episode 2. 大洗 (2/7)

「そうしよう。 お前が死ね」

「これが催眠命令だったら、俺はすぐに死んでいたでしょう。 どんな方法でも」

「そうだろう」

「俺は本気で提案したんだから、先輩も本気で応えてください。 考えただけでも可能だって」


日光は静かな目で赤見をじっと見た。 赤見はそんな日光に背を向け、日光の居間の片隅にある大きな窓だけを眺めていた。ほとんど暮れ行く夕焼けの残滓が赤見の憂鬱な顔の上にかすかに引き込まれて来て、彼の青白く見えた皮膚の上にも生きて燃え上がる炎のような赤みがぼんやりと漂っていた。


日光には催眠術のような超能力はなかったが、人を見抜くという鋭い眼目があった。赤見彰。 年齢は30代後半から40代前半ぐらいかな。赤見は自分の世代に合った流行やスタイルなど全く気にしない古臭い姿だった。額と耳、首が全部覆われるまで自分勝手に育つように放っておいたことが明らかな硬い気の黒髪がその予測を後押しする。


実は、赤見の細長い顔型と目鼻立ちそのものの審美性は、なかなか悪くない。しかし、暗い顔色と陰になった目の下の、感情が欠如したようなぎこちない無表情が陰気な雰囲気を醸し出した。催眠をかける時を除けば、視線を合わせることができず、逃げ回るのに忙しい黒い瞳。やせさらばえた体に小背。 印象をよくしてくれない濁った色のジャケットと首の部分が伸びたTシャツ。中途半端なフィットの古いズボンとスクラッチだらけの靴は、一体いつ買ったのか見当もつかない。命令でなければ、まともな文章を駆使することもできない哀れな話術はどうか。


赤見彰は、一般的な状態の日光なら、平凡な落伍者だと結論付けたはずのみすぼらしい格好の男だ。常にあらゆる面で人の優位に立ってきた日光としては、実は赤見のようなタイプの社会不適応者がよく理解できなかった。もちろん催眠にかかっている今のところ、赤見のどんな部分でも全部分かってあげたいけど。


一つ確かなことは、この男には人を殺すだけの度胸がない。 偶発的な事故でなければ、この男は決して殺人者にはなれない。 日光は確信した。


先輩は可哀想に臆病ですね。 俺にはとても幸いです。俺ならすぐに俺に死ねと命令して簡単に片づけてしまうのに、気の弱い先輩はその方法だけは最後まで選ばないから。だから、むしろ俺の方から先に選手を打てば、先輩のためなら俺の命までも捧げることができるという信頼を与えてくれれば、今の状況から関係をもう少し進展させることができる。先輩の肯定的な関心を、究極的には先輩との信頼関係を引き出すことができる。先輩との信頼関係··· なんて素敵な言葉なんだろう!その前に先輩に嘘をたくさんつかなければならないんだけどね。


「俺が死ぬのが先輩が一番安全な方法です。 俺の死体は見つからないように気をつけます。だからそもそも捜査なんて始まることもないでしょうが、もしそうだとしても先輩が関わることもないでしょう。 キラーである俺ならそうすることができますよ」


日光はどんな文章が赤見の心にもっと近づくことができるか悩んだ末、ついにくさびを打ち込んだ。


「俺が殺人についてよく知るようになった理由は、このように生きてきた理由は、先輩のために死ぬためだったようです。 だから俺が手伝えるようにしてください。 赤見先輩」


赤見は日光を振り返った。 虚しい笑みが彼の薄っぺらな唇に切なくぶら下がっていた。日光が体を震わせた。 あ、この人。 こうやって笑うと、少し···。なんとなくボーっとしている日光に赤見がうなずく。 催眠命令ではなかったが、日光の死を許す確かなジェスチャーだった。


「···それでは最後なので、先輩、俺の願いを一つだけ聞いてください」

「願いだって?」

「たった一日だけ俺に貸してください。俺にとっては最後の一日だから、先輩と一緒に過ごしたいです」


···その程度なら。 日光の意のままに赤見がうなずいた。 日光がにっこり笑った。


「それでは今日は休んで明日の朝に出発しましょう。 夕食は本当に食べないんですか? 何も? 俺の料理、本当においしいんですよ。 一つだけでも召し上がってください。 普通のホテルのレストランの料理よりましです」

「はあ、じゃ、ちょっとだけ」

「よく考えましたね。 何を召し上がりますか? 色々やったんですけど。 そういえば、先輩はどんな食べ物が好きですか? アレルギーなどは?」

「アレルギーは特にない。 好みは海産物の方かな··· 魚とか」

「じゃあ、スズキのカルトチオで。今はスズキが旬なので、それが一番おいしいです」

「カル···?」

「カルトチオ。 イタリア式オーブン焼き魚です。 魚がお口に合えば、きっと気に入ると思いますよ」

「私は和食の方が好きだが···」

「あ、そうですか? まあ、それが先輩と似合いますね。 これからは参考にします」


ああ、日光が料理が積まれているアイランドテーブルの方へ歩いていると、立ち止まった。 日光は平気でまた動いて、スズキの料理が載った皿を手にして、背を向けながら苦笑いした。


