第15話
エルに引かれるまま足を踏み入れてしまったが、人間であるヒューが城に入るのは、エルフ達にとって良いことではないだろう。入る前にエルを説得して外で待つべきだった。エルが王族であるという衝撃に頭が上手く働かなくなっている。
城の中には先程の5人も入ってきた。彼等は側近のようなものなのだろうか。決して良い顔はしていない。
大扉を入って目の前、一番奥に椅子がある。玉座のようだ。
円形に広がる室内の中心にエルがいる。円形の広間の周りの壁は大扉を中心に螺旋階段が伸びて、他の階へとつながっているようだ。華美ではないが、美しい場所だった。
「みんな、心配をかけてごめんなさい。僕はあの日…ヒューに助けてもらって、ここまで戻ってこれました。みんなは、どうかな。どうしていたの?」
「…人間の手を逃れ生き延びた者はここに集まり、亡くなった者たちを供養しました。連れ去られた者は戻ってきていません」
「うん…供養をしてくれてありがとう。エルフの国が襲われた理由を、襲った人に聞いてきた。それから連れ去られたエルフだけど、彼らももう、戻ってこないんだ」
連れ去られたエルフはほとんどが道中命を落とした。生き残ったのはルフだけで、ルフもダークエルフになってしまった。エルフ達は、エルの話を青い顔で聞き入っていた。小さな悲鳴を上げて涙を浮かべる者もいる。
「ルフが、ダークエルフに…」
「どうして、ルフが…」
「ルフはこれから森のはずれの小屋に来ることになってるんだ。あとでヒューと一緒に様子を見てきます」
「この人間と?なぜです、私が行きます。今、すぐに。きっと一人で心細いでしょう。あの子はまだ子供です」
エルフの一人がヒューを睨み、エルに進言する。エルは首を横に振った。
「だめだよ。エルフはルフに近づけない。お互いに、体がおかしくなるんだ。人間のヒューは近づいてもなんともないけれど…それに、ルフの傍にも人間がいます。ルフも今、一人きりじゃない」
ルフを探しに行くと昂ぶるエルフを、エルはなだめた。少しふらついてみえるエルをヒューは肩を抱いて支える。
「エル様から手を離しなさい!」
「すまん、待ってくれ。エル、大丈夫か?疲れてるんじゃないか?」
「ん…大丈夫だよ。平気…」
ヒューはエルフに断ってからエルに問う。大丈夫だというエルの顔色は悪い。ヒューはエルフ達に向き合った。
「すまない。聞きたい、話したい、あると思うが、エル、疲れてる。長旅、だった。少し、休ませて、ほしい。林檎は、ないか?」
エル以外のエルフとの会話は少し緊張した。ルフとは問題なく話せたが、通じているだろうか。エルフ達は驚いて顔を見合わせている。
「どうして、エルフの言葉を…いえ。今はエル様の体が優先です。林檎を持ってきます。エル。部屋で少し休みなさい。それからまた話を聞かせてください。みなさんもわかりましたね。人間は『良い生き物』です」
エルフの言葉に他のエルフ達はぐっと押し黙った。彼はこのエルフ五人の側近の中でも長のような存在なのだろう。美しい顔立ちだが表情が乏しく、少し冷たい印象を受ける。
彼は別のエルフに林檎を取ってくるよう指示を出した。エルに対しても少し上から話をしている。
側近の長のエルフは気になることを言っていた。『良い生き物』と。
『良い生き物』とは何なのか。
なぜ他のエルフはその一言で何かを納得したのだろうか。
エルはヒューにもたれかかる。
「ヒュー、一緒に、行こう。ここの上がね、僕の部屋だから」
「いや、俺はホスと外にいる。エルはゆっくり休」
「だめだよ。ヒューは僕といるんだから!」
「わかりました。エル様とお休みください。お連れの馬はこちらでお世話をしておきます」
まるで子供のようなエルにヒューは困惑してしまう。エルが我を通そうとしている姿は珍しい。
長のエルフが二階を指し示す。エルはヒューの手を引いて歩き出した。他のエルフは何かをささやきあっていたが、引き止められることはなかった。
「エル、俺はホスと外に…」
「大丈夫だよ。エルフは動物を傷つけないから。ホスを大切にお世話してくれるよ」
螺旋階段を登る。その先にいくつか扉があり、その一つに入る。質素だが清潔に整えられたここが、エルの部屋だそうだ。
上着を脱ぎ、汚れを落とす。
