第12話

side ヒュー



街を出たエルとヒューは森に向けてホスを走らせた。途中で騎士団の宿営地で一晩過ごした後、森についた。森の中を進むと霧に包まれた場所にたどり着く。ここは騎士団の者達と、通過するのに苦労した場所だ。

「ここは下に川が流れている。風の力で霧を晴らせないか?」

「やってみるね」

エルが風の力を使うと、霧は一瞬晴れた。しかしすぐに纏わりつくように霧が立ち込める。全てを払うことはできないようだ。エルは少し考えてから、足元の霧を晴らした。エルは最小限足元の霧を晴らすことに専念している。ヒューは慎重にホスを歩みを進めた。

足元にはさらさらと穏やかな小川が流れている。

「ひっ」

少し進んで、エルが小さな悲鳴を上げた。その小川の中に、騎士団の甲冑が数体転がっている。それらの中身は腐敗し、骨となっていた。甲冑を着ていない遺体も数体ある。

「大丈夫だ、見なくていい。足元に風を送ってくれ」

ヒューはエルの目を片手で覆った。エルの小さな顔は目元だけなら片手で簡単に隠せる。エルは頷いて風を送り続けてくれた。

あの日、仲間が数人この霧の中に消えた。浅い川だが霧で視界を奪われたせいで、溺れたようだ。

エルの力で無事に川を渡ることができた。

「エル、もう川を過ぎた。大丈夫か?林檎、食べるか?」

「ん…うぅん、平気。全然、力を使ってないから。エルフなら、簡単に通り抜けられる場所…だね」

ヒューはぽんぽんとエルの頭を撫でた。さっきの死体に驚いただろう。それでも気丈に力を使ってこの難所を突破してくれた。

ここは乗り越えられるか気がかりだった場所だ。通り抜けられて、少しだけヒューの肩の力が抜けた。

エルがヒューの手を取って振り返る。少し口が尖っている。

「僕、子供じゃないからね?」

ヒューはさっと手を引っ込めた。見た目から、ついエルを子供のように扱ってしまうが、あまりお気に召していなかったようだ。エルはヒューよりも遥かに長く生きている。

黙ってしまったエルに、ヒューは話題を変えようと口を開いた。

「あの霧…エルフ以外を拒んでいるみたいだな。エルフが、霧を呼び寄せてるのか?」

「違うと、思うなぁ。そんな魔法、使えるエルフはいなかったから。僕、ここに霧があるって知らなかった。エルフがやってるなら、僕は知ってると思う」

「そうか」

確かに、エルフの仕業であれば同族であるエルが知らないはずはないだろう。ヒューが納得していると、エルは少し不安そうな声で言った。

「僕、ヒューみたいに強くならないと駄目だよね。もしもまた、エルフの国が襲われたら…」

「いや。やめたほうがいい。もしもまた襲われたら、迷わず逃げろ。エルだけじゃない。他のエルフも、だ」

エルの懸念に、ヒューは迷わずすぐに答えた。

「どうして?」

「エルフは武器を持っていない。戦いが得意じゃないだろう。むしろ逃げることに専念したほうがいい。風の力を使って速く、遠くまでバラバラになって逃げるんだ。そのほうが、生存率が上が…」

「せいぞん、りつ?」

「…言葉が良くないんだが、その…一人でも多く、生き残れると思う。その確率だ」

あまり良くない物言いだったかもしれない。この場合、逃げ遅れたエルフは犠牲となる。犠牲となったエルフを尻目に他のエルフは逃げる。

エルフは武器を持たない。以前エルフの国を襲ったときに確認した。そして戦いに慣れておらず、風の力も人を傷つけない。恐らく人を傷つけるほどの殺意や怒りを抱けばダークエルフになってしまうかもしれない。風の力は、むやみに他人に使えない。

風の力を使うのならば、どこか遠くへ走り去るほうがいい。木の陰に隠れるなり木の上でやり過ごす。

「えと…襲ってきた人たちがいなくなるまで、隠れてる?」

「そうだ。エルフはあまり食事の必要がないから、やり過ごすのにちょうどいい。探させて体力を削る。気配がなくなったらエルフの国に戻る。あの時、エルを追って何人かついてきた。恐らく、逃げ切れているはずだ」

エルを追って、エルフの国から離れたエルフが何人かいた。エルだけでなく、逃げて生きられるようにエルを餌にエルフを引き寄せた。彼等は小さな子供のエルを守ろうとしているのだと思っていた。エルは小さな子供ではなかったが、仲間を守ろうとする想いが強いのだろう。

