第10話

ヒューは娘を振りほどいて駆け出した。あんな子、とは、えるのことではないか。エルフを連れて帰ってきたことが知られていた。

走るヒューの背中を、娘の絶叫が追いかけた。

「だめよ!行っちゃだめ!」

ヒューは振り返らずに家まで走った。小さな村だ。すぐに家についた。ヒューの脚力に、誰もついてこなかった。

家の前でもつれ合う人影があった。

「える!」

巨体に組み敷かれているのはえるだった。駆け寄って巨体を蹴り飛ばす。被さっていた男は吹っ飛んだ。

「える、大丈夫か!?」

「ひゅ、う…」

抱き起こしたえるの歯はガチガチと音を立てている。顔色は真っ青だ。

男を見てヒューは驚いた。騎士団の仲間の一人だ。エルフの国でえるに掴みかかっていた男で、ヒューがその片腕を切り落とした相手だ。包帯の巻かれた腕には薄っすらと血が滲んでいる。まだ塞がりきっていないのだろう。男は体を起こし、懐からナイフを取り出した。

「おいおい、戻ってくんのが早ぇえよ。会いたかったぞ、ヒュー。腕の、礼を、しきゃならねぇ…まさかそのエルフを連れ歩いてるとはな。情でも湧いたか?」

「情?なんのことだ…える、たってくれ」

ヒューはえるを抱えて立ち上がり、えるを地面におろした。えるはふらつき、震えてヒューにしがみついている。しがみついて立つのがやっとのようだ。えるを背後に隠し、ヒューは男に立ちはだかる。

村に行くだけだったので、剣は家の中においてある。今、ヒューには武器になるものがなにもない。

相手がただの野盗であれば良かったのだが、騎士団だ。彼の強さはわかっている。手負いとはいえ、丸腰な上にえるを庇ったままで敵うかどうか。

「何発やったんだ、そのエルフと。俺も一匹攫って逃げちまえば良かったよ、クソが!」

男はナイフを構えて向かってきた。えるを体で隠しながら、ヒューは迎え討とうと構えた。が、激しい風音と共に男は吹き飛んでいった。ナイフは取りこぼしたようで、遠くへ飛んでいく。

「ヒューを、傷つけ、たら…許、さない…!」

えるは両手を前に突き出し、騎士団の男に向けていた。その瞳は怒りで煮えている。えるのこんな顔は初めて見た。 

「王様を、殺した…カジュも、殺した、貴方、が…みんな、エルフの国も、傷つけた、壊した!」

「ぐ、ぐげっ…」

ナイフは吹き飛んで見当たらなくなったが、男は離れた場所で空に浮いたままでいる。残った手で首を掻きむしる男の様子は尋常ではない。

えるは悲鳴のような叫びを発し続ける。

「ぼくの、だいじな、もの!壊した!お前が!どうして?どしてだよ!お前が、お前のせいでっ!」

「える、落ち着…」

「ひゅーを、傷つけるな!死ね!死んでしまえ!殺して、や…」

「える!だめだ!」

ヒューはえるに向き直り、強く抱きしめた。強い怒りで、エルフはダークエルフになってしまう。えるはそう言っていた。このまま、怒りに満ちたまま奴を殺してしまえば、ダークエルフになってしまうのではないか。そうなればえるはエルフの国には帰れなくなる。

背後でぼとりと音がした。恐らく男が地面に落ちたのだろう。

「っ…ひっ…ひゅぅ…」

「える、大丈夫だ。落ち着け。俺はなんともない。何も、されてない」

「う、ぅ…うぇ…うぇえ…んぇええぇ」

えるを抱きしめたまま背後を伺う。男が動く気配はない。ヒューはえるの背中をとんとんと叩く。えるは泣き出した。まるで幼い子供のようだ。目の前でこの男に仲間を殺されていた。とても怖くて、憎しみも強かったことだろう。

