11-6 コッソリと抜け出した
猿渡は暗い路地の一角で足を止めた。
先日、少女と思しき女性の惨殺死体が発見された場所だ。
連日の雨で辺りはもうすっかり洗い流され、
今更こんな場所に来たところで何かが得られる訳ではない。
だが
もっとハッキリ言うのなら未練というヤツだ。
吹っ切ることが出来ないから、また来てしまう。
我ながら女々しいな、と思った。
あの遺体が、バケモノが擬態した代物だと言うのか。
ドコからどう見ても人間のモノとしか見えなかった。
そして次の日の朝、いや夕刻になってもあの事件は、テレビどころかネットにも新聞にも微塵も取り上げられて居なかった。
第一発見者だったあの男もきっと今頃、困惑しているに違いない。
いやそれとも、そういうコトも在るのかと気にも止めていないのか。
直ぐにでも忘れてしまいたい忌まわしい出来事であろうし。
そしてドレもコレも公安の掌の上ってか?
胃の腑の底辺りにジリジリと焦げ付くモノが在って、今此処で連中に出会したら罵声を浴びせ、顔に唾を吐き付けてしまうかも知れなかった。
「何か落とし物でも?」
不意に声を掛けられて驚いた。振り返って見ると傘を差した女生徒が立っていた。
冬物のセーラー服を着込み、鞄を片手に立っている。
「あ、いや。そういう訳じゃないよ」
声を掛けられるまでまるで気付かなかった。
小雨とはいえ濡れた路面だ。
足音くらいしそうなものなのに。
いやそれとも、雨が降っているからこそ紛れてしまったのか。
「足元ばかり気にしていらしたので何かあったのかと」
そう言って視線を猿渡の靴の辺りに落とし、「白い線が在りますね」と呟いた。
「チョークでしょうか。此処で何かあった、とか。ひょっとしてそれを御存知?」
「あ、いや、何だろうね。俺もちょっと気になったから」
それとなく誤魔化した。ニュースにも為っていないのなら、連中は事件そのものを揉み消すつもりに違いない。
だったら迂闊に口を滑らせる訳にもいかなかった。
腹立たしい話だが。
「まぁ考えても分かりませんね」
ふと女生徒の横顔を盗み見た。
酷いくせっ毛の黒髪で少し吊り上がった
だがこの背格好は何処かで見覚えがある。
豪雨の中で見たあの人影だろうかと、妙な勘ぐりが在った。
不意に少女が視線を上げて、思わず目が合った。
「何か」と問われて「いや、何処かで見たような気がして」と言葉を濁した。
「古典的なナンパですね」
そう言って彼女は口元だけで小さく笑うのだ。
「そんなつもりは毛頭ない」
慌てて誤魔化すと黒い瞳がじっと覗き込んで来た。
漆黒の瞳だった。
何かを探るような色合いがあった。
そして上目遣いに見上げた時と同様に唐突に視線が外されて、「そう言えば」と訊ね返して来るのである。
「この辺りで女の子を見かけませんでしたか。年の頃と背格好はわたしと同じくらい。小顔でベリーショートの黒髪。前髪は眉の上で真っ直ぐに切りそろえて居ます」
「あ、いや。見た事は無いな」
再びあの夜の遺体を思い出した。「彼女」もまた、確かそれと同じような髪型ではなかったか。
「衣服は着てなくて素っ裸かも知れません。まぁ、そんな子に会ったのなら顔よりもそっちの方が印象的で、よく憶えているのかも知れませんが」
「え、何だって?」
「いえ、心当たりがないのでしたら結構です。お時間を取らせました」
そして失礼しますと会釈をすると少女はそのまま立ち去って、猿渡だけが暗くなった路地に取り残された。
静かに息をつくと、白い吐息は直ぐに雨に紛れて霧散した。
あの女生徒、友人を探して居るのか?
そしてその友人というのがひょっとして、あの遺体なのではないのか。
挨拶も何もなく急に連絡が取れなくなって心配をして、学校帰りにああやって彼女の家の周囲を巡っているのかも知れない。
そう思うと不憫だった。
彼女のやっているのは全くの徒労で、決して叶うことのない願いであるからだ。
しかし、素っ裸云々というのはいったい?
猿渡は小首を傾げたが何かが分かる筈もなく、少し間少女の後ろ姿を見送った後、自分のクルマを停めた場所に戻って行った。
いい加減身体が冷えてきた。
いや、もうそろそろ限界だった。
思えばずっと怖くて寒くて茂みの奥底に縮こまっているダケで、ご飯すら食べていない。
イヤそれどころか寒すぎて眠る事もままならず、こうしてただ震えるだけ夜を明かし、そして夜を迎え、また朝を迎えた。
眠って居ないので疲労が溜まりに溜まっていた。
くらくらとしてしゃがみ込んでいるのに目眩で倒れてしまいそうだった。
喉が渇くので雨水をすすり、それで何とか空腹を誤魔化していたが、もうどうしようもない位に身体が疲弊して居るのが分かった。
アイツはまだ家の中に居るのだろうか。
それとも家の周りをうろついているのか。
此処に隠れてジッとして居るから見つからないのかも知れないし、居なくなってしまったからわたしは無事なのかも知れない。
どっちなんだろう。
流石に居なくなってしまったんじゃないのか。
もう家に戻っても大丈夫なんじゃないのか。
だってもう此処でジッとして、飢えと寒さとに震えて二日経つ。
いや、時々意識を失っていたみたいだから、ひょっとするともう少し時間が経って至るのかも知れない。
何よりも家族のことが心配で仕方が無かった。
父や母、そして姉たちはどうなったのだろう。
ずっと怖くて堪らなくて動けなかったが、それ以上に膨れ上がった不安はもう我慢出来なかった。
一瞬見た部屋の中は真っ赤だった。
そこかしこが血まみれで、誰かが怪我をしたのは間違いない。
家族の誰だろう。
まさかみんなという事はないだろうな。
病院には運ばれたのだろうか。
遠くで救急車かパトカーか何かが頻繁に行き来して居たから、誰かが見つけて通報してくれたのかも知れない。
それともわたしの家族には全く関係無い別の何かなのだろうか。
確かめなければならない。
そして何時までも此処に隠れている訳にもいかない。
此処にうずくまって居てもお腹を減らした挙げ句倒れてしまう。
そうなったら逃げることすら出来やしない。
静かに足音を忍ばせて、庭の生け垣の隙間からそっと中の様子を見てみるだけ。
こっそり裏道を通れば目立たないんじゃないか。
アソコは夜、人通りなんて殆ど無い。
行ける筈。
大丈夫、きっと大丈夫。もう二日以上も隠れていたのだ。
アイツはきっと痺れを切らして、ドコかに行ってしまったに違いない。
そしてわたしの家族も、きっと大丈夫・・・・きっと。
何度も自分に言い聞かせ、辺りが暗くなるのを待つと、わたしは隠れている場所からコッソリと抜け出した。
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