「うん。みんなに会いたい。会えると、いいな」

「あぁ。もうすぐだ」

エルフ達はきっとエルを待っている。エルフ達にエルを無事届けたら、ヒューの役目は終わる。

遠くに、エルフの国の中心にあった建物が見える。エルのお陰でかなり早く到着することができた。

言葉はなくてもエルが高揚していることがわかる。破壊された国に恐ろしさもあるだろう。しかしそれ以上に、エルはエルフの国に帰りたかった。

国にはいる前に強い風の吹く深い谷がある。橋がかかっているが、強い風で揺れ動き進むことが困難だった。しかしエルの力で風の流れを変え、ホス共々落ちることなく対岸についた。

橋を渡った先にあるのはエルフの国の入り口だ。大きな樹が二本そびえ立ち、その間を抜けると視界が開ける。いくつか建物があり、誰かが住み暮らしているのだとわかる。その誰かは、エルをはじめとしたエルフ達だ。

「エルさま…?」

声がした方を見ると、建物の陰からエルフが顔を覗かせていた。

「エルさま」

「エル!」

「みんな!」

何人かのエルフが建物やその陰から出てきた。エルがホスから飛び降りようとするのを止めて、ヒューはエルを抱えてホスから降りた。エルは仲間の元へ駆けていく。エルフ達はエルを抱きとめて歓声をあげていた。

良かった。約束を果たせた。エルは涙を流して喜んでいる。エルがあんなに喜びはしゃぐ姿を見たことがない。

ほんの少し、胸が詰まる。もうここでエルとの旅は終わりだ。ヒューは役目を終えた。

エルの帰還に喜ぶエルフ達の中には、ヒューを訝しげに見つめている者もいる。あの時騎士団の中にいたヒューはここにいてはいけない。長居するべきではない。

「みんな 教えてあげる!あのね、ヒューがここ 連れてきてく て、ヒューは…ヒュー?どこに行くの?」

「ルフと、チルの所に」

「待って、ヒュー、待って!ぼくも、行くからっ…!」

ヒューはエルに背を向けて、ホスの手綱を引いた。あの谷の橋はホスに乗ったままでは危険だ。慎重に手綱を引いて対岸まで行かなければならない。

ヒューは引き止めるエルを振り返らずに二本の巨木の間を目指す。もう二度と来ることはないだろう。

「待って、待ってよヒュー、お願い、」

「さようなら、エル」

背中に縋るエルをそっと引き離そうとしたした時だった。巨木の間に、その風景に似つかわしくない色が現れた。派手な赤いローブ。身にまとったその人物は虚ろな瞳で歩み寄ってきた。

「お前、騎士団の…男だな?」

ヒューはエルを背中に隠した。赤いローブの男は城の呪い師だ。エルフの国の場所を王に進言した男だった。

チルの話ではこの男は死に、堀に捨てられたはずだ。

「なぜ、ここに…」

「場所を知っているんだ…来れるさ。大変だったけどな、人間をな、こう、操って、盾にしたんだ」

呪い師が手をかざす。ヒューは動けなくなった。何かに引っ張られている。右手が剣に向かおうとしている。ヒューは右腕に力を込めて必死に止めた。背中に何かが触れて、動く気配がした。

「誰、なの…?」

「っ…エル!エルフを逃がせ!城の、呪い師だ!逃げろ!」

ヒューはエルに叫んだ。エルはびくりと震えた。ヒューの背後でエルの大きな声が聞こえた。

「逃げて!みんな!」

エルフ達の悲鳴が上がる。その悲鳴は遠ざかっていく。

この男がなぜここにいるのか。理由はわからないが良くない理由なことはわかる。途中の川にあった騎士団以外の遺体はこいつが操った人間だ。きっとあの深い谷の底にも、そんな人間の体があるのだろう。そこまでして来る理由はきっと、エルフに取って碌でもない理由だ。

