともせず、気勢のいい笑みとともに長々とした説明を始めた。


「ファッションに夢中な春人が、俺にはバーガンディーカラーがよく似合うから、どうか着てくださいといつも祈っていました。 あ、だからこれも春人がプレゼントで押し付けたんです。 でも、バーガンディーは特に俺の好みではないので。 そんな派手すぎるカラーはちょっと抵抗があります。ところが、ちょうど新しい職場も見つけたし。 何か変化が必要な時点ではないかとも思うし。 それで赤見先輩の名前から取った赤いアイテムで、バーガンディーネクタイをしてみたんですが。 いわば先輩と俺の結束を表現したというか。 どうですか?」


2つ目はどうですか?だった。話を終え明らかに期待する目で眺める日光を赤見は少し背を向けたくなった。 それでも、いくら社交的でない赤見であっても、こんな状況ですべき正解ぐらいは知っていた。 赤見は返事を延ばしたい気持ちで、鮭をもう少しゆっくりともぐもぐして、やがて聞こえそうで聞こえない小さな声で答えた。


「よく似合う···」


日光が真夏のように明るく笑った。


*

大洗エピソード完

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