第5話 ときめきの未解決問題

今日おまえの店行ってもいい?いや、俺の店じゃないんだけど。そんな会話をしながら仕事前のひげそりを終えた雄大がスラックスに足を通して、そうして抗議の意でも込めたかのような表情でこっちを見てきた。いい男だなあといつ見ても思ってしまうのは、俺が惚れっぽい性質でも持っているからなのかどうなのか。答えは誰も知らない。だって俺本人がなにも知らないのだからしかたがない。惚れっぽいかと聞かれればノーだし、そもそも雄大のことをいい男だと思うにしても、雄大と付き合う未来だけは考えたくないんだから。親友に手を出すと関係が終わるとかそういうありがちな話じゃなくて、俺は恋愛だとか恋人に夢を見ているし、夢を求めるからだ。どうせなら夢みたいな話のほうがいいだろうし、そっちのほうがうまくいったときにしあわせになれるんじゃないか、って思ってるところもある。そういうのをギャンブラー体質と雄大が煽ったのなんて、もはや数え切れない回数だ。ギャンブラー体質で何か悪いことがあるかと聞いてやりたい。どうせなら幸せな恋愛をしたいって思うことの何が悪いのか。ノンケに恋をしないように防波堤を作るのだって、結局は幸せな恋愛をするための策じゃないのか。言ってやればきっと同じだけの反論が帰ってくるし、ときどきは喧嘩をする俺たちなので、そういうときにこれを言うと雄大は激高する。それでも今に至るまでルームシェアを終了させないでくれるのは、やっぱり雄大の優しさから来ているのだと思う。


「で、おまえのバー、今日行ってもいいよね?」

「いいけど、なにすんの」

「湊、今恋人募集中なんだってさ。おまえも湊のこと、気になってんでしょうよ」


私にはわかるんです、と鼻高々に言う雄大。その鼻ごとつかんでへし折ってやりたいなどと考えながら、否定してもしかたがないのでゆっくりと頭を縦に動かしてやった。雄大の幼なじみならば少しは何かしらのものをセッティングしてくれるだろうし、小鳥遊さんも恋人を募集しているのなら、そこに俺が立候補してもいいかもしれない。自分から告白は緊張するしそういうお作法もわからないからできないけれど、雄大のセッティングの元で話をしてみて、それでうまくいったら告白、というかお付き合いを申し出たりしてもいいんじゃないかって思う。今まで自分が積極的になるような恋愛を一つもしてこなかったツケがこんなところに回ってくるとは思わなかった。できないものはできないでいいじゃないかと思うけれど、そんなことをやっていたら今度は小鳥遊さんが俺に興味をなくしてしまうかもしれない。今興味があるかどうかも不明だけれど、まあでもそれはこれから一緒に過ごしたり雄大も混ぜたりして、俺に興味を持ってもらえばいい。

恋愛ってこんなに難しかったっけ。あれこれと考え込みながら、今なら俺は世の中にあふれている未解決事件の捜査でもしているような気分になる。数いる名探偵のなかで、今の俺が一番頭が良いかもしれない。こういうことを口に出して雄大に言うと、こいつはまたしても俺のことを否定してくるので、ちょっとむかつくしちょっと切ない。他に誇れることがないんだからいいじゃないか。恋愛ってマニュアルがないから、いや見当違いのマニュアルなんかが女性向け雑誌に掲載されているのは知っているけれどそれは俺の場合は不適合なので、結局マニュアルがないまま恋愛に挑まなくちゃならない。普通なら小中やら高校時代くらいで一回、告白してフラれる、みたいなこともあるだろうなとは思うんだけど。俺はなにしろ自分から積極的に恋愛に身を乗り出したのは今回が初めてだから、もう初恋といっても過言ではないのかもしれない。かもしれないだらけだ、頭の中。俺は本当に早見望夢なんだろうか。自問自答。そもそも付き合っていない人間同士はどうやって仲を深めていくんだろうか。一緒に遊んだり買い物に行ったりするのかな。一緒に遊ぶのはいいけど、そのときに意識されていなかったら、普通に断られて終わりになってしまうんだけど。一緒に買い物に行くのだってそうだ。最初の一歩がまず問題だらけで驚きを隠せない。世の中の恋愛をしているひとたちはみんな、こうやって恋愛を始めていくんだろうか。自分のことを好きかどうかわからないひとのことを、どこかに一緒に行こうって誘ったりすんのかな。俺、そういうお誘いは受けたことがなかったな。小中時代はとにかく女ってものに興味なかったし。高校入ってからはうんざりするほどに告白されたけれど、それも全部告白されたことによって俺が相手の名前を知る、みたいなものだった。改めて自分がその渦中に置かれたことによって、背筋がぞっとする気持ちになった。みんなすごい勇気振り絞って俺に告白してたんだな。俺は女じゃイけないのに。