「その必要はないですね。 これからというのはありませんからね」


二人の男は静かに夕食を食べた。日光は皿洗いをしながら残った料理をすべて捨てた。 赤見はもったいないという気配を見せないように努力しなければならなかった。 人の命も捨てるようにさせたのに、たかが食べ物を捨てることに惜しむなんて。 自ら考えても見せかけに感じられたからだ。


*


赤見と日光が乗った車が茨城町東ICを通っていた頃だった。


「そうして、殺人請負業の道に入ったのです」


日光がわざと不気味に脅そうとする声を出して、赤見は呆れて眉をひそめた。


「結局、あの黒崎(くろさき)というやつさえいなければ、お前が殺し屋になることはなかっただろう。 平凡な興信所を運営していたはずだ」

「果たして?俺がキラーになるのは結局時間の問題でした。 俺は仕事を選り分けるつもりはなかったし、ずっともっと報酬が大きい件を探し回っていたからです。春人(はると)はつまらない仕事もたまに任せますが、大体殺人専門の仲介業者なので、俺以外にも他の殺し屋をたくさん知っています。春人曰く、初めて会った時から俺ならキラーの仕事ができることを知っていたそうです」


赤見は何と答えたらいいのかわからない気分になった。 それに気づいた日光は愉快な態度で言葉を変えた。


「まあ、それにしても。 とにかく当然ですが、優しいお母さんと厳しいお父さんの下で、兄や妹とたまには喧嘩しながらも友愛を積みながら育ち、学校で色々な知識を学び、たまには甘い初恋も味わい、進学と就職の中で悩んで··· こんなことは俺とは程遠いということです。 俺には最初から誰も、何もなかったし」


日光があご先を傲慢に持ち上げた。


「だから今俺が持っているものはすべて俺の能力で成し遂げたのです。 俺の家、俺の名声、俺の力、俺の技術」


日光の顔に明るい自負心が浮かんだ。 精一杯高揚した彼は、まるでテレビに出る成功した資産家のように強靭に見えた。あんなに怖いものなんて何もなさそうな男なんだね、元々は。赤見は日光を見てそんな男が赤見に捨てられるのではないかと涙声で話すこの状況が改めて本当に不思議に思われた。赤見がそのような考えをすることを全く知らない日光は、自信に満ちた口調で話を続けた。


「俺はそれを誇りに思っています。 今の俺が気に入ります。 他人の判断や評価なんてどうでもいい。 そんなことはお断りです。」


赤見はふと疑問を抱き、日光に質問した。


「他のことを聞いてもいいのか?」

「先輩なら何でも」

「それではお前は··· お前以外に好きなものは何だろう?」


日光がまばたきをした。


「人を殺して大金をもらうこと?」

「つまらない冗談を言うな」

「はい、はい」


赤見が唸って、日光はハンドルをパクパクと叩きながらくすくす笑った。


「俺以外に好きなものって何だろう、やっぱり赤見先輩でしょうか」

「はあ、そういうのじゃなくて」

「そうですね、ふむ···」


日光が目を丸くした。 笑いにあふれたハンサムな顔が無表情に沈む。


「特にないですね」

「何かあるだろう。 料理することとか。 昨日食べた、カー···? その魚料理、正直すごくおいしかった。 朝食に食べた明太子お茶漬けも」

「何もできないのが嫌で、あれこれ習っておいただけです。 先輩、俺が料理以外に何がお上手なのか知ったらびっくりすると思いますよ」

「そんなに上手なのに関心がないのか?」


日光は何気なくうなずいた。


「本当に何も好きになったことはないけど? 全部うんざりしてひどくないですか? 生きていくこと。 俺だけかな?」


それは赤見も知らない心ではなかった。 むしろよく知っている方に近い話だ。だが、赤見が聞きたかったのは、ただ好きな色とか、趣味のような軽くて単純なものばかりだった。 こんな風に雰囲気が流れるとは全く予想できなかった赤見は、少し気まずくなった気持ちで日光の言葉を聞いていた。


「好きになろうとしても好きになれませんでした。 何も感じられなかったから。でも先輩のことを考えると··· 先輩を見ると胸がいっぱいになります。 熱いし、ドキドキして気持ちいい。だから先輩だけが好きなんです、世の中で。俺は先輩に借りがあります。 こんな感情を教えてくれたから。これが俺にとって唯一のチャンスかもしれません。 このようにでもしなければ俺は誰かを心から好きになることはなかったでしょう」


心、変な言葉だ。 世の中のどんな心が強要によって引き上げられるのか。


「誰かと親しくなりたかったこともないし。 こんなに話したかったこともなかったし。 でも、やってみたらいいですね。 人々がなぜそうするのか分かる」


やめろ。黙れ。


「ありがとう、先輩」


その優しい声に赤見は口の中の舌をかみしめた。 車はスムーズに止まった。 日光が死ぬために、大洗サンビーチに到着したのだ。

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