11-5 ソレが本当の目的なのでは

「俺たちヒトの世界は本当に脆くて、今にも割れて崩れそうな薄氷の上に成り立って居るんだ」


「・・・・だから納得しろと言うんですか」


「納得出来なくても、呑み込んでもらわないと困る。

 でないとオマエは均衡を乱す危険な因子と見なされる事に為る。

 ソレでも構わんとかってくれるなよ。

 オマエ一人の意地で何人死ぬか分かったもんじゃない。

 拘束される数はもっとだろう。

 だからそうなる前に、俺がオマエを無力化する必要が出て来る。

 頼むからそんな事はさせないでくれ」


「・・・・俺にあの資料を渡さなければ、そんな心配する必要は無かったでしょうに」


「本当にな。悶々としてやんちゃを繰り返すマセガキを、頭ごなしに押さえつけるダケで済んだんだがな」


「俺に何を期待しているんですか」


「普通に、一人前の捜査員になって欲しいと思って居るダケだ。あと一〇年もすれば俺も定年だからな。抜けた穴くらいは埋めて欲しいよ」


「みんな知っているんですか」


「知っているヤツも居る。知らないヤツも居る。一昨日までのオマエみたいに」


「納得なんて到底出来ません。呑み込むことも・・・・」


「煮え切ることも出来ず、割り切ることも出来ず、忘れるコトも出来ない。難儀な性格だ」


「ほっといて下さい」


「確かに、初めてあの資料を見た時は驚いたよ。

 よもやまさか、ってな。

 信じられないという気持ちよりも隠し通せるはずがない、というのが最初の感想だったからな。

 規模がデカ過ぎて。

 だがその一方で思い当たる節もアチコチに在ったモノだから、なる程とも思ったよ」


「全然なる程なんかじゃないです」


「昨日の今日で気持ちの整理が着かないのもよく分かる。くすぶる感情や云いたいことも山ほど在ろう。だが我慢くらいは出来るよな?」


「・・・・」


「返事が欲しいんだが」


「俺は、もっと知りたいです」


「うん?」


「あんな半端な資料じゃなくて、どの様な組織があり、どの様に活動し、そして、どの様な処理が為されて居るのか。直近も含めて一〇年ほどの実動記録が欲しいです」


「おいおい、そりゃあ無茶だぞ。

 それに部所が違う。

 あのメモリーカードの内容だって、公安に無理を言って譲ってもらったもので、一般の警察官が閲覧できる代物じゃあ無い。

 そもそも知ってどうするつもりなんだ。

 俺たちには何も出来ん。そういう立ち位置だ」


「何故譲ってもらえたんです?」


「県警と公安との情報の乖離かいりが非道くて、連携が取りづらく為ったから、って理由からだ。

 警察庁の方じゃ渋っていたんだが、オマエが憤慨していたのと同様のトラブルが頻発してな。

 課長以上の権限の者が閲覧可能って条件で下りてきたブツだ。

 本来なら俺でも覗くことが出来ないモノなんだ。

 ただ、俺は若い頃にとある人物に関わってしまったお陰で、特例として許可が下りている。

 お陰で筋が通ってスッキリしたが、出来れば知らないままで居たかったね」


「そうだったんですか」


「そうだったんだよ。

 騒ぎすぎると色々と面倒な事に為るんだ。

 そうなるとオマエひとりの器量じゃどうしようもない。

 責任が取れないまま引っ掻き回す阿呆には成りたくないだろう。

 だから、コレ以上は駄々をこねんでくれ」


 それ以上は何も言うことが出来ず、猿渡は黙って冷たくなった缶珈琲を一口すすった。


 冷たい風が髪を弄び、乾いた頬がパリパリと張り詰めていく感触が在った。




 ぱらぱらと小降りになった雨の中を、猿渡は傘を差して歩いて居た。


 朝まで煮えくり返っていたはらわたは幾分落ち着きを取り戻していたが、それは単純に噴き上がらなく為っているダケで、火がかかったままのモツ煮のようにクツクツと静かに熱を溜め込んでいるに過ぎなかった。


 非道い話だ、と思う。


 隠蔽が前提というやり口も腹が立つが、被害者を人とも思っていないその無神経さが我慢ならなかった。


 俺たちが日々足を棒の様にして聞き込みをし、神経すり減らして事件ヤマを背負い犯人ホシを追っているのも、皆が暮らす町の為だ。

 皆が安心して生活出来る場所と秩序を守りたいと考えて居るからだ。


 それを無視してひっくり返し、理不尽な最後を迎えた者たちの尊厳や、その遺族達の気持ちを易々と踏みにじる。

 それを当たり前とする物言いとやり方が許せなかった。

 それが社会を守る術だと断ずるその理屈が腹立たしかった。


 皆ひとりひとり生きているのだ。

 それぞれに家族が在るのだ。

 殺されてそれで終わり、騒ぎになるので片付けましたで済ませて良い筈がない。

 ヒトは無造作に間引かれる枝葉や、路傍の石ころではないのだ。


 ふざけるな、と叫びたかった。

 せめて課長にだけでも思いのたけ、この腹の中のものを全部ぶちまけてやりたかった。

 あんな内容押し隠し、よくもまあ平然な顔をして机の前に座っていられるなと、声を大にして糾弾してやりたかった。


 しかしそれもまた小暮に言わせれば「駄々をこねる子供の喚き」と一蹴されるに違いない。

 それはただ自分の感情の発露に過ぎず、力も無ければ具体性も無い町中の雑音雑踏、子犬の鳴き声と大差ないからだ。


 俺は無力だ。

 経験も無ければ相手を説得できる話術も無い。

 肩書きなんて名前も憶えてもらえない末端捜査員でしかないし、ただ地道に、コツコツと積み上げることしか出来ないその他大勢の一人でしかないのである。


 と同時に、何故小暮さんは俺にあの資料を見せてくれたのだろうとも思うのだ。

 それらしい理由は付けていたが、自分みたいな若造に開示してよいものではないという位の事は分かる。


 だがそれ以上のコトが分からない。


 あの年嵩の刑事の意図が読み取れなくて、破裂しそうな自分の感情の重しとなり押さえ込んでいるのである。


 そして実はソレが本当の目的なのではないか、とも邪推するのだ。

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