「どうして、エルフがいるの?連れてくって言ってたじゃない!」

甲高い叫び声に、腕の中のえるが跳びはねた。ヒューも突然の声に驚く。行商人の娘が騎士団の男に近寄った。

「待て、危ない!」

「せっかく教えたのに!この役立たず!」

「おごっ…」

娘は男の胴を蹴り上げた。男はピクピクと体を震わせている。濁った声を上げた男は生きていた。か弱い娘の一撃は致命傷にならないはずだ。

ヒューは憤る娘を眉をひそめて眺める。先程男は戻るのが早いと言った。ヒューがもう少し遅く戻るはずだと知っていた口ぶりだった。娘もこの男を知っていたようだ。

「知っているのか?この男を」

ヒューが声を掛けると、娘は男をきつく睨んだ。

「この人、騎士団なんでしょ?三日前にあなたを探しに村に来たのよ。昨日、エルフと一緒に帰ってきたのを見たから教えてあげたの。せっかく協力したのに…このゴミ野郎!」

「協力って、どういうことだ」

「エルフを連れ出すから村でヒューを引き止めておけって。だから行かないでって言ったのに!それより、いつまでくっついてんのよ!」

娘はヒューとえるに歩み寄り、えるに掴みかかった。ヒューからえるを引きはがそうとしている。えるは驚いた顔で固まって、されるがままになっている。

ヒューは怒りをこらえて娘を止めた。

「おい、やめろ!連れ出されたエルフがどうなるか、わかってやったのか?」

「わかってるわよ。王様やお客様に足を開いて媚びるんでしょ?その顔だもの、きっと大人気ね。引く手あまたよ。アンタはそういう生き物でしょ?」

娘はえるを見て笑う。えるを見下した、嫌な笑い方だった。えるに伝わってしまっているだろうか。言葉を理解し始めているえるには娘の話がわかってしまうかもしれない。青い顔のえるは震えている。言葉はわからなくとも、娘の顔で、よくないことを言われていると気づいてしまっているだろう。

「あぁ、ヒュー。あなた、騙されたのね。こんな顔の淫売、そうそういないもの。仕方ないわ。一度なら許してあげるから。さぁ、私の家に行きま」

ヒューは腕に絡みつく娘を振り払った。娘は反動で地面に尻もちをつく。すぐさま娘はヒューに食ってかかった。

「なにするのよ!」

「うるさい!わかっていて、えるを、この男に渡そうとした。俺はお前を、許さない」

「な…そんな、お、怒ら、ないでよ」

ヒューは唸るように低い声で娘に告げた。彼女に、いや、彼女に限らず村の人間相手に、ここまで感情をむき出しにしたのは初めてだ。だからだろう。娘は怯えて震えだしている。

「帰れ。二度と顔を見せるな」

ヒューは冷静になろうと努めた。しかしできなかった。ヒューの地を這うような低い声に、娘はついに泣きながら、足をもつれさせながら走り去って行った。

男は倒れたままピクリとも動かない。

ヒューはえるを抱き上げて家に入った。

えるを椅子に座らせ、ヒューはえるの前に膝をついて座る。

「ひゅー、あのね、ほすが、はしって、どこかにいっちゃたんだ!びっくりして、あの、あの人、木を、投げて」

「大丈夫だ。ほすは強い馬だから。それより…怖かっただろう。すまない。あの男は、さっきの少女のせいで…」

「だ、大丈夫…聞こえて、わかったから。女の子の、話。大丈夫、だよ。平気」

「える、その…ダークエルフに、なってないか?」

「うん。風のちから、使える、から。大丈夫。だい、じょ、ぶ…」

えるは両手から少しの風を出した。優しい風がヒューの頬を撫でる。確かに、ダークエルフにはなっていないようだ。

えるはぎこちなく微笑んだ。えるは微笑んだまま、ヒューが見上げる大きな瞳から、大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちた。ヒューは立ち上がり、えるを胸に抱きしめる。

えるはまた子供のように泣いた。なんども大丈夫だと強がっていた。きっとヒューに心配をかけないためだ。なぜこんなにも心優しいえるが傷つけられなければねらないのだろう。

