第18話

sideエル 最終章




腹の傷が回復し、ヒューが再び、エルフの国にやってきた。

もうこれで逃げられないとエルは思った。霧の小川も深い谷も、エルがいないと抜けられない。ヒューは人間達の世界へは帰れない。

まるで死に場所を求めているかのようなヒューが怖かった。エルフの国で赤い血を流すヒューと、倒れていった仲間達が重なった。

失ってしまう。

このままだとヒューに、二度と会えなくなってしまう。

絶対に失いたくない。もう二度とあんな思いはしたくない。ヒューの気持ちがどうあれ、せめて身近で見守れるように、ここに連れてきた。他のエルフ達がどう思うかも考えたが、それ以上にヒューに傍にいて、生きていて欲しかった。

ルフの小屋を直してもらい、ヒューの瞳に輝きが戻った気がした。その後もルエから修繕を命じられたヒューは、生き生きとエルフの国の建て直しに尽力してくれた。

エルの傍にいてくれたヒューはきっと死ぬことはなかっただろう。しかし、あれだけ生に満ち溢れているヒューを引き出すことは、エル一人ではできなかった。

人間は良い生き物だ。しかしそれだけじゃなかった。悪い人間ばかりではないが、良い人間ばかりでもなかった。エルは身を以て思い知った。

幼い頃から大好きだった先々代の手記。その結末は悲恋だったが、エルにはなぜかわからなかった。

先々代の手記は、人間の王への愛で溢れていた。オクサンとコドモかどんな存在だかわからなかったが、あれだけ愛した人ならここに連れてきてしまえばよかったのにと思っていた。しかし、リゴやその娘から人間の家族のあり方を聞いて、考えが変わった。エルフと人間は、家族や子供に対する考え方が違う。オクサンはエルフで言うパートナーだ。人間は基本的に、産んだ子供を産んだ人と種である男性とで育てる。母親と父親という呼称まである。

人間の言う『家族』はそう簡単に引き裂ける関係にない。エルフの王は人間と関わることでそれを知った。安全の為に国を閉じたほうがいいと言われて従うほどに、人間の王を信頼していた。信頼していて、愛していた。そんな彼の幸せを壊す真似はできない先々代の王は、愛に苦しみながら人間の王を想い、結果、後を追うようにこの世を去った。人間にとって家族はとても大切なもの。

では、ヒューにとってはどうだろう。

時々ヒューと共にリゴのいる街に行く。リゴの娘の子供はどんどん大きくなっていく。エルフの子供よりも成長のスピードが早い。リゴの娘とその夫。父親と母親と共にいる子供はとても幸せそうに見える。

ヒューと、人間の女性と、その二人の子供と。

想像の中のヒューは幸せそうに笑っている。きっとリゴの娘の夫のように、良い夫で良い父となるのだろう。

その時エルはどうしているだろう。ヒュー達を遠くで眺めて胸を痛めるのだろうか。ヒューが幸せなら自分も幸せだと、言い切れるだろうか。

(辛いなぁ…)

いつか来る別れを思って胸が苦しくなる。エルフと人間とでは流れる時間が違う。ヒューをエルフの国に引き止めているのはエルの我儘だ。早くヒューを解放してあげなくては。

ヒューがエルフの国に来て5年が経った。ここのところヒューは何かを言いたげにしている。エルを見て、視線を逸らす時がある。何を言いたいのだろう。きっと言いづらいことをいいたいのだろう。それは、家族のことではないだろうか。人間の国に、帰りたいのではないだろうか。