「抵抗するなんて小賢しい…貴様、ただし騎士団員だろうが、なぜ抵抗できる!?」

「魔法は、人間に、しか…俺に、しか、効かないようだ…エル、逃げ、ろ」

何故かはヒューもわからない。ただ下手に動かないように力を込めているだけだ。ヒューの筋力が、男の魔法の力を上回っているのかもしれない。

エルはヒューの陰から前に出た。

「どうして、ここに来たの?」

「お前…言葉がわかるのか。ふふ、あの女エルフによく似ているなぁ…私は、エルフの肉を食いに来た。抵抗するな、騎士団の者よ。そのエルフを殺せ。私に食わせろ」

呪い師は何を言っているのか。一瞬気を抜きそうになり、しかしぐっと腹に力を込めた。呪い師はヒューにエルを殺させようとしている。

「エル、頼む、逃げて、くれ」

気を抜けないヒューは息も絶え絶えエルに懇願するが、エルは聞こえていないようだ。

それはそうだろう。聞き間違いでなければ、呪い師の話はあまりにも恐ろしくおぞましい。

エルは青い顔で動けずにいる。倒れないのが不思議なほどに、顔色悪く隣に立っている。

「食い、に…誰か、た…食べ、たの?」

「食った。美味かった。エルフの女だ。俺はな、元々ちょっと物が動かせる程度の魔力しかなかったんだ。もっと、すごい魔法が使えるようになりたかった。エルフを食えば魔法が使えるって話を、知らないか?おとぎ話じゃなかったんだよ。使えた魔法は炎を操る力だった。人も、家も、たくさん燃やしたよ。ははは。もっと、力が欲しい」

「だ、まれ…」

呪い師はべらべらと喋っている。その内容はあまりにひどいものだった。ヒューの腕や足がピクピクと痙攣する。

呪い師はチラチラとヒューを見ていた。話すことで、ヒューを揺さぶっているようだ。実際、エルを気にかけながら体に力を入れているものの、その内容に気が逸れてしまっている。

ぼとりと音がして、呪い師の左腕が落ちた。よく見ると左足もなくなっている。

「あぁあぁぁ…ついに腕が、もげた。あー、エルフを食ってから、元気なんだ。心がな、元気で、足がなくても手が取れても痛くない。平気なんだ…そうだ!お前も食うか?そのエルフを。半分にしよう。魔法の力が得られる。城でな、弱ったエルフも、食った。それは男だったな。人間を操る力は、そいつのおかげだ」

「弱った、エルフ?…まさか」

「城に来たエルフは二匹しかいなかったんだ。一匹は王のお気に入りになって手が出せなかった。残りの、檻に入れてたエルフを食った。美味かった。周りには逃げたと伝えた。みんな残念がっていたよ、具合を試したかったってな。女も、男もな、死の間際に魔法が変わったんだが…あれだな。ダークエルフになったんだろう?王のお気に入りを見てわかったよ。怒りでダークエルフになるんだ。ダークエルフになったときの魔法が、もらえるんだ。エルフを、食うと」

「黙れ!」

「美味いぞぉ、エルフの肉は…お前はどんな魔法をくれるんだ?もっと怯えろ。ダークエルフになれ。騎士団、殺せ、その剣で。美味い肉だ。エルフの、肉は。ひひ。いひひひひひひひひ」

呪い師の右足が音を立て折れ、右手をかざしたまま地面にひれ伏した。

ヒューは剣を握る右手を必死に押さえる。剣は少しずつその刃を見せている。

エルがヒューから飛び退いて離れた。

「ならない…僕は、ダークエルフに、ならない!ヒュー!頑張って、負けないで!」

エルが両手をかざす。風の力が呪い師を遠ざけた。足のなくなった呪い師は耳と鼻を落としながら遠ざかっていく。

「くそ!させるか!」

呪い師が右手を強く開くとヒューの体は自由になった。しかし、何か強い力で剣が引きぬかれた。呪い師の言っていた、物を動かせる力を使ったようだ。剣はエルに向けて飛んでいく。

ヒューは駆け出した。脚力には自信がある。ヒューはエルの前に立ちはだかった。ヒューの剣は、ヒューの脇腹を掠って地面突き刺さった。服とともに脇腹の肉を持っていかれた。鮮血が、まるで花咲いたかのように地面を鮮やかに染める。

ヒューは倒れ込み、落ちていた石を手にする。呪い師に向けて投げつけた。額に当たったそれは呪い師の頭をえぐり取った。呪い師はぐったりと腕を下ろした。もう剣が動く気配も、呪い師が動き出すこともなかった。

「ヒュー!やだ、しっかりして!ヒュー!」

「す…すまな、い、エル…人間が、また、お前、を…」

人間が、ヒューの同族がまたエルを傷つけた。エルは仲間を大切にしている。その仲間が食われたと言う。

どうしてエルがこんなに傷つかねばならないのか。

エルは大きな瞳から涙をぼろぼろとこぼしながら叫んでいる。こんな顔をさせたいんじゃない。エルはさっきエルフと再会した時のように、笑っていたほうがいい。笑ってほしい。

「だめだよ、ヒュー、お願い!しっかりして、寝たら駄目、お願い!」

「すまない、える…ごめん…ごめん、な」

とても寒い。体から熱が抜け出ていっている気がする。エルがこれ以上泣かないように。祈りながらヒューの意識は暗闇に溶けていった。

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