「でも、大丈夫じゃ、ない。えるは、傷つけられた。悲しんで、怒っていい。我慢しなくていい」

ヒューはえるの背中を撫でて訴えた。えるの悲鳴のような泣き声はどんどん大きくなっていった。

「どう、して?どうして、エルフが、傷つく、の?ぼく、ちがう。こびて、ない。足も、ひらいてないよ。エルフは、そんな、生き物じゃ…」

「あぁ」

「どうして?殺され、なきゃ、いけなかったの?あの人、殺した、ぼくの、仲間…大事な仲間と、国を、傷、つけた。どうして?なんで、生きてるの?あんな人が、あんな、のが…エルフが、何をしたの?返して、みんなを…返してぇえっ!」

えるは泣き、叫んだ。今までえるは泣き言を言わなかった。いつも無邪気に笑っていた。ヒューは、えるが無理をしているように感じていた。

えるのその胸のうちは、悲しみと怒りでいっぱいだった。

もっと早く発散させてあげていればと、後悔がこみ上げる。悲しくないはずがない。苦しくないはずがない。えるはダークエルフになったるふを見捨てることなく、優しく諭していた。えるはエルフ達を、仲間をとても大切にしていたのだろう。

涙を流すえるの姿に、ヒューは自分の身が裂かれているかのような気がした。もっと早く戻っていれば。あの男の、腕だけではなく命も落としておけば。エルフの国に、行かなければ。

ヒューの中に、後悔と絶望が満ちる。

人間のなんと愚かなことか。

自国の王の、エルフを奴隷にして商売をするという下卑た願望に失望した。それだけではない。仲間であった騎士団の男の欲望と、行商人の娘の悪意を見せつけられた。妹のように思っていた彼女が、あんな悪意を持っていたなんて。

エルフは何もしていない。ただ周りの人間達が狂っていっただけだ。しかしそれが彼等の、人間の本質なのだ。ヒューは彼等と同じ種族。同族だ。

そしてそれが、ヒューが命を懸けて守ってきた村とその人間で、国王で国だった。

「人間が…俺たちが、すまなかった」

「違う。違う、よ。ヒューは、ちがう」

えるは泣きながらヒューの言葉を否定する。辛いのに、他人を思いやれる。この子は優しい。人間よりも、よほど。

何も考えず、ただ守るだけなら楽だった。拾われたヒューは、雇われたヒューは命を懸けて守ることが存在できる理由だった。そうしなければまた、捨てられてしまうかもしれないから。

今はその存在理由が揺らいでいる。ヒューは、まさか自分が捨てる側に立つなんて思いもしなかった。

泣きじゃくるえるはヒューにもたれかかり、段々と体から力が抜けているように見えた。ヒューは懐から小瓶を取り出す。

「える、蜂蜜だ。食べられるか?」

「う…ぅ、えぅ…」

「少しでいい、食べてくれ」

ぐずぐずと鼻をすするえるの顔を布で拭ってやり、ヒューは蜂蜜を自身の指に垂らした。えるの唇に塗りつけると、えるの舌が唇を這う。えるは蜂蜜のついたヒューの手を取り、丁寧に指から蜂蜜を舐め取った。小さな赤い舌がちろちろと上下に動く。まるで小動物のようだ。あらかた舐め取ると、えるはずびっと鼻を鳴らした。

「はなの、蜜…おいしぃ…」

えるはふにゃりと笑った。ヒューは指を布で拭い、えるの頭を撫でた。

「急だが、もう、村を出よう。エルフがいると知られてしまった。エルフの国に向かおう」

「えっ、今、から?」

「あぁ。まだ、辛いと思うが…もう少し蜂蜜で回復して、準備をしてほしい。林檎がまだ買えてないが、別の所で買おう」

ヒューは蜂蜜の小瓶をテーブルに置いた。小皿とスプーンを用意してやると、えるはスプーンに数滴蜂蜜を垂らして口に運んだ。少し目を閉じて、えるはぐっと両手で拳を作る。

「うん。体は、もう、大丈夫」

「無理はしなくて、いいからな」

えるは頷いた。体は大丈夫。心はまだ苦しいだろう。

無事にエルフの国まで送り届けたい。優しいえるに、仲間達に会わせてやりたい。えるを追ってきたエルフ達が、どうか無事でいてほしいとヒューは願った。せめて彼等は生き残り、仲間想いのえると共にこれからを過ごしてほしい。

