第8話

「ひゅー。どこかでぼくたちも、休めないかな」

「…わかった」

ひゅーはちると何かを話す。それからエルに向き直った。

「ちるに、はねばしがおりたら俺達もここをでるとつたえた。るふ、にもつたえてほしい。もしも今、まものがきたら、俺がたたかえる。える、は みつ…るふは、元気、ならないか?」

エルははっとした。これからちるを連れて城を出るなら少しでも力を回復したほうがいい。手を伸ばすひゅーに花の蜜を預けると、ひゅーはルフに手渡した。

「ルフ、花の蜜だよ。ひゅーが、くれたんだ。ルフに、あげるね…元気になったら、跳ね橋を降ろして。僕達も、ここを出るから」

ルフは小瓶から指で掬って花の蜜を舐める。みるみる顔色が良くなっていった。

エルはルフにひゅーの話を伝えて、二人に背を向けた。これ以上エルはルフに近づけない。一人が怖いというルフの傍にいるのは酷だ。ルフにはちるがいる。いてくれるはずだ。

エルはひゅーのあとについて部屋を出た。

エルも、ルフの傍にいるのは辛かった。

(守れなくて、ごめんね)

エルはエルフの国の次期国王なのに。理由はどうあれ、大切な国民の一人であるルフが闇に堕ちてしまった。堕ちてしまったその時に傍にいてあげられず、食い止めることもできなかった。これ以上ルフの傍にいる資格は、エルにはない。エルは歯を食いしばって涙を堪えた。

エルはひゅーと共に部屋を出て階段を降り、建物を出た。変わらず人間の気配がない。ひゅーの後についていき、小屋に入る。嗅いだことのある独特の匂いがした。馬と干し草の匂いだ。小屋の中には何頭か馬がいた。柵の空いた場所に、ほすがのんびりとくつろいでいる。他の馬たちも外の静けさを気にとめず、のんびりしている。

「るふ、が、馬の手入れをして、ときどき乗っていたらしい。ちるがいっていた。この栗毛が、たいりょくがあるが…みんな騎士団のあつかうつよい馬だ。きっとふたりを無事に、にがしてくれる」

「そう、なんだ…ルフね、動物が、すきだから…うまも、のれるよ。だから、大丈夫、だね」

「あぁ。こいつは性格もおだやかだ。少し…しろを、みてまわっても、いいか?」

「ぼくも、いっしょにいていい?」

ひゅーが頷いた。エルはひゅーの後ろをついて歩いた。静かな城の敷地内を歩いて回る。城の中だけでもエルフの国より大きく感じる。複数そびえる建物の高さは、エルフの国では樹木くらいしかない。静まり返った周辺に、ひゅーとエルの足音だけが響く。ぐるりと辺りを周ってみたが、やはり人間の気配はなかった。最後に寄った建物の近くに、金属の服を着た人が倒れていた。

「騎士団のひとりだ」

通りで見覚えのある格好だと思った。外にいた騎士達もそうだったが、エルフの国を襲った時、彼らはこの服を着ていた。

ひゅーが屈んで、倒れる騎士の体を見ていた。腹部に赤黒いものがべっとりとこびりついていて、エルは思わず目を逸らしてしまう。

「…べつのばしょに行こう」

「ここは、なにがあるの?」

「騎士団が、きゅうけい…休む所だ」

ひゅーが騎士団とエルの間に立つ。エルの視界は大きなひゅーでいっぱいになった。また、ひゅーについて歩く。普段言葉少ないひゅーだが、今日は一段と無口だ。歩いていった先にあったのは、たくさんの椅子とテーブルの並んだ場所だった。

「すこし、やすもう。俺はおくを見てくる」

ひゅーが椅子を引いてくれた。エルは腰をかける。ひゅーは壁と壁の間の開けた場所に姿を消した。消えてしまったひゅーに不安なったが、ひゅーはすぐに戻ってきてくれた。奥は厨房だそうだ。

「すまん。りんご、なかった…える、大丈夫か?」

こんな状況でも、ひゅーはエルの好物がないか探してくれたようだ。エルはひゅーに頷く。さっき大きな力を使ったものの、花の蜜のおかげで、体は問題なく回復している。体は元気だ。

腰をかける様子のないひゅーを見て、エルは椅子から立ち上がった。エルはひゅーの手を取って、こくりと唾を飲み、口を開く。

「ひゅー、あのね…あの、ごめんね。ルフは、騎士団の人たちが、ひゅーのなかまって、しらなかったから…ルフが、からだを使ってしまって、ごめんなさい」

エルはひゅーに向かって頭を下げた。ルフはひゅーが騎士団であることを知らない。とはいえ、亡くなった仲間の体を利用されて、ひゅーの気分は良くなかったと思う。怒りを抱いて当然だろう。ひゅーの困ったような声がエルの耳に入った。

