episode 2. 大洗 (6/7)

ガラスのドアが開き、バランスの取れた体にスリーピーススーツをおしゃれに着飾った長身の男がカフェの中に入った。 危険に見えるほど鋭い目つきがむしろカリスマ的な長所と感じられる美男子だった。


男は確かにスタイルが良かったが、過度に見栄を張るような格好ではなかった。 スーツという典型的なシンプルさの中に、男ならではの確固たる魅力がうかがえた。よどみのない歩き方や余裕のある姿勢も極めて自然だ。 当然のことながら、性別と関係なくカフェの中のほとんどすべてのお客さんの感嘆と羨望が入り混じった視線が男に集まった。男もきっとその関心のスポットライトに気づいたはずだが、彼は特に負担を感じている様子ではなかった。 男は何の努力もなしに空間の雰囲気を圧殺してしまう自分の優越さに慣れているように見えた。おそらくあの男は一生あのように生きてきたのだろう。 だから、赤見の催眠術にかかる前の日光正義という男は。


日光が近づくにつれ、赤見は日光の短く端正な前髪の下に長い眉毛と形の良い額がはっきりと現れたのを見て、あの額にもう一度指を弾いてあげたいと思った。赤見は一日の半日以上を日光が現れるのを待つのにうんざりするほど浪費してしまったのに。 自信満々で意気揚々と笑っているのんきな顔を見ていると、かんしゃくがこみ上げてきた。


「こんばんは、先輩! すぐに来ようとしたのですが、途中で処理する他の用事を思い出して少し遅れてしまいましたね。 家に寄って服も着替えなければならなかったし。 それで電話に出られない···」

「お前は私をバカだと思っているのか? 営業終了時間の5分前に到着するのを少し遅れたとは言わない。 そして、お 前は私の奴隷同然の立場だが、他の用事だと? 家に寄ってきてか? 一緒にいるからって、お前が本当に後輩にでもなれると思ってるのか? 勘違いするな、生意気な奴。」


赤見は日光が自分の向かいの椅子に座ろうとした瞬間、テーブルを蹴って立ち上がり、非難を浴びせた。 赤見はカフェの外に出て、薄暗くなった夜の街を頑なにかき分けて歩いた。 日光は赤見の悪口に傷つくよりは、いつもより冷静でない赤見の言い方と態度に戸惑って、ただ赤見の後を追った。


「先輩、もしかして早く出ましたか? 時間は決められない状況ではあったが、どうせ場所ははっきり分かっているから遅く出てきても大丈夫だったのに? 俺が先に来て待っていても会うことはできるじゃないですか。 俺も当然、営業時間が終わるまで待とうと思いました。 先輩なら絶対に夜遅くに出てくると思ったから··· どれくらい待ったんですか? まさかカフェのオープン時間から待ってたんじゃないですよね」


最後の言葉は軽い冗談だったが、アカミはパサついた髪の毛が後頭部を窮屈に覆った黒い後頭部を見せるだけで、返事がなかった。 は?日光が空息を吐く音に赤見の眉間がギリギリに狭まった。 いつからか日光の靴音が聞こえなくなり、赤見もその場に立ち止まった。赤見はためらった。 後ろを振り向くのが嫌だった。 振り返れば負けるようだ、そんな幼稚な意地が張った。 それならこのまま放っておいて歩いてしまえばいいじゃないか。 そうすればいいのに、どうも足が重い。


渋谷の繁華街の夜の街は、調和のとれた配慮心などまったくないかのように、お互いに自分だけを前面に出すのに忙しい色とりどりの看板で騒々しかった。赤見はそのほうがいいといつも満足してきた。 それだけがこの大都市の長所ではないか···?そうじゃない? 皆が誰ともかみ合う意志がなければ、一歩も退かずに見向きもしないつもりならば、自身もただその利己的な看板の一つとして平凡に存在することができた。 他の誰とも交わることができない醜い孤独を非難されることはなかった。


「お酒は強いのかな?」


いつからか、床に落ちていた赤見の頭がひらめいた。 日光はいつの間にか赤見のそばに寄り添い、大きな手を丸くして握り、杯をめくるふりをしていた。


「急にどういうことだ」

「カフェラテはもう飲んだだろうし。 時間も遅れたからお酒でも一杯飲もうということです。 ここから反対方向に少し行くと、春人にたまに引っ張られるところがあるんですよ。 あいつの好みが厳しいので、そのバー、さっぱりしていてお酒の味もいいです。 ホテルにすると星4つくらい? 正直俺は老舗とかで飲む熱々の日本酒派なんですけどね。でも先輩は甘いものが好きじゃないですか? 毎回シロップをたっぷり入れた飲み物だけ選んで、カルトチオもセロリだけ残して。 甘みには鈍く、苦味には敏感なんだなと思ったんです。 そこはカクテルバーで甘いお酒もあるので、先輩も喜ぶと思いますよ?  俺が買います」

「···何を言ってるんだと話した。 私たちがどうして一緒にお酒を飲まなければならないのか?」


まだごわごわしている赤見を見下ろしながら、日光はこの要領の悪い男が少し残念になった。


すみませんが、俺、今全部分かってしまったんですよ。 先輩は実は俺が嫌いじゃない。 俺が死ぬことを望んでもいない。 むしろ早く会いたくて、朝早くカフェに出てこの時間まで俺をずっと待ってた。だから先輩は俺を殺せない。 殺せって命令する気なんて最初からなかったから。 ただ状況に合わせて振り回されるふりをすれば、その気さくなプライドを守りながら、俺と交わることができるから。 それで、俺に連れて行かれてあんなにめちゃくちゃに殴られても、ずっと俺のそばにくっついていたんだ。 涙まで直接拭いてくれて。