もうこれで最後かもしれない。エルはヒューの胸に顔を埋めて尋ねる。

「あのね、ヒュー…人間の国に、帰る?」

人間の国で、奥さんと共に子供を育てる。ヒューにはヒューの時間がある。エルは自分に言い聞かせる。そうしないと泣いてしまいそうだったから。

エルはヒューから引き離された。

「何を、言ってるんだ?」

ヒューはひどく動揺した顔をしている。ヒューのこんな表情は初めて見たかもしれない。エルはヒューに両肩を掴まれて向き合った。

「だって、もう、5年もこの国にいてくれて…人間にとって5年はとても長いでしょ?」

「どうしてそんなことを言うんだ?急に、どうして…どうして、突き放すんだ」

ヒューは泣きそうな顔で苦しそうに呟いた。ヒューの、エルの肩を掴む手が震えている。どうしてここまで苦しそうなのか、エルにはわからない。

「ヒューは、人間だから。家族を作って、奥さんと、子供と、一緒にいるのが人間で」

「そんなこと、考えたこともない。作ろうとも思わない。望んでいない。俺はここで、お前の傍にいられたら…」

ヒューは言葉を切った。目を逸らしてぐっと言葉を飲み込んだ。

「……すまん。まだ、頼まれてることがある。それが終わったら、ここから出ていく」

「待って、ヒュー。何か言いたいなら、言って。ヒューの中に、しまわないで」

いつもヒューは何かを我慢する。エルはヒューの手を掴んだ。

ヒューの幸せを願ってした提案は、間違っていたのかもしれない。ヒューの表情を見てエルは思う。

家族を作り共に過ごすのが人間の幸せ。それならばヒューは、一体何が幸せなのだろう。いつも誰かのために生きるヒューにとって、何が一番いいのだろう。ヒューにこんな顔をしてほしくない。表情の乏しいヒューだが、傍で見ていたエルは知っている。ヒューの瞳はいつだって雄弁にヒューを語る。今、ヒューの瞳は悲しい、辛いとエルに伝えてくれている。ヒューにはいつも生き生きと、瞳を輝かせていてほしい。

そのためにはどうしたらいいのか。きっと人間の世界で家族を作ることじゃない。

「ヒュー、ごめんね。僕、間違えちゃった。ヒューはどうしたい?教えて、ヒュー。お願い」

ヒューは苦しそうに視線をそらす。エルはじっと待った。時間を置いてヒューは吐き出した。

「エルの、傍に、いたい。許されるなら…ここに、ずっと、いたい」

震えるヒューはまるで子供のようだった。ヒューの為に一番良いことをしてあげたいと思うエルだったが、深く後悔した。不用意な言葉で、エルはヒューを傷つけた。決して傷つけたかったわけじゃない。

「ごめんね、ヒュー、ごめんなさい。僕、間違えた。ごめん…僕、ヒューに一番幸せでいてほしい。ヒューが一番幸せになれることを、教えてほしかったんだ」

「俺は、エルの傍にいたい。ここにいたい。でも、エルフの全員が受け入れてくれているわけじゃない。俺が先に死ねば、エルは苦しむ。どうすることが最善か、答えが、出ない」

ヒューは長く時間を置いてから答えてくれた。ヒューもずっと悩んでいた。

エルフの国で生活をしていくうちに、ヒューは親がいないのだと教えてくれた。村の家で見た小さな絵の老婆がヒューの親代わりだったそうだ。村でも騎士団でも命を懸けて誰かを守る仕事をしてきた。そうすることでしか居場所を作れなかったのだとヒューは寂しそうに笑った。

ヒューがいてくれたら安心する。でも命を懸けて守ってほしいわけじゃない。エルはヒューに傍にいてほしい。

しかし、人間は家族を作らなくて良いのだろうか。作らなくても良いのなら、ヒューが家族を望んでいないなら。

ヒューに、エルの傍にいてほしい。ずっと傍にいてほしい。エルがヒューの居場所になりたい。

エルはヒューに飛びつく。

「僕、ヒューが好き。僕も傍にいてほしい。ずっと一緒にいたい、僕、ヒューの一番になりたい。一緒に、考えよう、どうしたらいいか…ごめんね、ヒュー」

エルフの国で、ヒューに対して友好的な者ばかりじゃない。これがエルフの間に溝を作っていることも知っている。エルのわがままでヒューにいてもらっていると公言しているのだが、全員の意識を変えるには至らない。強制することもできない。エルフの国にいる以上、ヒューは肩身の狭い思いをする。

「ヒューが好き。大好き。どこにもいかないでほしい。でも、ヒューに傷つかないでほしい。苦しんでほしくない。ヒューは?どうしたら、ヒューは幸せ?」

「俺は…エルが笑っていてくれたら、それでいい。それが、一番いい」

『それが俺の幸せだ』とヒューは言った。エルは声を上げて泣いた。どうしてもっと早く話さなかったのだろう。もっとちゃんと、ヒューに向き合えば良かった。エルフにとっては一瞬の5年だが、ヒューにとっては長く大切な5年間だ。もっと早く想いを通じ合わせたかった。

「僕のこと、好き?」

「好きだ」

ヒューは目を泳がせながらしっかり答えてくれた。

「いっぱい、考えよう。どうしたらいいか」

「うん」

「答えは出ないかもしれないけど…僕ね、ヒューがいたら、それでいいんだ。僕は、ヒューを裏切らない。ヒューが帰ってくる場所になるから」

「うん…あの、エル、その…」

エルはヒューに何度も口付ける。舌で唇をなぞると、ヒューは顔を背けた。顔を真っ赤にしたヒューに抱きしめられた。

ヒューに抱きしめられたままエルはベッドに倒された。エルの太ももには堅いものがゴリゴリと押し付けられている。これから始まる甘い時間を想像して、エルは心臓が口から飛び出そうだった。