エルフから休むように進言された以上、外にいると押し通すのも良くない。ヒューは自分に言い聞かせてエルに向き合う。
エルは椅子に腰掛けて林檎を食べていた。食べながら泣いていた。
「へへ…酸っぱい。エルフの国の、林檎、だ」
「…うん。良かったな」
エルは泣きながら、笑っていた。
普段よりエルが幼く見える。祖国に戻れた安心感からなのかもしれない。再び連れてくることができて良かったと、ヒューも心から安堵した。
林檎を食べ終えたエルはヒューをベッドに誘う。ヒューは慌てて断った。
「いや、俺は床でいい。王族と同じ寝床なんて、恐れ多い」
「おうぞく?おそれおおいってなに?」
「王様、だ。俺なんかがごめんなさい、というような、意味だ。話し方も、良くないな…ですね。あの、今まで、数々の無礼があり、誠に申し訳なく…」
「ごめんなさいなの?やだよ、ヒュー。なんか変。いつも通りでいいよ。今のヒュー、やだ!」
「………」
嫌だと言い切られてヒューは黙った。どう接したらいいのか悩んでいたが、ヒューはエルにベッドに引きずり込まれてしまった。王様の命令だと言われて動けなくなってしまった。
騎士団に所属していたヒューなので、身分の差を嫌というほど思い知らされている。
『親なし、家柄なしのヒュー君。お前がもう少し良い家の出自であれば、役職に就くこともできただろうにな』
家柄の良い騎士達は笑っていた。騎士団の中でも家柄が良い人間は部下を持つことができた。ヒューと同じように家柄の低い騎士達は、ヒューの実力なら役職に就けるのにと言ってくれていた。ヒュー自身は出世に興味はなかったが、仲間達はいつも歯噛みしていた。家柄による格差と差別。ヒューには嫌と言うほど身に染みついている。
その中でも王族は最高峰だった。雇用主であり命を懸けて守護するべき対象だ。エルはその格差の中での頂点だった。
「王様って、言わなくてごめんね。言わなきゃいけないことって思わなくて…」
「いや…大丈夫だ。びっくりしただけだ」
「それに、ここに住むって、いきなり言って、ごめんね。エルフの国に来れば、ヒューはもう、一人で帰れないでしょう?だから、黙って、連れてきたの」
エルは暗い顔で言う。
エルフの国を囲うように存在する風の荒れ吹く深い谷も、霧の深い小川も風の力がないと通り抜けるのは困難だ。エルはここに閉じ込めてしまうつもりでヒューを連れてきた。
しかしヒューはエルフ抜きでこの地に来たことがある。もう仕掛けはわかってしまっている。ホスと共に逃げ出すこともできなくはない。
しかしここまで必死にヒューを引き留めるエルに、もう少しここにいても良いのではないかとヒューは思う。他のエルフの納得が得られればの話だが。
素直で邪気のないエルが、今回の企みを表に出さずにここまでヒューを連れてきた。騙すような真似をして、きっとずっと心が痛かっただろう。エルは優しい子だ。
どうせ行く宛はなく、死ぬ気でいた。それならこの命を、もうしばらくエルのために使っても良いのではないだろうか。
「どこにも、いかないで。ここにいて、ヒュー。ごめんね」
「謝らなくていい…わかった。ここにいる。約束する」
エルの髪を撫でると、安堵したのかエルは目を閉じた。疲れていたのだろうし、エルも国に帰ってこられて安堵しているのだろう。すぐにエルの規則正しい寝息が聞こえてきた。ヒューも目を閉じた。
翌日。城の一階の玉座の間でエルと共に五人のエルフと対面していた。今までの経緯をエルが説明している。
エルフの国を襲ったのは人間の騎士団という集団で、国の王様の命令であったこと。王の命令の詳細、ルフがどうしてダークエルフになったのか。先日ヒューを傷つけた呪い師、あれがこの国を探しエルフを襲った理由。
エルフ達は悲痛な面持ちで聞き入っている。話しているエルも辛いだろう。エルの後ろでヒューは寄り添った。
「これが、今まで見て聞いてきたことの全てだよ。ヒューがいたから、人間の国の城まで行けた。ルフに会えて、人間の王に話が聞けたんだ」
「エル様。そもそもなぜ、この人間はエル様をさらったのです?最初からエル様が目的だったのでは?」
エルフの一人が手を挙げる。ヒューを訝しげに見るこのエルフは女性だ。五人のうち彼女以外はみな男性だった。男性のはずだ。見目麗しいエルフ達は一見性別がわからない。
