第9話遠ざかる心、近づく思い
旅を再開してから数日が経った。険しい山道や深い森を越えながらも、私たちは目的地へと一歩一歩近づいていた。しかし、リュカの態度がどこか以前とは変わってしまっていることに気づいていた。
彼は以前のように私たちと軽口をたたくこともなく、少し距離を置いたような感じが続いている。特に、カイル殿下と私が二人きりになるときには、わざと離れて行動することが増えた。
「リュカ、大丈夫かな……?」
私は馬に乗りながら、そっとカイル殿下に尋ねた。殿下は少し考え込むような顔をして、うなずいた。
「……あいつは大丈夫だろう。ただ、何かを考えているのかもしれない。旅も終盤だし、疲れも溜まっているんだろう」
カイル殿下はそう言うものの、私はリュカが何か他に悩んでいるのだと感じていた。彼の瞳には、どこか切なさが浮かんでいたからだ。彼はいつも私を守ってくれたし、頼りになる存在だった。だけど、今の彼はまるで、遠い場所へ行ってしまうかのように見える。
「エリザ、少し休憩しようか?」
突然、カイル殿下が私に提案してきた。少し疲れも溜まっていたので、私はうなずいて馬を止めた。リュカもそれに続いて止まったが、彼はまたもや少し離れた場所に座ってしまった。
「……リュカ、ちょっといい?」
私は意を決して、リュカの元へ歩いていった。彼は驚いた顔でこちらを見上げたが、すぐに目をそらしてしまう。
「エリザ様、何か御用ですか?」
「リュカ、そんな言い方しないで。私たちはもう長い間一緒に旅をしてきたんだから、そんなに距離を置かないでよ」
私はリュカに少し詰め寄り、彼の前に腰を下ろした。リュカはしばらく黙っていたが、やがてため息をついて口を開いた。
「……エリザ様、俺は……自分でもどうしていいのかわからないんだ」
彼のその一言に、私は胸が締め付けられるような感覚を覚えた。リュカがこんなにも苦しんでいるのに、私は何も気づけていなかったのかもしれない。
「リュカ、あなたが何を悩んでいるのか、教えてほしい。私は、あなたのことを大切な仲間だと思っているから……」
「それが、俺にとっては一番辛いんです、エリザ様」
リュカはポツリとつぶやいた。その声には深い悲しみが宿っていた。
「俺は、あなたのことをずっと守りたいと思っていた。だけど、今の俺にはあなたを守る理由が見つからないんです。殿下があなたのそばにいる限り、俺はただの……」
彼の言葉が途切れた瞬間、私は自分の中に湧き上がる感情を抑えきれなくなった。彼はずっと私のことを想ってくれていたのだ。だけど、私がカイル殿下を選んでしまったことで、リュカの心が遠ざかってしまったのだと痛感した。
「リュカ……そんなこと言わないで。あなたがいてくれたから、私はここまでこれたんだよ。あなたがいなかったら、私はきっと途中で倒れていた」
私の言葉に、リュカは少しだけ微笑んだ。しかし、その笑みはどこか悲しげだった。
「そう言ってくれるのは嬉しいです。でも、エリザ様……あなたの心はもう、殿下にあるんですよね?」
その一言が、私の胸に突き刺さるような痛みをもたらした。私は何も言い返すことができなかった。確かに、カイル殿下への想いは大きく、リュカには友人としての感情しか抱いていないことを自覚していたからだ。
「……ごめんなさい、リュカ」
私は目を伏せて、かすれた声で謝った。リュカは何も言わず、ただ静かに立ち上がった。
「もういいんです、エリザ様。これからも、あなたのことを守ります。だけど、それはもう、俺自身のためじゃなくて、ただの使命として……」
彼はそう言って、また少し離れた場所へと歩いていった。その背中を見つめながら、私は言葉にできない感情を抱えていた。リュカの気持ちに応えることができない自分が、どれほど彼を苦しめているのか。だけど、それでも私は――
「カイル殿下……」
ふと、カイル殿下のことを思い浮かべる。彼は今、私を待ってくれている。リュカに対して感じる切ない思いと、カイル殿下への強い愛情。その二つの感情が交錯し、私の胸は混乱していた。
★★☆☆★★
その日の夜、私たちは森の中でキャンプを張った。焚き火の前でカイル殿下と並んで座っていると、彼は静かに私の手を握った。
「エリザ、何か悩んでいるのか?」
彼の優しい声に、私は一瞬戸惑ったが、すぐに微笑み返した。
「ううん、大丈夫。ただ、少し考え事をしていただけよ」
カイル殿下はそれ以上は何も言わず、ただ私の手を強く握りしめた。その温かさが、少しだけ私の心を癒してくれた。
「……ありがとう、カイル殿下」
私は彼の肩にもたれかかりながら、静かに目を閉じた。リュカのことを思いながらも、カイル殿下と共にいる今のこの瞬間が、私にとって何よりも大切だと感じていた。
★★☆☆★★
一方で、少し離れた場所で見守っているリュカは、静かに星空を見上げていた。彼の心の中で、何かが変わりつつあった。エリザを想い続けてきたその感情を、どうすることもできずに、ただ星に願いをかけることしかできなかった。
「俺は、これでいいんだろうか……」
リュカのつぶやきは、誰にも届くことはなかった。
焚き火の明かりに照らされたカイル殿下の横顔を見つめながら、私の心は不思議な感情で満たされていた。カイル殿下の手が握る私の手、その温かさは安心感を与えてくれる。それはずっと夢見ていた理想の瞬間のはずだった。
しかし、胸の奥でくすぶる小さな痛みが消えない。
「……これでよかったんだよね?」
心の中でそう問いかける。カイル殿下を選んだのは、私自身の意志だ。彼の優しさや強さに惹かれ、いつか彼の隣に立てることを夢見てきた。今、その夢はほぼ叶いつつある。だけど――。
リュカのことが頭をよぎる。彼の瞳に浮かんだ寂しげな光、私に向けられた切ない告白。リュカがいなければ、私はここまで来ることができなかった。それを痛感する度に、彼を傷つけてしまったという後悔が、私の心を静かに締め付ける。
「リュカ……あなたも私にとって、大切な人なのに」
そう呟くように思いながらも、私はカイル殿下の手をさらに強く握り返した。彼を失いたくない、この先もずっと彼と共にありたい。だが、リュカのことを思うと、どうしても心が揺れる。
「私は、本当にこれでいいの?」
このままリュカを遠ざけてしまっていいのだろうか。カイル殿下との未来を選んで正しかったのか。自分の選択に自信が持てなくなり、心は混乱していた。
しかし、どちらか一方を選ぶしかない。それが現実であり、運命なのだと私は自分に言い聞かせた。
「エリザ、何かあったのか?」
カイル殿下が優しく問いかけてくる。その声に、私はハッと我に返り、すぐに笑顔を作った。
「ううん、大丈夫。ただ、旅も長くて少し疲れちゃったみたい」
そう言って微笑む私に、カイル殿下も静かにうなずく。
「なら、今日は早めに休もう。明日からの道のりも険しいからな」
彼の優しさに胸が温かくなる。それでも、心の奥底でリュカへの思いがくすぶり続けていた。
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