「で、どうなの?今夜はミヤちゃんは忙しいの?」

「源氏名で呼ぶなバカ」


誰かに聞かれてたらどうすんだ。こう見えてもミヤちゃんはお客様の間で人気の看板息子なんだぞ。ストーカーができちゃうかもしれないだろ。できっこないんだけどさ。そこまで愛されているわけでも、執着されているわけでもないからさ。


「湊とさあ」

「おまえ出勤時間もうすぐだけどいいのかよ」

「私のタイムスケジュール把握してくれてるじゃん、これこそ愛よ」

「他に愛があんの?」

「ミヤ……怖い顔すんなって。望夢が湊に対して抱いてる感情だって愛だよ」

「性欲じゃなくて?」

「恥じらいってもんがないよねおまえさ……」

「本題に入れよ」


こちとら世間でいう夜勤明けみたいなものだから眠たいんだよ、早く話せ。話題の中心をくるりと反らすような話し方をするのはいつもだけれど、いつも以上に本題に入らずに雑談をしているから、ちょっとイラッとしてしまった。さっき小鳥遊さんの名前も出てきているし、なにしろ俺は俺で小鳥遊さんのことが非常に気がかりでならない。恋人募集中ってそんなのは、あんなに格好良いひとがいうもんじゃないはずだ。絶対モテるでしょ。えり好みした結果で恋人募集中なのかな。そこに俺がエントリーしてみてもいいのかな。心の奥の方がぴょんぴょんと跳ねて回るのを必死に隠すように、勝手に弧を描こうとするくちびるのあたりを隠して、そうして聞いてみることにする。俺が恋人に立候補してみてもいいのかな、って。深呼吸を三回してから口を開いて、無関心そうに。いつもの俺みたいにだるい感じで聞いてみよう。だって幼なじみに発情する同居人なんかイヤだろ。普通は。まあ雄大は普通じゃないからいろいろとしかたないにしても。


「あのさ」

「おまえ今、私が変態だから日本語通じなくても仕方ないとか思ったでしょ」

「なんでバレてんだよ」

「もう決まり。今日はおまえのバーにいきます。湊とのデート計画を立てましょう」


セッティングは私がしました、と言いながらシューズに足を入れて出勤の準備を整えた雄大が、そのまま玄関扉を開けてしまった。ああー、ちょっと待ってくれよそんな爆弾落として行くなって。どうしてすでにデートの約束が取り付けてあるかわからないし、どうしてそんなに俺と小鳥遊さんをくっつけようとしているのかもわからない。わからないだらけで勝手に仕事に行かないで欲しい。こっちはバーが開店するくらいの時間までずっと、一人で悶々としていなきゃならなくなってしまっただろ。一度言われたことを忘れるなんて、そう簡単にできるわけもないし。支度を整えて玄関を出る雄大をにらみつけながら、ひとりでいろいろと考えてみる。

