第6話

「…だーくえるふの、えるふは、なんさい、なんだ?」

「ルフ、は、50…成人に…おとなに、なったばっかり、で…」

ひゅーは暗い顔でうつむいた。少し、沈黙が流れる。ルフは50歳で成人で、大人だ。しかし、大人になったばかりだ。求められる行為はルフにとって大きな負担だっただろう。

ひゅーが、長く息を吐いた。

「…おうのめいれいだと、きいた。しかし、おれも、おうからちょくせつ、きいたわけじゃない。りゆうがほんとうなのか、なぜエルフの国をおそったのか、ききたい。このくにの、おうさまが、そんなめいれいをだしたと、しんじられない。しんじたく、ない」

「…そうだね。ぼくも…そのめいれいは、しんじたくない、よ…」

エルはエルフの国の次期国王だ。同じ王として、他の種族を踏みにじるような命令を出すなんて考えたくない。できることなら人間の国の王本人に話を聞いてみたい。

「わるかった…えるがおとなでも、いやなはなし、だったとおもう」

ひゅーが暗い顔で口を開いた。エルは首を横に振った。

「うぅん…ぼく、ききたかった。くにが、おそわれた、りゆう。きけて、よかった」

ずっと聞きたかった。聞きたくて聞けなかった。エルフの国を襲った理由。なぜあのような暴挙に出たのか。

人間は良い生き物だ。

理由を聞いて、これ以上人間に失望したくなかった。

ひゅーの話を聞いた結果、正直、人間に対して良くない想いを抱いた。不快に思った。しかし理由を知った今、もっと人間のことを知りたいとエルは思っている。

欲を晴らす対象として、なぜエルフを選んだのだろうか。まだ疑問は残っている。人間の王と対話することで、きっと疑問は解消するだろう。より良い道を探せるのではないのだろうか。人間は良い生き物だ。それは先々代の王の手記を見たエルには疑いようのない事実だ。間違いない。エルの、人間の王に会いたいという気持ちはより強まった。

それに、ひゅーを改めて良い人間だとエルは思う。エルフの国を襲った理由を言い淀んだのは、エルのことを思ったが故だったようだ。子供扱いされたことは面白くないが、子供であるエルに聞かせまいというひゅーの優しさだった。今そばにいる人間が、ひゅーで良かったとエルは思う。

しかしまた、疑問が浮かぶ。ひゅーが国を守る騎士団という団体に所属し働いていたことは聞いた。なぜ、エルを王様の元へ連れて行かないのだろう。国へ行くことを渋っていた。城は危険だとひゅーは言っていたが、ダークエルフを恐れていたわけではないだろう。ひゅーは強い。エルフとダークエルフが接触してはならないことも、ひゅーは知らないはずだ。エルフ自身も不確実な情報を人間が知り得るはずはない。

エルは恐る恐るひゅーに切り出す。

「どうして、ぼく、つれていかなかったの?おうさまのところに」

「こどもだから。あ、いや…こどもだと、思っていたからだ。エルのことを。こどもじゃなくても、そんなことは、したくないだろう。それに、ほかのエルフにやくそくした。おまえをエルフの国にかえす、と」

ひゅーの子供扱いにエルの頬は無意識に膨らんだ。そのせいか、ひゅーは慌てて言い直した。

ひゅーはエルに無体が働かれないよう、連れて行かないでいてくれたようだ。

そしてエルは、ひゅーが仲間たちにそんな約束をしていたなんて知らなかった。言葉は通じないはずだ。いつ、そんな約束をしたのだろうか。涙が溢れそうになって、頬が熱くなった。ひゅーの優しさに、エルは胸も熱くなった。

「ひゅー…ありがとう」

ここまで連れてきてくれた。人間のことがわからないエルの面倒を見てくれた。国王に差し出すべきエルをずっと匿っていてくれた。

ひゅーは視線を落として首を横に振る。

「…れいをいわれることは、してない。おれも…えるの国をおそったにんげんの、ひとりだ」

「ちがうよ。ひゅーは、ちがう。ひゅーは、やさしいよ」

エルは身を乗り出してひゅーに答えた。ひゅーはエルを助けてくれた。今もエルの願いを叶えるために城に向けて旅をしてくれている。必要な物資もひゅーが揃えてくれた。ひゅーは、他の人間とは違うと思っている。