「エルが好きだ。ずっと一緒にいたい。だから、こ、これ以上は無理だ。今日は寝よう。明日、たくさん、考えよう」

またまたそんなことを言って…と思いながらヒューを待った。しかしヒューは動かない。エルが動こうにもヒューにぎっちりと固められて動けない。

ヒューは何も言わない。エルも何も言えない。

気づけば朝を迎えていた。



エルはヒューとたくさん話し合った。

あの夜のおかげでお互い想い合っていることを知れた。エルはヒューが呪い師に傷つけられたあのとき、ヒューを手放したくないと強く思った。いつ好きになったのかなんてエル自身わからない。それでも今この想いに嘘はない。

本当に家族はいらないのかと聞いたが、ヒューは考えたことがないという。今はエルフの国の子供達の成長を見守ることで精一杯だと言うし、エルがヒューを想ってくれるなら妻も子供もいらないのだと言った。エルだけを愛したいのだ、と。ものすごい殺し文句だ。エルは嬉しくて笑顔が抑えきれなかった。ヒューがすごい顔だぞと驚いていたが、笑顔も笑いも止まらなかった。

エルこそ子供を作らないのかと聞かれたが、エルはヒューとパートナーになりたいので作らないと伝えた。王様なのにいいのかと何度も念を押されたが、大丈夫だと答えた。ヒューは押し黙ってしまった。まったく納得の言ってないと瞳が訴えていた。何故あんなに納得がいかないのか、エルにはわからなかった。

エルフの国ではヒューに良い感情を持つものだけではない。しかし、悪い感情を持つ者だけでもない。

ヒューのお陰で生き延びることができた者、エルが生きて戻ったきたのはヒューのお陰だと感謝する者。建物の補修の他に力仕事をしてくれるヒューを頼る者もいる。

エルに対する求心力の低下を危惧する側近もいるが、全てのエルフを掌握することなどできない。ヒューのことのみならず、エルの仕事ぶりから認めてもらう必要がある。

「エルフの王は代々年若く即位します。王を支えることが私達の側近の仕事であり、他のエルフ達も国王を支えることで国がまとまっていくのです」

ヒューはルエの話を聞いて関心していた。人間達の王政とは大分違うようだ。人間の国の王は代々王族が即位するか他の人間がその座を奪ったりもするらしい。だからこそ結束が強いのだなと納得していたが、ルエはエルフは数が少ないからできるのだと言っていた。ルエは人間とエルフの数の違いも知っていたようだ。

「エルフの王はね、その時100歳くらいのエルフからえらばれるんだよ。僕は同じ年代が少ないから、僕が選ばれたんだ」

エルが王に選ばれた理由に、ヒューはとても驚いていた。

「そんな…王の血族が即位するものじゃないのか?」

「けつぞくって、なに?」

「王様の、実の子供だ。血の繋がっている子供で、王位継承者にも順位があって…」

「へーっ!子供達で順位があるの?年の順?エルフと全然違うんだね」

エルフとは家族や子供に対する概念が違うからだろう。人間は王様を選ぶにも血の繋がりを重視するという。ヒューの話はとても勉強になる。これだけ違いが出るとなるといっそ面白い。

もっと違いがないのか聞きたかったが、ヒューは『だから子供はいらないと言ったのか』と真剣に呟いていた。なんのことかわからないエルは首を傾げる。

ブツブツと悩んでいたヒューはふとエルを見た。

「本当に100歳だからというだけで選ばれたのか?どんな事にも素直で一生懸命頑張るエルだから、選ばれたんだと思うが…」

なんて恥ずかしいことを言うのか。嬉しいものの顔を赤くしたエルに、ルエはため息をつく。

「なんですか、その反応は…その通りですよ。あなたは我々エルフが支え、上に立つに相応しいとされて王に選ばれたのです。少し素直がすぎて抜けている所も多々ありますがね…ヒューのほうが、よほど我々を理解しているようです」

エルは自身がそんな理由で選ばれたなんて知らなかった。選ばれたからには王として職務を全うしようと思っていたが、みんなもエルに期待をして選んでくれていたようだ。

「一生懸命で素直な所はあなたの長所です。しかし、まだまだ足りないところが多々、数多あります。さぁ、エルフの歴史を勉強しますよ。エルフがどうやって生活してきたのかを学ぶことで今後の我々の発展に繋げて…」

「んぁああ!やだぁ!今日はもう終わりって言ったのにぃい」

「頑張れ、エル」

ルエはエルの首根っこを掴み、風の力でエルを浮かせて引きずっていく。どんどん遠ざかるヒューは手を振って応援してくれた。名残惜しんでくれないヒューに、エルはちょっと泣いた。

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