小鳥遊さんはどうやら本当に恋人募集中で、わざわざそのことばを俺に雄大が言ったってことは、俺にもチャンスがあるって理解してもいいんだろうか。俺が恋人候補に立候補してもいいってことかな。バイもゲイもとにかくそれぞれ強烈な好みを持っているひとが多いから、俺が恋人になりたいと言って手を上げたところで、それが採用されるかはわからない。けれどもゲイやバイというのは世の中で言えば少数派なので、ある程度妥協して行かないといけない部分もある。俺はあんまりこだわりがないから、俺のことを好きになってくれたひとのことを好きになってきたつもりだけれど、それでも俺と付き合った男性たちはみんな、ゲイっぽくないねとひどいことを言うのだから勘弁して欲しいものだ。ゲイっぽくない見た目をしているなんてこと、付き合う前からわかってるはずだろうが。いかにもゲイです、みたいなビジュアルは俺だって欲しかったよ。せっかく両親が今はやりの中性的な顔に産んでくれたのに、それを全否定するようなことばかり言われてきた。ノンケのほうがモテただろうにゲイなんだね、かわいそうに。そんなことを言われたこともあった。大きなお世話だし、俺だってゲイっぽくないからゲイをやめます、なんてこともできるはずもないし。恋愛する相手を選ぶことができるのなら、俺だってとっくに選んでいたはずだ。自分のことを好きになってくれる男性なら誰でもいいなんて、本当に心の底から思っているわけがない。そういうことを言わないと、俺と付き合ってくれるひとなんかこの世にいないからだ。俺すらも俺を愛することができないのだから、そういうやつと付き合うやつっていうのは、やっぱりろくでもないやつが多い。

思えばいろんなやつと付き合ってきた。この間別れたばかりの腕つかみ野郎なんかはもうかわいいもので、実際はもっとひどいDVをしてくる男と付き合ったことだってあった。殴られても叩かれても、無視されるよりはいいかと思って、そのまま歯を食いしばって暴力に耐えたこともあった。その頃にバー、というか当時はもっとスナックっぽい店構えだったけれど、そこで働き出したので、当時の常連客はかなり俺のことを警戒していた。良い意味で。俺がDVを受けているというのは店長の耳にもすぐ入ったし、仕事と関係ない時間を作ってまで、DV男と別れなさいと説教してきたこともあった。幸いなことにそのDV男とは縁も切れたし良かったんだけど、最後にこいつも爆弾を落としていったのも覚えている。なにしろ本当は彼女がいて、俺はただのお試しだったらしい。浮気とも言ってもらえないんだと、別れた後に泣きながら店に出勤した。この間一緒にテーブルで酒を飲んだのは、その頃からの常連客である。だから腕つかみ野郎と別れた話をしたら、とうとう店長が俺の男運のなさを笑い始めたのだ。失礼な話だと思うけれど、残念ながらその通りだった。

他にもまだヤバい恋愛の話はあるけれど、俺はそろそろ今夜のバイトに備えて寝なくちゃいけない。面倒くさいなあと思いながら布団に潜って、そうしてまた過去の恋愛について考えてみることにした。DV男だって彼女には暴力を振るうことは無いと別れ際に言っていたし、実際彼女にそういうことをしないための俺だったんだろうなと思ったりした。そいつだってもともとはDVなんかしなかったのに、俺と付き合うようになってからDVをするようになったらしい。他にも、俺と付き合った二ヶ月の間だけ急にヒモのような生活を始めたやつもいた。二十万ほど貢いで、というかカンパしたんだけど。自然消滅してしまったおかげで、お金は一切回収できなかった。またそれがなんともむなしくて悲しいものだと思う。結構やさしくて格好良くてよかったんだけど、そういう金遣いのヤバさがだめで別れた。こうやって羅列すると、本当に俺はろくでもない恋愛しかしてきていないのだと思う。


「小鳥遊さんと付き合うことになったら、小鳥遊さんもおかしくなっちゃうのかなあ……」


今までの男たちはみんな、それまでは普通だった。DV男は俺と付き合うようになってからDVをするようになったと別れ際で言っていたし、ヒモ男だって俺が連絡を取るのをやめたら、あっさり引き下がってくれた。お金がないから実家を頼ると言っていたけれど、それなら最初から実家にお金を頼って欲しかった。俺の二十万を返して欲しい。いや、もう勉強代として割り切っているから、良いんだけど。そんなのでお金を返されてもたまったものじゃ無いし。

