11-8 それも含めて秘匿案件

「オマエはいったい何をやっている」


 それは先程課長から浴びせられた怒声で、小暮のそれは同じ台詞なれど心底ウンザリした物言いだった。


「仕方がないじゃないですか。夜中の公園で無防備な少女が昏倒していたんです。助けるのが筋でしょう」


「常識の話をしているんじゃない。何故公安の要員に逆らった。何故勝手にその子を抱えて戻って来る。相手のIDは確認したのだろう」


「全部課長に報告しました。知りたいのでしたら課長から聞いて下さい」


「駄々っ子か。ヘソを曲げている場合か、鏡で自分の惨状を見てみろ。一歩間違えば惨事になっていたんだぞ」


 猿渡は酷い有様だった。

 左腕は折れて白い三角布で吊り、頭には大きな切り傷が出来て、髪の一部を剃り落とし七針の縫合が為されていた。


 彼女を抱えて病院に駆け込んだまでは良かった。

 だが、目を覚ました少女を安心させようと警察の者だと名乗った途端、怯えて恐慌をきたし、盛大に暴れ回ったのだ。




 とんでもない腕力だった。


 床にボルト止めされていた待合室の椅子を引き千切り、受付の窓口に叩き付けていた。

 羽交い締めにして落ち着けようとした男の看護士が、廊下の向こう側にまで放り投げられ、ドアに叩き付けられた。


 その華奢な腕から何故ここまでの力が出せるのか。

 実際目の当たりにしていても信じられなかった。


 大の大人が四人がかりで押さえ込もうとしても全て振り払われて、逃げ込んだ診察室のベッドだの医療器機だの様々な物を壊して暴れ回った。

 落ち着けようと幾度となく声をかけ、何も心配する事はないと説得しようとしたのだが、まるで聞き耳を持たなかった。


 完全にパニック状態になっていて、近寄るな向こうに行けと泣き喚き、手当たり次第に様々な物を投げつけ、破壊していった。


 正直、手の施しようがなかった。


 猿渡が折れた左腕を庇い、しゃがみ込んで隠れた物陰から、ただ暴れる彼女に今一度声を掛けようとしたその時、妙な物を見つけた。

 廊下の真ん中でぽつんと立つ黒猫だ。


 額に小さな電源ボタンのような白班が在って、艶のある黒い首輪を付けていた。


 何故、病院の廊下に猫が?