「いや…るふは知らなかった。身をまもろうとして、しかたないことだ。それより…すまなかった。王の話が、ほんとうだった…もっとひどい、りゆうだった」

エルが顔を上げると、ひゅーは暗く、苦しそうな顔をしていた。どうしてひゅーがこんなに苦しそうなのか。エルは首を横に振った。

「そんな…しかたないよ、おうさまの、めいれいで…」

「だが、止められたかもしれない…自分のくにの王が、あんなにもおろかな人間だったとは…」

自国の王があまりに低俗な人間だった。国民であるひゅーにはひどい真実だったのだろう。

しかし、それにしてもひゅーは、エルフや子供が使われるということにひどく落ち込んでいるように見える。ひゅーの過去に何かあったのだろうか。落ち込むひゅーに、エルは寄り添い背中を叩いた。

「ひゅー…ひゅーも、なにか、つらいめに…ちいさいときに、なにかあったの?」

「…どうして、だ?」

「だって、エルフと、子供を、心配してて…すごく、つらそうだから…ひゅーが、思い出して、つらいのかな、って…つらかった、よね」

きっと過去にひゅーも同じ目にあったのだろう。辛い話だろうから、言わなくてもいい。ただ今、エルはひゅーの辛さを少し軽くできたらと思った。エルはひゅーを見上げて驚いた。ひゅーが困惑していたからだ。

「いや…俺はなにもされてないが…」

「え?でも、すごく、こころがいたそうだから…ひゅーも、おなじ目に…その、無理矢理…」

「いや。全然ない。ただ、子供は守るものだろう?」

ひゅーはエルの問いに、少し困惑しながら不思議そうに答えた。

ひゅーが心を痛めているのは単純に、子供は守るものだという理由だけのようだ。子供と同じように、子供に見えるエルフのエルも守る対象で、だからエルに深く同情してくれている。

エルは涙が零れそうになった。ひゅーはやはり優しい人間だ。見知らぬ子供もエルフも見捨ててしまえばいいのに、ひゅーにはそれができないらしい。どうしてそこまで守ろうとするのだろうか。それはきっと、ひゅーが優しいからだ。彼はとても優しい人間だ。

「ひゅー、あのね、エルフの、国…ぼく、ひとりでいかないと、だめかな…?あのね、こわいから…ひとりは、こわいから、ひゅーも、いっしょに…いっしょに、きてほしいんだ」

そんなひゅーの優しさに漬け込むようで心苦しいが、エルはひゅーに願いを告げた。エルは涙をこらえてひゅーを見上げる。

村を出る時から不安だった。今は益々不安が募っている。エルフの国に一人で行くのは怖い。これからこの城でひゅーと別れて一人ぼっちになるのはとても怖い。できるなら優しいひゅーにそばにいてほしい。

「あぁ。エルフの国に、いっしょに行く。ただ…その前に、もう一度家に、もどってもいいか?」

「っ…うん!」

エルの願いは通じたようだ。ひゅーはすぐに承諾してくれた。

エルはほっとした。エルフの国まで一人じゃない。ひゅーがいてくれると心強い。

それに、人間の王と話してからどこか暗い瞳をしたひゅーが心配だった。元々口数の多くなかったひゅーは、益々口数が少なくなっている。エルは一人になりたくなかったが、ひゅーを一人にもしたくなかった。


跳ね橋の降りた音がして、エルはひゅーと共にほすに乗って城を出た。逆方向に向かって栗毛の馬が遠ざかっていくのが見える。小さな人影はルフとちるだ。

きっともう、ルフと会うことはないだろう。人間の王の部屋で、距離を保って近くにいることはできた。しかしそれも今後も同じとは限らない。少なくとも触れ合うことはもうできない。せめて今はちるに、ルフのそばにいてあげてほしい。

エルフの寿命は人間のそれより遥かに長い。ちるを失ったあとのルフが心配だ。エルフの国に戻り、ダークエルフと共存できる道を探したい。エルは新たな決意を胸に、ひゅーの村へ向かった。




道中、とても静かだった。

エルはいくつかひゅーに話しかけたが、返事は言葉少なかった。ひゅーはエルに不便はないか疲れていないか細かく気にかけてくれた。冷たくされているわけではない。むしろひゅーは村を出る時に増してエルに親切にしてくれている。しかし、その暗い瞳が晴れることは、ついになかった。