ヒューは窓の外を見た。離れた場所にいる男はまだ横たわったままだ。ヒューは袋に必要最低限の物を詰めた。棚の上に伏せて置かれた小さな絵を手に取る。祖母と、幼い自分の描かれた絵だ。祖母の面影はもうこれしかない。

「ひゅー、あの…その子は、ひゅーの、子供さん?」

えるに声をかけられて、何を言われたのかわからなかった。えるが絵を指さしていることで、絵の中の自分のことを聞かれたのだとわかった。

「俺の子供の頃だ。15年くらい前だったかな…」

「じゅ?15年!?15年で、そんなに、こんな、大きくなるの!?」

「?あぁ、そうだな」

えるは目を丸くして絵とヒューを何度も見比べていた。恐らく、長寿なエルフはもっと成長が遅いのだろう。

はぇ〜と声をあげるえるの頭を撫でた。さっきまで大泣きしていたのに。きっと必死に、気持ちを盛り上げようとしている。

「この絵、持って行くの?」

「あぁ。この家にはもう、戻らない」

ヒューは決意を込めて答える。

もうこの家には戻らない。この村にも。えるをエルフの国へ連れて行った後はチルとるふを手助けしに行く。その後ヒューは、どこか、ここではない国へ行くつもりだった。行く先のあてはない。どこか、遠くに行けたらそれでいい。

「ひゅー、それは…」

「える、人参を袋に詰めてくれないか?ほすの分だ」

「う、ん…ほす、大丈夫かな…」

えるは何かを言いかけて口を閉ざし、袋に人参を詰め始めた。ほすは強い馬だ。一度ここにも来ている。きっと森の何処かで今は落ち着いてるはずだ。

えるはチラチラと窓の外を気にしている。早くホスの姿をみせてあげたほうがいいだろう。ヒューは支度を急いだ。

支度を終えて外に出る。男はまだ倒れたままで、村から誰かが来ることもなかった。しかしあの娘のことだ。きっと父親と村人を引き連れてここへ来る。時間の問題だ。

ヒューはえるを家の側で待つように伝えて男に近づいた。少し離れた場所に落ちていたナイフを手に取り男の脈を確認する。男は生きている。ヒューはえるに見えないよう、そっと男の首を切った。吹き上がるそれは土に染みてエルには見えない。ヒューはナイフを墓標の代わりに地面に突き刺した。

この男はえるを狙っていた。エルフの国の場所も知っている。生きている必要はないとヒューは判断した。

これでエルフの国への行き方を知る者はもういないはずだ。

村人には、この男がエルフの国について知らせていないことを祈るしかない。村人が知ったところで、武術や体力に覚えのない者ではエルフの国に辿り着けないだろう。

それにこの男はがめつく性格があまり良くない。貴重なエルフの国の情報を他に漏らすと思えない。

万が一エルフの国への行き方を知った村人がいたら、この遺体を見て思い直してくれるといい。エルと、エルフの国に害なすものを、ヒューは許さない。

男は気を失っているだけだとえるに伝え、えるを連れて小屋の裏の森に入る。離れた場所で指笛を吹くとホスはすぐにやってきた。えるの頭を食み何度も顔を擦り付けている。

「ほす!良かった、無事だった…」

「コイツはそう簡単にやられない。強い馬だ。えるを心配してるみたいだな」

「良かった。でも、びっくりしたよね、ごめんね。僕は大丈夫だよ。ひゅーがね、来てくれたから」

えるはホスに語りかけた。言葉が通じるわけではないと言っていたが、本当なのかと疑ってしまう。ヒューと話している時のようにホスに話しかけるえるは、会話をしているようにしか見えない。

ホスは特に怪我もなさそうだ。ホスの背中を叩いてから、えるをホスに乗せる。ヒュー自身もホスの背に乗った。

ヒューは振り返り、祖母と過ごした家を眺めた。急いで支度をする中、ヒューは家の中を見て回った。小さな家だ。そう時間はかからなかった。一つ一つに、祖母との思い出が刻まれている。村と国を捨てるヒューの選択を、祖母はどう思うだろうか。もうここにはいない祖母からの答えはない。

「行こう」

ヒューはホスを走らせ、村から出た。

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