ひゅーは少し首を傾げた。

「やさしい、か?」

「うん、すごく。やさしいよ」

「そうか。それなら………よかった」

ひゅーは小さく笑った。ひゅーはいつもあまり表情がなく、顔だけ見ると、ちょっとオークのような怖い顔だ。一緒にいるうちにひゅーの感情の機微は少しわかるようになったが、今のように柔らかく微笑む姿は初めて見た。

「もう、ねよう。あしたも、あかるくなったら、ここを出る」

「うん。おはなししてくれて、ありがとう。おやすみなさい」

「…おやすみ」

エルはごろりと体を横たえた。

ダークエルフとなったエルフの国の仲間のルフ。エルフを慰み者として使おうとしていた人間の王。人間の国の城にはこの二人がいるはずで、二人に会うのはまだ少し怖い。

でも、ひゅーのおかげでエルの心は少し軽くなった。ひゅーが笑った。ひゅーの笑顔は柔らかく温かいものだった。やはり人間は良い生き物だ。ひゅーはとても優しく良い人間だ。傍にいてくれるのがひゅーで良かった。ひゅーの笑顔のおかげで、その日のエルは温かい気持ちに包まれて眠れた。





宿営地で一夜を過ごして三日がたった。遠目にも大きく見えた城は、もう目の前にある。

「大丈夫か?える」

緊張しているエルだが、エルの後ろでほすを操るひゅーの声も硬い。ひゅーも緊張しているようだ。エルはひゅーに頷いた。

「うん。ちゃんと、おぼえてるよ。大丈夫」

城に到着する前に、ひゅーとどう行動するのかすり合わせておいた。

『はしをわたったらほすと別れる。えるは大きなかいだんをあがっていけ。おれは、きしだんを止める』

城の中には騎士団がいる。言葉の通じるひゅーが説明をして、彼らを足止めしてくれる手筈になっている。階段を登った先には玉座があるそうだ。玉座にいなくともその奥が王様の寝室になっている。そのどちらかにいるはずだ。おそらくダークエルフとなったルフは王様のそばにいるのではないかと、ひゅーが言っていた。エルフを求めていたのは王様だからだ。

用が済んだらほすを呼び、エルフの国に向かう。

また、どちらもいないか話ができないなど失敗に終わった場合も、エルはほすを呼んで城の外へ逃げるように言われている。ひゅーはこの城の人間なので、留まると言っていた。

「ようがすんだらすぐにほすに乗れ。ほすはえるの声にこたえる」

「うん」

「よし…行くぞ」

ひゅーはほすの手綱を強く握った。いつもと違う空気を察したのか、ほすは大きくいなないて駆け出した。

城の橋は跳ね橋というもので、夜は橋を上げて侵入者が入れないようにしているそうだ。広い道幅の立派な橋は、エルフの国では見たことがない。跳ね上がる橋というのも見たことがない。

それに、城の周りには壁がある。城壁というらしい。城壁の途中に大きな門と跳ね橋がある。城壁の周りには谷があり、谷の底は水が流れている。これは堀というそうだ。全て人間の手で作られたそうだ。その規模に、人間の建設能力に、圧倒されてしまう。

跳ね橋に近づいてきた時、橋の手前に数人人影が見えた。

「ひゅー!だれか、いる!」

「走りぬけるぞ!」

ほすはひゅーの合図でぐんと加速した。ひゅーは前傾姿勢を取る。エルはひゅーに押しつぶされるような形でひゅーの胸の中にいた。ほすとひゅーの間に挟まれたエルの視界は風のように過ぎ去る。隙間から見えた人間は前かがみでウロウロと動いていた。重たそうな鎧を纏い、こちらを見て両手を広げて近寄ってきた。