ひゅーは何がそんなに不安なのだろう。聞いてもなんともないと言い、明確な答えは返ってこなかった。




エルが不安を抱いたまま、ひゅーの生家に辿り着いた。

辿り着いた翌日、ひゅーは荷物を確認していた。

「数日ここでじゅんびをして、エルフの国にいく」

「うん。ぼく、おてつだいできること、ある?」

「そうだな…ほすを、ねぎらってやってほしい。あいつはえるを気に入ってるから」

「じゃあ、にんじんあげて、ぶらし、するね。にんじん、ちゃんとほすにあげるからね」

「ふ…そうだな。えるが食いつくすまえに、ほすにやってくれ。ほかのにんげんには、気をつけろ」

ひゅーは少し笑った。しかしすぐに少し悲しげな顔で、買い物に出かけていった。

どうしてあんなに悲しそうなのだろう。せっかく生家に戻ってきたのに。どうしたらひゅーは悲しい顔をせずにいられるのだろうか。

ひゅーのことがわからない。エルはひゅーのことをあまりよく知らない。エルはもっと、ひゅーのことが知りたい。もっと知りたくて話がしたいのに、最近のひゅーはぼんやりもしていて、あまり会話ができないし、続かない。

エルはブラシと人参を持って外に出た。せめてお手伝いはしっかりやろうとほす呼ぶ。エルの呼びかけにほすはすぐに反応してくれた。

「ぶらししたら、にんじんだからね。にんじんだよ。うれしい?」

ほすはぶるぶるといななく。ほすとはこんなにも意思の疎通ができるのに。

「どうしたら、ひゅー、元気になるかなぁ…」

エルはほすの体にくっついた。ほすは慰めるようにエルを鼻で押す。

エルがほすのたてがみを撫でると、ほすが大きく嘶いた。たてがみが痛かったのかと驚いたが、そうではないようだ。ほすは聞いたことのない、怯たような声をあげている。

「どうしたの?ほす…」

「見つけたぞ」

低い声がエルの耳に入り込んできた。ザラザラとした声に聞き覚えがある。振り返ると男が立っていた。片腕に包帯をまいた男に、エルの全身は怖気だった。エルフの王を殺し、エルを連れ去ろうとしたあの男だ。

「話はほんとうだっ 。ヒューはど だ。ここはあい の家だろ?」

男がエルに近づいてきた。ほすが一際大きくいななくと、男はほすに木の枝を投げつけた。

「や  しい!このク 馬がっ!」

ほすは驚いて前足を振り上げる。エルは叫んだ。

「ほす!逃げて!」

ほすの尻をひと叩きすると、ほすは駆け出していった。木の枝を投げた男はほすを傷つけることに躊躇がない。下手をするとほすが殺されてしまうかもしれない。ほすの足なら速く、遠くへ逃げられる。人間のこの男は追いつけない。

エルも逃げようと駆け出すが、エルが逃げるよりも早く腕を掴まれ地面に引き倒された。

「会い かったぞ…お前 せいで、ほら、うでが    」

エルの目の前に、男の包帯の巻かれた腕が突きつけられた。血が滲み、嫌な匂いがする。エルが顔を背けると、追いかけるように男の顔がエルの頬にぶつかった。

「どうせなら…王にわたすまえに、 ってやる。かわいい、かわいいか だ。おまえを したら、ヒューはどんな顔をするだろうな」

「やだっ…いや!いや、だ、っぐぅっ…」

男はエルの頬を舐めながら片手でエルの服を剥いだ。薄布を合わせただけの服は簡単にはだけてしまう。荒い呼吸と唾液のひどい匂いに、エルは吐きそうだった。

もがいても暴れても、大きな体にのしかかられて身動きが取れない。男は体でエルをねじ伏せて、残っている片手でエルの体を確かめている。

人間は良いものだ。先々代の王の手記に書いてあった。実際、ひゅーはとても優しくて親切で良い人間だ。

しかし、それだけじゃなかった。

望まぬままエルフの国を出て外の世界を見た。数は少ないが人間を見た。悪い人ばかりじゃなかった。良い人もいた。しかし実際のところ、良い人間ばかりでもなかった。

人間の王はエルフを性的な奴隷として使おうとしていた。実際に使われて、ルフはダークエルフに堕ちた。この男もそうだ。エルの承諾もなく体を暴こうとしている。この男は、エルフの王を殺した。果樹園の主の首を持っていた。

人間は良いものばかりではなかった。身を以て思い知らされたエルは、せめて涙を流さぬように堪えた。

男は下卑た笑いを浮かべていた。エルを追い詰めて怖がらせて楽しんでいる。そんな男に涙を見せてたまるものか。

唇を噛み締めて、エルは必死に堪えた。

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