episode 2. 大洗 (1/7)
「車にはあまり興味がないのか」
「はい?」
赤見が助手席に座ってシートベルトを締めながら投げかけた質問に、日光が首をかしげた。
「住居環境に比べて車の水準が落ちるような気がして言っている」
ああ、日光はようやく理解したように、すり減ったハンドルの上に置いた指の先の節をぎょろぎょろさせながらくすくす笑った。
「まぁ、ベンツでも乗せてくれると思いましたか?」
「渋谷の都心でそれだけのヴィラをレンタルするほどの財力なら、それでも余るだろう」
日光の自動車は、国内の中小企業でこれといった冒険心や野心なしに適当に出したモデルだった。 市場でも安い価格にしてはまあまあ無難だという評価が支配的だ。 購入する時も、わざと使用感を増すために、知り合いの情報商を通じて中古で購入した。 車体のカラーは日本人が最も好むという白。 日光の好みではなかった。
「高い車を運転しながら関心を集めてもいい仕事ではありませんから。 平凡に見えるのが最高です。 そんな高級住宅の駐車場にこんな古物みたいな車があったら変に見えるかと思って、面倒でもこんなに遠くにある共用の駐車場まで使っているじゃないですか」
赤見は返事もせずにすっぱい表情で窓の外を眺めた。 几帳面にサンティングされている窓は、あえてそうではなかったとしても外がまともに見えなかったに違いないほどほこりが厚く積もっていた。
日光は滑らかな運転の腕前で駐車場を出る時も、瞳だけを少し転がして隣の席を見回した。赤見は相変わらず窓の外を見ていたので、日光とは反対側に首を回していた。 それで日光は赤見の襟首を覆った黒い後頭部だけを見るしかなかったが、残念ながら日光は気が利く方だったので、赤見の気持ちが床に落ちていることが容易に分かった。
「あのさ、ちょっと楽しいフリでもしてくれませんか?」
あ、間違えた。 意図したよりも硬い声が勝手に飛び出して、日光はすぐに後悔した。しかし、赤見が依然として沈黙し、日光を見向きもしなかったため、日光はただ心の中で浮かぶ言葉を投げ続けてみることにした。今だけはどんな反応でもいいから回答してもらいたいという、苦手な小学生の男の子のような幼稚な気持ちが赤見に嫌われるかもしれないという恐怖に打ち勝ってしまった。
「もしかして車が悪くてがっかりですか? もちろんそんなばかげた理由ではないでしょうが。俺が自分の職業について話す度に固まるのを見ると、やはりそれが問題なのか? 俺ははっきり言いました、先輩が望めばそんなことすぐにでもやめると。でも、もうそうする必要もなくなったじゃないですか。 俺は今回の催眠が解ける前に自殺するから。 先輩を、傷つけたくないから」
交差点の赤信号の前でしばらく車が止まった。 言葉が途切れた日光がハンドルの上に額を当てながら倒れるようにうつ伏せになった。
「その前にたった一日だけ一緒にいてほしいと言ったのが そんなに嫌なんですか···?」
もちろん嫌だろう。 馬鹿みたいな質問だ。 先輩は俺に少しの好感度、いや、関心さえない。日光はその事実を骨の髄まで知っていた。 先輩が自分を見る目からは後悔と挫折、疲労感以外には何も感じられなかった。 つらい。
···でも、それでも大丈夫です。 それでもいい。 先輩への敬愛で胸が爆発しそう。 先輩のためなら、先輩とずっと一緒に過ごすためなら何でもできるよ。
「信号が変わった」
思いやりのない無情な手つきで赤見が日光の額を力いっぱい押しのけ、日光の指の上でハンドルを握って半回転させた。踏んで。 あかみが言った。日光は黙って従った。 青白い肌の下の骨の節が目立つ赤見の手は日光の手より小さく細くて、乾燥しながらぬるかった。車はスムーズに右折し、もう少し広い道路に進入した。 赤見がハンドルから手を離し、ズボンのポケットに再び手を突っ込んだ。
「別離旅行と言ったっけ。 私としては初めて聞く言葉だが」
突拍子もない言葉だったが、日光は久しぶりに先輩が試みる会話が途切れてしまう前に素早く答えた。
「最近のカップルは別れる前にするんです。 一種の最後の思い出づくりのようなものです」
「私の言うことの要旨がまさにそれだ。 どうしてカップルになることを私たちがしなければならないのか···」
「はは、先輩と私はカップルよりもっと緊密な間柄だからそうでしょう?」
「はあ···」
赤見の顔が日光の方に戻った。 相変わらずぶっきらぼうな無表情だったのに、その顔には確かにどこか柔らかい部分がうかがえた。
「こんなロードトリップは私の好みじゃない」
「すごくぶつぶつ言ってるね。 先輩の好みというのはどれだけ上品か聞いてみましょう」
「喫茶店や家で一日中休むんだ」
日光が椅子のヘッド越しに首を反らし、大声で笑った。
