第十七話『浄化』
先生から渡されたグリスの神玉を食卓の上に置き、それを見つめながら思い出すのはグリスの姿と先生から言われた「情けない奴」という言葉だ。自分でもわかっている。でもどうしたらいいかわからない。天界に行けない今、ウェズにも会えない。ウェズはどうしているだろうか。恐らくグリスが人間になる瞬間を見ていたはずだ。こんなことになって、私を恨んでいるだろうか。ふと思い立ち、私はグリスの家に向かった。瞬間移動する前に大きく一回だけ深呼吸をして。
グリスは相変わらず海を眺めていた。耳を掠めていく風が冷たい。人間になったのなら風邪をひきやしまいかと心配になる。私の記憶はないと先生は言っていたが、それでも私はグリスに近づき、ベンチに座った。
「いい天気だな」
しばらく黙っていたグリスだったが、一瞬私に視線を向けると返事をしてくれた。
「そうだな。もうすぐ冬がくるぞ、ミライ」
グリスが私の名を口にした。記憶がないはずのグリスが、確かにミライと言った。幻聴かと思ったが恐る恐るグリスの方を見ると、確かにグリスは私を見ながら微笑んでいた。
「お、ミライもいたのか」
「ウェズ!」
「グリスの神玉は治ったのか?」
「何の話?」
私は先生にまんまと騙されたようだ。それがわかった途端、色々考えていた頭の中の霧が晴れ、心が軽くなった気がした。私はいったい、何を悩み、何を考え込んでいたのだろうかと不思議と笑いがこぼれた。
さほど大きくもないベンチに二人座っていたのに、ウェズが真ん中に無理矢理座ると私とグリスはベンチから追い出されそうになった。
「で?神玉は?」
「ああ。直すとはどういうことだ?」
「持っているか?」
「ここに」
私が神玉を手にするとそれを受け取ったウェズが、グリスに渡した。グリスはそれを注意深く見ると、フッと息を吹きかけお腹の辺りにそれを当てた。鈍い光を放った神玉はグリスの身体に吸い込まれるようにして、消えた。
「直ったな。どれほど見つめたのだ?」
「丸一日かな」
結論はこうだ。水の結界から出てすぐに神玉が身体から出たまでは本当だった。しかし、マドラスが人間にしたのは嘘で、身体から出た神玉が欠けていたため戻せなかったのだ。一か月ほどなら身体から出していても問題ないと言われたものの、直すには私の神力が必要だった。しかし、なかなか私が天界に出向かなかったため、二人はやきもきしていたと言い笑っていた。あと一日遅かったらこっちから出向いたとも言っていた。私のことを二人が最後まで信じてくれていたことが、素直に嬉しかった。
「そうだミライ、マドラスが怒っていたぞ」
「え?」
「獄落門はどうする気なんだって」
決して忘れていたわけではない。休んでいたわけでもない。次なる敵がいつ現れるかわからない状況で、何も考えていなかったわけでもない。
「マドラスのところへ行こう」
「策はあるのか?」
「ある」
私はなにもやる気が起きず家に閉じこもっている間に、先生が持ってきた文献を読み漁った。ただ何も考えたくなかったというのもあるが、これが功を奏したのか「門」についての記述を見つけたのだ。
「私は天界に行けるだろうか」
「ああ、それも先生の仕業だ」
私は素直過ぎるのだろうか。ここまで先生に騙されるとは、嬉しいやら悲しいやら、なんとも言えない気持ちになった。
獄落門と対になっている繋天門は物事を浄化する力がある。世界が混乱に陥りつつある今、この力を使わない手はない。きっと獄落門を消すことができるはずだ。マドラスの屋代に向かい文献で読んだ内容をそのまま伝えた。問題はある。繋天門の力を発動するにはそれなりの神力が必要だということ。そして、それは天界の長しか成し得ないこと。さらに、最も重要なことがある。それは「見る力」だ。現在・過去・未来を見て繋天門に神力を注ぐ必要がある。力加減を誤ると、消滅する必要のないものまで消滅してしまうから。
「私にしかできないのなら、私がするしかないな」
マドラスは私の話を最後まで黙って聞くと、そう言ってお茶を一口啜った。
マドラスの同意は得た。決行は次の満月の夜。満月は世界中に漂う陽の気を引き上げる力があるから。準備期間はあと十日程度。マドラスは屋代の奥の部屋で神力を高めると言い、誰も入るなと指示して消えた。私とウェズ、グリスは満月の夜まで獄落門の結界が無くならないよう見回りを続け、薄くなり始めると元に戻すという作業を続けた。マドラスが屋代の奥に身を隠したことで、マドラスが施した結界だけに二日ともたなかったから。
そして、その日がきた。陽が沈みだした頃、マドラスが奥の部屋から出てきた。見たことない姿で。白地に金の刺繍がしてある裾を引きずるほどの長さの羽織、黒かった髪や髭は真っ白になっていた。
「驚くのも無理はないな。だが、これが私の本来の姿だぞ」
「別人だな」
長く一緒にいるウェズでさえ初めて見たといい、目を丸くしていた。マドラスの姿に、これから起こすことに身が引き締まる思いだった。マドラスに何か起きた時のために私はマドラスと共に繋天門へ。ウェズとグリスは先生を加えて世界の獄落門へ。離れていても通信はできるから、何か起きた時は連絡をもらうことになっている。この十日で準備は万全だ。
「さて、世界を救いに行こうか」
「はい」
満月が空で眩いほどに光っている。いつもより明るく、いつもより温かい光だった。天界にある月とは違い、天人界から見える月は人間界と同じ月だ。マドラスは月に向かって両手を合わせた後、繋天門に向かい目を閉じた。両手を広げ、ゆっくり深呼吸を繰り返していたが、次第にマドラスの身体は光を放ち始めた。白く煙のような光が繋天門に届くと、繋天門がマドラスからの光を纏い、白から青に色を変えた。空のような、海のような深い青色に私は息を呑んだ。この美しさに勝るものが思いつかない。
「ミライ、後は頼んだぞ」
繋天門の美しさに感動しているとマドラスは私にそう言った。私の考えは甘かった。
「良いな。グリスの時のように責任を背負うな。屋代の奥の部屋に行けばこれからすべきことがわかるはずだ」
「マドラス?」
「長居しすぎた。楽しい時間だった。ミライがいるからこそ、この選択ができたんだ」
次第にマドラスの身体は纏っていた光との境がわからなくなり、繋天門に吸い込まれるようにして消えてしまった。まさか繋天門の力を発動することで、マドラスが消滅するとは思ってもみなかった。マドラスを吸い込んだ繋天門は纏っていた白い光を、ものすごい勢いで一気に放った。その光にマドラスがいるかと思うと、私は涙が止まらなかった。私がマドラスを消滅に導いた。その責任は重い。
繋天門が光を放ってから暫らくして、ウェズからの通信の声が聞こえた。
「ミライ、獄落門は消えたが一つだけ残った」
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