「エルが、子供だったから。実際は成人だったが、せめて一人でも子供は逃がそうと思った。それに、エルに何人かエルフがついてきた。この国から逃がすのに、一人でも多くエルフが助かるといいと思った」
「一人でも多く?なぜです、なぜエル様についていくと助かるのですか?」
「森に、逃げたほうがいいと判断した。あなた方はあまり戦闘が得意でない。森に散り散りに逃げるのが良い」
争いが不得手なエルフはとにかく逃げたほうが良いとヒューはエルフ達につたえた。エルが王様であることも知らなかった。
女性のエルフは眉間に皺を寄せて問う。
「なぜ、そのようなことを考えるのですか…そもそも、ここに来なければよかったじゃないですか。あなた達が来たから、この国は…私の、愛する人は…!」
涙を流して吐露する女性のエルフに、ヒューは胸が痛んだ。彼女はあの時、パートナーを失ったらしい。人間が、ヒュー達が来なければ。あんなことにはならなかった。
「俺は、人間の国に雇われていた。王の命令で、来ないわけにはいかなかった。エルフの国に来て、仲間達と王の命令の異常さを、無視できなくなった。恨むのは当然で、人間のしたことは許されない。本当に、すまなかった…」
ヒューは取り繕うことはせずに正直に答えて深く頭を下げた。エルフ達は抵抗しなかった。騎士団は一方的に蹂躙した。謝っても謝りきれない。
それに、幼い子供が犠牲になることに、我慢がならなかった。子供は守るもので、守られるべきだ。
ヒューには親がいない。故郷も知らない。そんなヒューには祖母がいた。祖母は周りから何を言われようとヒューを守り、育ててくれた。祖母には感謝してもしきれず、今も深く敬愛している。
それでも、親のいる子供が羨ましかった。また捨てられるかもしれない懸念にかられて、必要とされることをして必死に居場所を作った。誰かを守ることで必要とされようとした。
自分のような寂しい子供はもう、増やしてはいけない。
子供のエルフもその親であるかもしれないエルフも、一人でも多く助かって欲しかった。
側近の長のエルフは顎に手をあてて何かを考えている。
「ヒューは、一人でも多くエルフが助かる方法を考えてくれたんだよ。これからも人間は来るかもしれない。人間は良い生き物だけど、それだけじゃなかった」
「エルフはあれから数が減りました。これから無事に過ごすためにも今後の対応を考えなければありません」
「ん…エルフの国の損害って、どのくらいなのかな」
エルと五人のエルフは国の現状とこれからについて話し合っている。エルは本当に王様なのだと感心した。きちんと意見を伝えて話し合い、エルフ達も真剣にエルの言葉に耳を傾けている。まだ幼く見えるが、エルはエルフ達の中で大人だった。
エルはエルフ達と国内を視察に行くと言う。ヒューはホスの傍で待つことにした。ここのところ長旅が続いた。しっかりと様子を見てやりたい。ヒューはホスのいるエルフの国の入り口へ向かった。ホスは草を噛んでのんびりとすごしている。
エルフの国はそう大きくない。エルがエルフ達と連れ立って歩く姿が見える。ホスの毛並みを整え、怪我がないかを確認する。特に大きな怪我はない。ヒューはホスの傍に腰を下ろした。
甘えるホスを構いながらエルを眺める。エルもヒューを見ていた。ホスのそばにいるヒューが、ホスと共に逃げ出していかないか不安なのかもしれない。
せめて今は、ヒューはエルの目に入る所にいようと思った。
エルフの国を再建するため、エルはこれから様々な業務をこなさなければならないだろう。どんなことなのか想像はつかないが、せめて心の負荷を軽くできたら良い。
その負荷の中でも、ヒューにしかできないことがある。ルフのことだ。どのくらいで小屋につくかはわからないが、少しでも補修をしてやりたい。
ヒューとエルはエルフの国に入る前に小屋を見てきていた。住めなくはなさそうだが損傷の激しい小屋だった。王家の紋章が掲げられたその小屋は、どうやら人間の国の王家の持ち物だったようだ。なぜこんなものがあるのか、経緯がわからない。しかしもう使われていないそこは忘れ去られた場所のようだった。
「ヒュー!」
視察を終えたらしいエルがヒューに駆け寄ってきた。やはりヒューに対してエルフ達は遠巻きに見ている。
「城に戻ろう。お腹、空いてない?ここは野菜と果物しかないけど…」
「大丈夫だ」