 疑問と同時に、その後ろに立つ人影にも気付いた。


 いつの間に現われたのか。

 ついさっきまで居なかった筈と猿渡の疑念も余所に「酷い有様ね」と、身を低くした頭の上から静かな声が覆い被さって来るのである。


「デコピン、念の為に裏口に回ってちょうだい。先程ぶりですね、猿渡刑事」


 淡々とした物言いと同時に、ほぼ真っ黒いブチ猫がふいと居なくなり、年若い刑事は苦虫を噛みつぶした思いでその人物の名を口にするのだ。


「邑﨑キコカ」


「退いて下さい。邪魔です」


 キコカがずいと進み出た途端、少女の恐慌は頂点に達した。


「人殺し」と裏返った声で悲鳴を上げて、次に口にしたのが「来るなバケモノ」だった。


 叫ぶと同時に丸椅子を投げつけたのが始まりで、次の瞬間には床を這うが如き姿勢で距離を詰め、彼女の左足首を掴むキコカの姿があった。


 そのまますくい上げ、振り上げるようにして天井に叩き付け、その勢いのまま床にも叩き付けた。

 天井のLED灯が振動で明滅し、次に打ち下ろした衝撃で足元の床が揺れた。


 まるで濡れた雑巾を振り回すにも似たぞんざいさだった。


 だがその二振りだけで、少女は再び失神してしまったのである。


 天井の内装ボードには大穴が開いていたが、床は僅かにヘコんだダケに留まった。

 一瞬の出来事で、其処に居合わせた者全てが唖然として立ち竦むことになった。


 キコカはその場でポケットから小さなケースを取り出すと、シャープペンのような細さの注射器を取り出して少女の腕に刺し、直ぐに抜くとそのまま彼女を抱えて立ち上がった。


「では改めて、この子はわたしが預らせてもらいます。文句はありませんよね」


 醒めた目付きで見下ろされて、床にしゃがみ込んだままの刑事は何も言い返すコトが出来なかった。

 ただ見上げるダケだった。

 この惨状の責は何処に在るのかと、言の葉の裏で問われたからだ。


 周囲は酷い有様だった。

 待合室はほぼ半壊し、窓口は大穴が開いて棚は壊れ、書類は床に散乱していた。

 天井の大穴と床のへこみは間違いなくキコカの仕業だが、そもそもこの病院内で斯様な仕儀と相成ったのは、自分が彼女を此処に連れてきたからだ。


 しかしソレでも辛うじて詰問出来たのは自身の意地だったのか、それとも職業的な反射だったのか。


「その子をどうするつもりだ」


「説明する義務は在りません」


 そして蔦のようにうねった酷いくせっ毛の少女は全裸の少女を抱えて立ち去り、後に残された者は物言う余裕もなくて、ただ沈黙の中にたたずむばかりで在った。




「傷は大丈夫なのか」


 呆れた口調であったが、気遣う物言いはいつもの小暮だった。


「頭はガラスで切っただけです。皮一枚で済んで中身は問題無いらしいです。左手は上腕の単純骨折です。全治一ヶ月なのだとか」


「まぁ、後遺症が出ないなら何よりだ」


「病院で暴れるちょっと前に、あの子と話したんですよ。

 二言三言って程度ですけど。あの少女、遺体の彼女にそっくりでした。

 しかも父や母、そして姉たちを心配していました。

 どこをどう見ても普通の少女にしか見えませんでした。

 ヒトを喰うバケモノが家族の心配なんてするでしょうか」


「だがヒトじゃないのは間違いなかろう。あの病院の惨状は大の男にだって出来やしない」


「それは、まぁ・・・・しかし」


「あの家族に娘は一人だけだ。姉なんて居ない。それは知って居るだろう」


「はい。だからこそ分からなくて」


「アレには何種類か居てな。

 ヒトを喰う『ヒト喰らい』と、喰われたヒトにすり替わる『ナリ替り』ってのが居るのだそうだ。

 オマエが病院に運んだのは後者だよ、擬態ってヤツだ」


「擬態、アレが?キチンと言葉を喋ってましたよ。ホンモノのヒトじゃないんですか。どう見たって普通の少女でしたよ」


「ああ、先ず普通の人間には見分けはつかないらしい」


「信じられません。何かの間違いじゃないんですか」


「まぁ、そう感じるだろうな。俺も最初はそうだったよ。

 そしてその中でもあの少女、いや少女だったモノは特別だったんだそうだ。

 自分をヒトだと思い込む程に、完璧にナリ替わっていたのだとか」


「しかし・・・・いや、その、何というか。それが本当だとすれば、よく見つけられましたね」


「最初に喰われたのがあの娘で、ヒト喰らいはその子に擬態。

 そのまま、娘の父親と母親を喰ったらしい。

 風呂場にはヒト喰らいに喰われた少女の残骸が在った。

 それを元にナリ替りが次から次へと生まれてたんだよ」


「・・・・」


「流石に、同じ顔同じ姿同じ記憶の子が次々に出て来れば、直ぐにオカシイって分かる。あの子が裸だったのもナリ替わった直後だったからだ」


「そんな経緯が」


「基本、ヒト喰らいもナリ替りも同じらしい。餌が違うってダケだ。ヒトを食べるか、ヒトと同じモノを食べるか。それだけの差でしかないって話だ」


「それだけって・・・・」


「例えば、虫だって何を食うかで害虫か否かを区別して居るだろう。農作物を食ったりヒトの血を吸ったりすれば害のある虫だし、何もしなければタダの虫。ソレと一緒だ」


「そんな言い方、ヒトと農作物を一緒にしないで下さい」


「どう言い方を変えたところで事実は変わらん。それに今回は発見が早かったお陰で、被害は最小限だったと彼女も言って居た」


「彼女?ひょっとして小暮さんの公安の知人っていうのは、邑﨑キコカ」


「敬称を付けろ。オマエどころか俺よりも年上なんだからな」


「え!」


「見かけどおりの歳じゃない。

 そして腕利きの駆除者だ。

 俺がこの世界に足突っ込む以前から今の仕事に従事している。

 彼女にしてみればオマエなんてタダの洟垂れ小僧だよ」


「彼女、いったい何歳なんですか」


「それも含めて秘匿案件ってヤツだ」


 そう言って笑う小暮の顔は何処か自嘲めいていて、邑﨑キコカとの付き合いは、自分が思って居る以上に長いのではないかと思った。

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