第5話
突き上げた両手はさすがに四十代とは言えない。全身の毛も失ってしまった。とはいえ、二二六歳とは誰もが想像できないだろう。見た目は六十代だ。髪の毛があれば五十代にも見えるだろう。しかも、身体のどこも不調はなく、全力疾走も苦にはならない。
「やっと、やっとやっとやっと人を殺せる……」
身体の奥から沸々と湧き上がる喜びに下半身は凄まじく屹立した。もはやだれでも良い。こども、若い女、老人。最初にすれ違った人間を手にかけよう。
とはいえ、この田舎の真昼間に全くといっていいほど人がいない。第一、ここがどこかもわからない。楠本はあたりを練り歩いた。立ち並ぶアパートはいつの間にか無くなっていて、田園風景が広がっていた。最初に出くわすのは老人の可能性が高かった。
ふと、田んぼの奥の方に腰を曲げて稲を植えている老人の姿を見つけた。楠本は唇を舐め、軽くストレッチしてから老人の方に走り出した。
「すいません」
老人の後ろ姿に声をかけると老人は振り向いた。見た目は七十代に見える老人の男だった。
「ちょっと道に迷いましてね」
「ああ、はいはい、どこに行きたいんですか?」
老人が近づいてきた拍子に両手で首を掴んだ。老人は抵抗するが全くといっていいほど効果がない。二〇〇年鍛えた身体にひ弱な老人が叶うわけがないのだ。楠本は力任せに老人の首を降りそのまま一八〇度捻った。ばきばきという音がして、老人の目に光がなくなり、手を離すとそのまま田んぼに転げ落ちていった。
楠本は違和感を抱いた。骨の折れる音とはまた違う音のように感じた。人を殺したのはもう二〇〇年以上前だったので、忘れているだけかもしれない。しきりに首を回して周囲を確かめてから、田んぼに落ちた老人を引きずって農道に持って来た。すでに泥まみれになっており、かなりの重みがあった。老人のあごについた泥を払って両手で持ち、老人の両肩に脚を置いて、思い切り引っ張った。ぶちぶちと音がし、勢いよく首がちぎれたあまり、老人の首を持ったまま田んぼに落ちそうになった。
「な……」
ちぎれた部分から大量の血管がゲソのように垂れ下がっていた。楠本はゲソを目に近づけた。触れてみると濡れた感触がなく、シリコンのように柔らかい。血管ではなく、細い配線のようなものだった。頭部をひっくり返して首の断面を見ると、骨が破損していた。やはり血液のようなものは出ていない。指先で首の骨に触れてみると、こちらも配線と同じ感触だった。
「人間じゃないのか……」
楠本は二〇〇年以上、回し続けた思考を高速回転させた。自分が二〇〇年も刑務所にいたのだから社会は様変わりしているはず。刑務所に入る前に、一〇〇年前の日本の写真がネットに上がっているのを見かけたことがある。アスファルトの舗装もなく、家はかやぶき屋根で服も着物が大半。身長もその時代より十センチは低そうだった。
一〇〇年で社会が一変するのだから二〇〇年ならなおさらだろう。刑務所に入ったときの時代は「これからはAI時代だ!」とやたら言われていたことをぼんやりと思い出した。そのAIが順調に発展していったとすれば人型のAIを生み出すのも二〇〇年あればできる可能性は十分あった。いや、現に、いま楠本が殺したと思った人間は精巧な人間もどきだった。
「くそっ」
楠本は首のちぎれた胴体を思い切り踏んづけた。バキバキと中身が壊れる感触が足の裏から伝わってくる。明らかに人間の肋骨を折ったときと異なっていた。
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