男たちはみんな、俺と付き合うとおかしくなってしまう。ヒモもそう。DV男もそう。急に夜の公園でセックスしようと俺のことを丸裸にしようとしてきた男も、そうだったはずだ。いつもこんな公園でヤってるのかと聞いたら、俺が初めてだと言っていたから。もう最悪だ、俺がみんなをおかしくしているのかもしれない。それじゃあ小鳥遊さんも、俺のせいでおかしくなっちゃうかもしれない。どうして俺が付き合うひとはみんなおかしくなっちゃうんだろう。俺からそういうおかしくするようなフェロモンとか出ているんだろうか。それならそれで、そうだと教えておいて欲しい。恋人も作らずに友人だけを大事にして、きちんと生きていくようにするから。みんな俺と付き合うとおかしくなっちゃうんだから。このことに最初に気付いた絶望って言ったらもう、半端なものではなかった。俺がいろんな人間の正常さをぶっ壊してしまっている。ゲームの世界でも、ファンタジーの世界でも無い。俺はちゃんと早見望夢として生きているし、そんな相手が人生のレールを逸れるようなことをしているわけでもない。勝手にみんなおかしくなっていくんだから、しかたない。どうしようもない。俺にはもう、なにもしてやれない。

小鳥遊さんはおかしくならないでくれるだろうか。そんなことを考えながらアラームを確認し、布団をもう一度かぶり直す。イヤな現実が見えないように、頭まですっぽりと掛け布団で覆ってやった。小鳥遊さんとのデートをセッティングしてくれることに関しては、雄大に大きな感謝だけれど。付き合ったひとがみんなおかしくなっていく恐怖を相談したとき、あいつはなんて言ったっけ。偶然、気のせい、望夢のせいじゃない。この三つを繰り返して俺に言って聞かせてきただけかもしれない。でもでもだって。おかしくなったのは俺と付き合っている最中なんだから。俺がそれに関係ないなんてこと、あり得ないだろう。俺がなにか余計なことを言ってしまうとか、俺が何か急に影響されやすいものを提示したりしているのだろうか。ああ、いやだいやだ。こういうことを考えたくない。布団の中でぐるりと寝返りのようなものを打って、そうして目を閉じた。起きたらバイトに行って、それからいつもの笑顔をつくってやらないといけない。それから店長には、今夜雄大がくるということを伝えておかねばならない。雄大と俺の関係を店長は知っているので、雄大が来るときには俺が一緒に席に着くことを許してくれるようになっている。


「忙しいといけないから、先に今のうち連絡しとこ……」


布団から片手を出して、スマホを手に取って、店長に連絡を入れた。


で、だ。寝て起きて店長からの連絡を確認すると、そこには、今日は常連さんくらいしか来ないだろうから休みってことにして良いよ、というものが書いてあった。これで店内を気にすること無く俺は雄大の話を聞くことができる。店長の優しさで、衝立で周りが見えないようになっている席に案内してもらって、雄大と二人で話をする。片手にはなにかのガイドブック。もう片方にはスマホが握られている。デートプランでも考えさせられるんだろうなあ。俺に恋人ができるたびに一緒にデートプランを考えてくれていたこいつの優しさも、今はあまりうれしいものに感じられない。いつまでもぼーっとしている俺を不審に思ったのか、雄大の片手が俺の視界に振られた。意識をそちらにやる。ああでも、小鳥遊さんみたいな素敵なひとが俺のせいでおかしくなっちゃったら、もうどうにもならないかもしれない。デートの一回や二回でおかしくなられても困るけれど、なにより俺は他人をそういうふうにさせてしまう自分がこわいのだ。


「もしかして湊までおかしくなったらどうしよう、とか考えてるでしょ。あいつはおかしくならないよ」


いいやつだもん、とたたみかけるように雄大が言った。

でもさあ。今まで俺が告白されて好きになったひとはみんな、俺のせいでおかしくなっていくんだよ。おかしくなっていくか、最終的に無関心になってしまうかのどちらかだ。それでも俺が悪くないと言ってくれるのが雄大だけど、先日だって俺のDV被害を心配されるようなアザを作ってしまったし。あのひともそれまでは、まあやけにレインボープライドなんかに興味をもって参加していたようだけれど、それ以外にはごくごく普通のひとだった。そりゃあデリカシーは無かったし、ろくなデートにも行かなかったけど。でも、普通のひとだったから。それが俺が終わらせようとしたら、手首をつかんで来ちゃったし。その一瞬で豹変させたのだって、やっぱり俺なんだ。