「あれ、きしだんの、ひと!?」

「あぁ。だけど…なにか、おかしい」

エルはひゅーを見上げた。ひゅーの声は戸惑っていた。ひゅーが騎士団だという数人の人間はふらふらと近寄ってくる。統率が取れていないというのか。エルはなんだか少し、気味悪く感じた。意思がないような騎士団の動きは一体何なのだろうか。騎士団とはこういうものなのか。

「ひゅー!はしが!」

ギシギシと音が聞こえて見ると、橋が動いていた。まだ橋まで距離がある。しかし橋はどんどん城に向けて傾いていこうとしている。

どうやらエル達のいる対岸側を城の方に持ち上げて、進路をなくしてしまうのが跳ね橋というもののようだ。ひゅーの話は聞いていたものの、動いている姿を見てやっとエルは理解した。

持ちがる橋の前には騎士団の人間がいる。

「っ…くそっ」

ひゅーが舌打ちをした。手綱を握る腕に力がこもったのを感じてエルは叫ぶ。

「だめ!ひゅー、このまま走って!」

エルは両手を開いてほすの足元に向ける。体を起こしかけていたひゅーは再び前傾姿勢になった。片手で手綱を握り、片手でエルの腰を抱く。ひゅーに支えられたエルはもう落馬することはない。ひゅーとほすに体を預けてエルは自身の手のひらに集中する。ほすは益々加速していく。

ほすの駆ける足音にあわせてエルは地面に向けて風の力を放った。

ほすの体は空に浮き、眼下に騎士団と跳ね橋の端が見えた。騎士団のどろりとした目がどこかを見ていた。エル達を見ているような、いないような。

ほすは驚き少し暴れていなないたが、すぐに姿勢を正してくれた。風に乗って対岸までいき、跳ね橋の根元の先を目指して風の力を弱め、ゆっくりと下降する。ほすは上手に着地しそのまま駆け出した。

「エル!大丈夫か!?」

エルはぐったりとひゅーの胸にもたれる。馬とエルとひゅーの体重分浮かせるのにかなり力を使った。エルは自分の胸元に手を突っ込む。大切にしまっておいた小瓶を取り出した。中身はひゅーが村で買ってきてくれた花の蜜だ。指で掬って、エルはしゃぶりついた。

「はぷ。ん、あぷ」

体中にじんわりと力が巡っていく。エルはほっと息をついた。気づけばほすは歩み止めていた。エルの顔を見てひゅーも安堵の息を吐く。ひゅーはエルを抱えたままほすから降りた。ひゅーがほすの尻を叩くとほすは駆け出し、あっという間に見えなくなった。

「大丈夫か、える」

「うん。ちょっと、つかれちゃったけど…はなのみつの、おかげ。もう、げんき。ほすは、大丈夫かな…」

「あぁ。近くに馬小屋がある。この中はほすも慣れてる…しかし、変だ…」

ひゅーは辺りを見渡した。跳ね橋を渡ったらすぐに階段をのぼるように言われていたが、エルの魔力の補給で足止めしてしまった。計画が崩れてしまった。しかし今、ひゅーもエルを抱えたまま足を止めて周りを見ている。

「変?」

「にんげんのけはいがなさすぎる…はしの、もんの近くに   …にんげんがいない」 

エルも周りを見渡した。普段がどんなものかわからないが、確かに大きな建物なのに足音や気配がない。とても静かだった。

「いつもはもっと、にんげんがいるの?」

「あぁ…さっきのきしだんも、ようすがおかしかった…ひとまず、先にすすもう」

ひゅーはエルを降ろし、二人ゆっくりと建物の周りを歩いた。ひゅーの戸惑いを感じる。ひゅーは何度も辺りを見渡していた。外周を歩いて扉を入り、建物の中を歩く。やはり人の気配はない。目の前に大きな広場と階段が現れた。