街でリゴが大量に干し肉を持たせてくれた。まだ残っていて空腹は満たせる。
ヒューはエルと共に城に戻った。五人のエルフが待っていた。
「ではエル様。どこから着手しましょうか」
「えっと、まずは病院だと思う。あとは果樹園だけど…あ、待って。ヒューは部屋で休む?」
「いや…エル、ルフの小屋なんだが。日中に修理をしてこようと思うんだが、駄目か?」
立ち寄った村で釘や修理に必要な物は購入して小屋に置いてある。ヒューだけがホスと共に小屋へ向かおうと思っていた。
しかしエルは元気に頷いて想像と違う答えを出した。
「そうだね!ルフの小屋に一緒に行こう。みんなは待ってて、僕、今日はヒューと…」
「いけませんエル様。あなたは国を出てはなりません!」
五人のうちの年嵩のエルフがエルを止めた。忙しいエルが直接出向くことではない。しかし、エルは心配だからヒューと行くと譲らない。
今持ち出す話ではなかったかとヒューは後悔した。こんな時、エルは意外と頑固に譲らない。どう説得したら良いのか。悩んでいたら、側近の長のエルフが口を開いた。
「わかりました。私が同行しましょう。外の谷の風と小川の霧を超える必要がありますからね。私がお力添えをします。エルは引き続きここで王としての責務を果たすこと。貴方がたも、エルをきちんと見張ってください」
「やだ、僕が行く」
「エル。私とこの男が信じられないと言うのですか?あなたはここで貴方のなすべきことをなさい。いいですね?」
長は各人に指示を出して話を締めた。有無を言わさぬ長に、エルもぐっと口を閉じる。
「ヒュー…どこか、行かないで」
「あぁ、大丈夫だ。必ずここに戻ってくる」
不安そうなエルにヒューは頷いた。
エルフ達に歓迎はされていないが、エルがヒューを求めている。エルの不安を払拭してあげたほうが、エルフの国の早期再建につながるだろう。
「では、行きましょうか」
側近の長に促され、ヒューは彼と小屋へ行くこととなった。まさかエル以外のエルフと行くことになるとは。その上このエルフはヒューに対して良い感情を抱いていないとわかる。厳しさが滲み出る彼との行動は少し緊張する。共にホスに乗るかと聞いたが、風の力で馬についていくので不要だとバッサリ断られた。少しヒューの心が折れた。
エルに手を振り、ヒューはホスに乗ってエルフの国を出た。
その場で木材を調達して修理をした。
谷か、霧の小川か、どこかで事故に見せかけて殺されてしまうかもしれないという考えも過ったがそんなことはなかった。帰り道があるのでまだ気は抜けないが、言葉のない彼から殺意は感じられない。
「何か手伝うことは?」
「いや、一人で大丈夫だ」
王の側近である彼に頼むのは気が引ける。ヒューは一人で木材を破損している所に切り打ち付けた。
「上手いですね」
「あぁ…自分の家を直すのは、俺の仕事だった」
年老いた祖母に力仕事は難しい。壊れた箇所はいつもヒューが直していた。それは幼い頃からヒューの仕事だった。
話しかけてくるということはなにか交友を深めようということだろうか。ヒューは彼に声を掛ける。
「あの…あなたの、名前は?あなたはエルの、その、どういう関係で」
「何故あなたに名前を教えなければならないのです。エルとの関係など以ての外です」
一気に空気が冷えた。ヒューは口を閉じた。会話をするのに名前も知らないのはどうかとおもったが、思い切り拒絶されてしまった。それからヒューは何も言えず。重たい空気のまま日暮れを迎えてエルフの国に帰還した。エルフの国の入り口にはエルとその側近達が待ち構えていた。
「ヒュー!良かった、戻ってきた!」
「帰ってくるって言ったぞ。こんな、待ち構えなくても…」
エルフ達の視線にヒューは気分が沈んだ。その視線は決して歓迎されたものではない。ヒューはエルフたちにとって大切な王にくっつく害虫だ。
「この人間、きちんと小屋を修復したのですか?」
エルフの一人が長に問う。ヒューに対する懸懸念を隠しもしない。長は普段と変わらず答えた。
「ええ。見事な仕事ぶりでしたよ。人間は『良い生き物』ですからね」
長の言葉にエルフ達は眉間に皺を寄せて黙った。長の言葉は絶対のようだ。
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