「小鳥遊さんがそんなふうになったらさ」

「うん」

「俺もう、たぶん立ち直れないから。だから、デートの約束とかそういうの、いらねえよ」

「じゃあさ、一回だけデートしようよ」


そもそもおまえはどうやって小鳥遊さんにデートの約束をさせたのか、そこから話をしてもらってもいいかな。冷静にいってやれば、雄大は少し慌てた表情をしてから考え込む様子を見せた。どうせ俺の好みだからデートしてあげてよ、とかなんとか言ったんだろう。毎回そうだ。俺がちょっとでも気に入った様子をみせるといつも雄大はそういうことをするのだ。俺が奥手だから代わりにとかなんとか。そのまま告白をさせたことだってある。俺が告白されてからじゃないと恋愛をしたことがないのは、そういう理由もあったりするのだ。雄大が外堀を埋め込んで来るから、そのままひとまず俺とその相手がどうにかならないといけなくなる、だけ。雄大はちゃんと俺のことが好きかどうかを見極めているから、そんなアシストをされたら相手は舞い上がってすぐに告白してくるのだ。でも、俺はモテていたわけじゃない。雄大に導かれていただけなんだと思う。

どうして一回だけでもデートして欲しいと粘るんだろう。俺が乗り気じゃ無いのに、どうしてそこまで。ガイドブックをいそいそと開く雄大の手元を眺めながら、俺はなんともいえない心境になっていく。ペラペラバサバサと大きな音を立ててめくられていくガイドブックに、サインペンで丸をつけた形跡が見えた。思わず、あ、と声に出して指をさしてしまった。なんだこいつ、古本屋でガイドブック買ってきたのかよ。しかもそんなに堂々とペンで落書きされているガイドブックなんて、他にもやりようがあっただろうに。思わぬところで雄大のいい加減なところが出てきて、なんだか学生時代を思い出す。テキストに全部落書きをする雄大が、隣のクラスの友人にテキストを貸してやったことがあった。落書きだらけでよくわからなかったと文句を言いながら返されたやつ。借りていったのはなんて名前のやつだったかな。ちょっと珍しい読みの漢字で、俺たちはみんなでそのうちの一文字を取って、トリと呼んでいた気がするのだ。トリ、テキストつかう?今日はぼく自分の持ってきているから大丈夫、なんて会話をしょっちゅう誰かとトリでやっていた。トリは成績優秀で顔もかなりかっこよくて、それなのに忘れ物をしてくる常習犯だったのだ。ああ、懐かしい。俺も一回くらい貸したっけ。そうしたら勝手に大事なところに丸をつけて返ってきて、マイペースだなあこいつは、と思ったことがあった。あったあった。懐かしい。


「もしかしてだけど、望夢、もしかして……」

「この丸の書き方さ、トリに似てるよな」

「あーっ、あ、トリね。懐かしいねえ」


トリは確か俺のことが好きだった気がする。こいつもゲイなんだなーって思いながら、俺の前だとちょっとぎこちない動きをするトリのことが、俺もまあまあ好きだった。けれども例のごとく俺は告白されない限りは気持ちを伝えないやり方で生きていたのでトリは告白して来なかったし、俺は俺で他のやつに告白されたので、そのままトリへの気持ちよりも新しい恋人への気持ちのほうが高まってしまって、いろいろと無かったことになった。卒業間近で卒業旅行に誘われたときも、彼女と過ごす予定が決まってしまっていたから、それを理由に断った。雄大はちょっと慌てているみたいだけど、なにをそんなに慌てているのか。古本屋で買ったガイドブックに落書きの形跡があるなんて、そんなのよくあることだろうに。その本を小鳥遊さんにも見せるつもりだったんだろうか。


「このさ、この、丸がついてるページなんか、どうかな」

「映画デート?まあうん、いいんじゃね。……今回だけだからな、デート」

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