「ここ、かいだん?」

ひゅーは頷く。眉間に深い皺が寄っている。

「…どうして、だれもいないんだ…える。かいだんの上まで、おれもいく。いいか?」

エルは何度もひゅーに頷いた。一人で行くように言われていたが、ひゅーが来てくれる。その方が心強い。エルはひゅーの手を握った。

ひゅーは頷き、手をつないだまま二人で階段を駆け登った。豪華な装飾が施された扉をひゅーが蹴破り室内に入る。立派な玉座に、見たことのある人物が座っていた。

「ルフ!」

エルは叫んだ。エルフの国にいた、エルの仲間だ。見てすぐにわかった。姿形は変わっていない。しかし、纏う空気が違う。離れているのに、ピリピリと肌に刺さるような何かがルフの周りを覆っている。

ルフは怒りを露わにして叫んだ。

「どうして来たんだ!跳ね橋を上げたのに!」

ルフは怒っている。エルも負けじと一歩踏み出し、叫ぶ。

「会いに来たんだ!ダークエルフになったって、聞いてっ」

「そうだよ!俺は、ダークエルフになった。闇に、堕ちたんだよ。ダークエルフとエルフは接触しちゃいけないって聞いたことあるだろ?帰れよ!俺はもう、エルフと、会えないんだから!」

「そんなっ…本に書いてあることが、本当かなんてわからないじゃないか!僕は、ルフが心配でっ…」

エルは一歩、また一歩とルフに近づく。駆け寄ろうとしたエルは膝から崩れ落ちた。 

「な、に…これ…」

「うぁ…い、痛ぇ…」

ルフも膝をついて苦しんでいる。エルも体から力が抜けるような、全身の痛みに苛まれて動けなくなってしまった。

「える!」

ひゅーの声が聞こえた。ふわりと体が浮いて体が楽になった。入ってきた扉の傍の壁に背を預け、ひゅーは剣を抜き、ルフに向けている。

「だめ、ひゅー!やめて!」

エルはひゅーの腕に縋り付いた。さっきまでの痛みが嘘のように体が動いた。

「まさか…今のが…」

ルフも同じだったようだ。立ち上がり、自身の身体を見回している。エルフとダークエルフが接触してはいけないというのは本当だったようだ。近づくと、お互いの体に何かが作用して動けなくなる。やはり、ルフはダークエルフになってしまったのだ。

「どうし  !?」

影から何者かが飛び出して、ルフにしがみついた。ルフよりも少し小さな体で、黒い髪をしている。耳も尖っていないこの子は人間なのだろう。可愛らしい顔立ちをしていた。その子はルフの体を触り、なにか話しかけている。

「だい   ぶ?どこ 、いたい?」

「お前、隠れてろって言っただろ!クソっ…」

黒髪の人間が話しているのは、人間の言葉だ。エルには聞き取れなかった。ルフは抱きつく人間にも怒っている。

エルは涙を堪えてルフに問う。

「その子は、誰なの?どうして…何が、あったの?」

ダークエルフに堕ちてしまう、一体何があったのか。ルフは驚いてエルを見たあと、顔を歪めて笑った。

「何でなのか…俺も、知りたいよ。なんで、こんな目にあうんだよ…こいつだよ、エル様。こいつが悪いんだよ。こいつが、全部!」

ルフは足元の何かを蹴った。それは人間のようだ。マントが絨毯と同化していて、そんなところに人間がいるなんて気付かなかった。

ひゅーが大きな声を出した。

「あ おう!」

エルはひゅーの大きな声に驚いたが、人間の顔にも驚いた。生気がなく、顔色が悪い。視線はあっているようであっていない。ひゅーの眉間の皺が益々深くなって青ざめている。この人は一体何なのか。ルフが笑って答えてくれた。

「こいつね、王様だよ、エル様。こいつが命令したんだよ。エルフの国を、襲うようにって。知ってた?」

「こ、この人、が、王様………知ってるよ。僕達を、働かせるためって」

「それだけじゃないよ!エルフだけじゃない、この、チビも、だ。なんでこんなことしたか、わからないんだ。チビも、俺とうまく話せない。こいつの、クソ王の話が、わかんないんだよ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る