でも、俺もバカではないから、それが俺という存在に対する個人的な感情ではないことは分かる。 先輩はただ、誰でもいいからそばにいてくれる他人を望むだけなんだな。それで、俺に向かうその目の中には虚しさしか映らなかったのだ。


明らかに可哀想なこの皮の間を少し掘り下げるタイミングなのかどうか。 日光はしばらく葛藤した。


日光という剣の柄はすでに赤見が握っている。 ところが、赤見は剣を握ることを望まなかった。 少なくとも、そうだと自信している。 そして逆に、日光は赤見を求めている。 アカミが自分を引き抜いて、何でも切り、どこでも振り回してくれることを願う。手に負えない剣に食われて狂ってしまった武士のように、その命が尽きるまで自分を取ってくれることを願う。 この格差が二人の関係に権力の差を形成し、日光にとって一歩一歩踏み込みにくくしていた。


先輩が他の人だったら簡単だったのに。 他の人たちにそうしたように覗き込んで、全部把握してしまい、肉体という表面などは壊れてしまうほど延々と近くなり、傷つけてもそれを喜んで受け入れるほど、俺を願わせて、もう何も構わないほど楽しくなればよかったのに。


ああ、しかし、先輩はその種の人間ではない。 一緒に真っ黒に消尽してしまうまで愉快に灼熱できる花火ではない。 先輩は氷だった。 繊細で、陰気で、弱く、卑怯だ。 その中身が知りたくて割ってしまうと、そのまま全部取り返しのつかないほど壊れてしまいそうですね。 先輩という人。


日光は気をつけなければならなかった。


「俺がなぜ遅れたかというと」

「今さら言い訳なんか聞きたくない」

「では、俺が一人で話すから、聞いても聞かなくても先輩の勝手にしてください。 とにかく、俺は家を処分してきました」

「え?なんで···」

「今回の別れの旅行の件、あまりにも急いで実行した計画だったので、後になって調べてみたら、中途半端な点が多かったです。 俺は自殺者に分類されるべきですから、あらかじめ身の回りの整理をした跡を残すのが正しいじゃないですか?それで家主に連絡して、まあ。 そして残った財産も少し整理しました。 ついでに保育園に寄付したんですが、それはただ先輩と大洗で話したことを思い出して。俺たち二人ともあまり良い環境で育つことはできなかったじゃないですか。 殺人者がこんなこと言ったらちょっと面白いかもしれませんが、子供たちは良いところでよく育ってほしいです。 俺は俺がめちゃくちゃ大変だったからといって、他の人までそうしなければならないとは思いません」


赤見はようやく日光と向き合った。 安っぽいネオンサインから流れ出た妙なピンク色がぼんやりとちらつく間に、日光が着た白いシャツの襟の上の傷が目についた。紫色のあざが間違って飛び散った染みのように広がっているその首を見て、赤見はその中で脈動しているはずの日光の命を思い出した。 涙がろうそくの溶けた蜜蝋のように落ちていた拳を握った手の甲と、その肌からドキドキしていた青い筋が思い出された。日光はやはり、いきいきと生きている。 赤見は今の日光を浴びているすべての色に目がしみる。 痛い。


日光は相変わらず、まるで催眠術について何も知らないかのように平気で目を合わせてくる。 濃い目つきの中で恐ろしいほどはっきりとした黒い瞳が、アカミの胸に抵抗もなく勝手に抱かれてくる。


赤見は幼い頃から魂の存在を信じなかった。 自分の催眠術に惑わされる脳というつまらない臓器などに、魂のような高次元的な概念をつける人間たちをあざ笑ってきた。しかし、もしそんなものがあるとしたら、そんなものがこの世に本当に存在するとしたら、カフェオレを落とした横断歩道を通って日光の前を塞いだその刹那の瞬間の間、自分がそれを創造して日光に握らせたのではないかという気がした。


もちろん、すべてがばかの虚しい妄想にすぎない。


「お前, これから何をどうするつもりなんだ」

「何がですか」

「家とお金がなければ、これからはどうやって過ごそうとしているのか」


日光がにっこりと笑った。


「俺、永遠に先輩を殺そうとするでしょうに。 それでも大丈夫ですか?」

「大丈夫じゃない。 気に障るし、気持ち悪い」

「それから、怖いですよね」


赤見は返事もなく振り向いて歩き出した。 日光がバーがあると言って手招きした方向へ。 日光は赤見が間違った路地に入る前に早く先頭に立った。


「気が変わったなら、前もって言っておくべきではないですか? 俺、もう完全にすっからかんだけど? 本当にどうするんですか?」

「電話にも出なかったのはお前の方だ。 お前の奢るお酒、楽しみにしてるよ。 残り少ない全財産を壊してやる」

「良心はありますか? いっそのこと乞食におごってもらいましょう」

「あまり好きでもない飲み会に参加してくれることをありがたく思え」

「はいはい。仰せのとおりにします。 ···でも、俺、先輩の家に入って暮らしたらダメかな? 先輩、お金持ちだと言ったじゃないですか」

「絶対だめ」


1時間後、日光はピニャ・コラーダ、一杯で完全に伸びてしまった赤見のジャケットを探し、運転免許証に書かれた住所に赤見を連れて行かなければならなかった。 情報屋の家にしては、ドアロックのセキュリティがずさんでよかった。 これを新しく付ける時は最新モデルを改造して付けておかないと。


日光は赤見の居間のソファに長く横になった。 ソファーがあまりにもふかふかで、日光は自分でも知らないうちにうとうとしてしまった。

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