「先輩、予想はしていましたが、思ったより面白くない人ですね。 すみませんが、私の最後の日をそんなに虚しく浪費することはできません。 別れの旅行といえば、当然海を見に行きますよ」
「30分でお台場に行けるのに、わざわざ2時間もかかって茨城県まで行かなければならない理由は?」
「お台場は海に入ることもできないじゃないですか。 そして都市的な風景もあまり良くないです。 いいえ、あまりではありませんが、最後に訪れる場所としては気に入らないという意味です。茨城県の大洗サンビーチはサーフィンもできる上、家族連れの観光客も多いそうですよ」
「サーフィン···無理」
「誰も先輩にサーフィンとか期待しないから心配しないでください」
赤見はその言葉に安心するべきか気分を害するべきか少し迷ったが、とにかくサーフィンをするのは嫌だったので、おとなしく聞いていることにした。
「ただ、俺は、他の人とそういう所に行った事が一度もないですからね」
赤見は運転中の日光の横顔をちらっと見た。 高くてまっすぐな鼻筋と硬くて繊細なあごのラインの組み合わせが驚くほど絶妙な美しさを噴き出した。このまま死ぬんだったら、明日死ぬにはちょっともったいないかも。 だから、日光についてもう少し調べてみたらどうだろうか。 こう見えても情報上じゃないか? それにこいつ、キラーだからいい情報があるかもしれないし。
「普通は学校から行ってくる、そういうところは。現場学習とか」
「まあ、そうらしいですよ」
会話が続くことを期待して軽く投げかけた話題にも、日光がうなずいた後、何も言わなかったため、赤見は眉をひそめた。
「···お前、学校に通ってなかったのか?」
日光は肩をすくめた。
「俺の記憶ではですね。 先輩は俺が一般人と似たような思い出を作りながら高校まで無事に卒業して殺人請負業者として就職したと思いますか?」
「そりゃあ···」
「何も考えていなかったでしょう。 先輩にとって俺は何でもないから」
赤見が口をつぐむと、日光が指でハンドルをリズミカルにたたいた。パチパチという音だけが車内を幽霊のように漂っていた。 日光はしばらく間をおいてからすぐに話を続けた。
「ごめんなさい。まあまあです。 大切な人とそういうところに遊びに行くこと、みんなそういう経験くらいはあるんだから俺も一度はやってみようということです。 死ぬ前に」
車内は再び沈黙に包まれた。 赤見は日光の言葉をかみしめた。 大切な人なんて、赤見としては誰にも聞いたこともない重い言葉だ。そして滑稽でもあった。 そう言う日光は明日にはこの世から消えてしまうかも知れないやつなのに。自ら操作した好意さえも自分の便利のために投げ捨てる赤見は、なんと卑劣な全能者なのだろうか。
日光の車内ナビゲーションによると、大洗サンビーチまでは1時間20分残っていた。
「今までどう過ごしてきたのか言葉を···」
赤見は日光の目が自分の方を向いているのを感じた。
「ふむ。表現を、だから、ちょっと違うようにしようか。 だから、う···」
赤見はため息をついた。 命令でない言葉はなぜこんなにも難しいのか? 赤見は石原を頭の形が派手でうるさく付きまとう情けない奴だと思っていたが、いつも空白なく話を続ける彼の巧みな話術だけは羨ましく思わざるを得なかった。
「だから、私に聞かせてほしい。 聞きたい」
日光の手がハンドルを力いっぱい握って皮が引き締まる音がした。
「先輩に俺の過去について話せということですか?」
「そうだ。もし言いたくない部分があれば、その部分は除いてもいいし。 これは催眠命令ではないから」
「おお、寛大ですね」
「うるさい。 早く言え」
「はいはい」
日光がにっこりと笑った。
先輩、なんで優しくしてくれるんですか? 明日死ぬ俺が可哀想になりましたか? それともやはり良心に呵責でも感じているのか?
そう聞くミスは犯さない。 日光は自ら懐に転がり込んできた機会を無駄に逃してしまうほど愚かではなかった。むしろ全く逆だった。 彼は生まれつき鋭くて抜け目がないので,目標とするものは何でも失敗したことがない。
はは。先輩は俺に間違って捕まりました。 俺はね、明日死なないんだよ。24時間以内に先輩の気に入ったら、俺はずっと先輩と2日に1回ずつ会えるのに、俺がどうして死ぬの?でも、先輩のために死ぬとまで言ったら、先輩は俺がますます気になるでしょう? こうやって、今みたいに。俺が望むのは一つだけです。 俺はもう先輩のものだから、先輩も俺のものになればいい。そうすれば、俺たちは永遠に一緒に幸せになれるのです。
そうじゃないですか?
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