第十六話『自信』
カルマと戦い、
マドラスの屋代の奥に水の結界に包まれた寝台がある。そこでグリスは眠っている。相変わらず神力は安定せず、薄くなったりそうでなかったりしながらなんとか生きていた。朝、昼、晩に結界の水に神力を注ぎに来るのが日課になりつつあった。ウェズはあれからずっとグリスの傍にいる。そんなウェズとはほとんど会話することなく、視線が合うこともなかった。このままグリスが消滅したら、ウェズまで失うのではないかと不安でならない。ウェズはきっと私がグリスを守れなかったから、私に失望したんだ。
「もう戻るのか」
「マドラス。グリスを頼みます」
「ミライ、お茶でも飲んで行け」
長居したくないが、マドラスを無下にはできなかった。屋代を出て湖岸にある東屋でマドラスはいい香りのお茶を出してくれた。東屋には心地よい風が吹き抜けていた。湖は太陽の光を反射してキラキラと光を放っている。見慣れた景色なのに今日はいつものような鮮やかさを感じなかった。ただ時が流れていく。その「時」がグリスを連れて行ってしまいそうで、お茶は喉を通らなかった。
「ミライ」
「はい」
「グリスの消滅が怖いか」
「はい」
「私もいずれ消滅するのだぞ。誰かが消滅するたびにそうやって自信を無くすのか?」
私たち神は鐘采老のように不老不死ではない。老いはしないがいずれ消滅する存在だ。そんなことは百も承知だ。でもグリスは私のせいで消滅しかかっている。
「其方のせいではない。グリスの状態が其方のせいなら、其方の怪我はウェズのせいなのか?ミライ、考えを改めなさい。獄落門を放置したままでいいのか?モウラはどうするのだ?」
マドラスの言葉はどれも私を突き動かすことはなかった。言っていることは理解できたし、確かにそうだとも思えた。しかし、私は神玉をどこかに置き忘れて来たかのように、ただマドラスの背後に見えるキラキラと光る湖面を見つめていた。
人間界の家で一人で過ごすことが多くなった。一日の中で数時間、獄落門やグリスのことを忘れることもあった。何も考えたくなくて、何もしたくなくて、何をするのも億劫だった。カルマとの戦いから二週間もすると天界にすら行く気にならなくなって、天気の良い日は庭で空を眺め、雨が降る日は家の中から雨を眺めた。そんなある日、夕暮れに家の中からオレンジに染まる空を眺めていたら、窓ガラスに映る私の姿が一瞬薄くなったことに気がついて、
「私も消滅するのか。まあ存在していても意味がないからな」
そう呟いた。何の役にも立たない。仲間一人守れない。そんな私は消滅して当然のように思えた。千年以上も生きてきたが、こんなにも落ち込んだことはない。私が私でないような感じが何よりも嫌だった。
最後に天界に行ってから一か月も経ってから、やっと私は天界に向かった。昨夜、夢でグリスに会った。ウェズと喧嘩していて、それを仲裁する夢だった。知らせが届かないということは、まだグリスの状態は変わっていないはずだ。だとすると何かの知らせというよりかは、ただ会いに来いということだろうと思った。久しぶりの天界。正規のルートで向かった。天人界に行き、先生に挨拶してから繋天門へ。繋天門の前で呼吸を整えてから天界に向かって一歩踏み出した。はずだったのに・・・。
「どういうことだ?」
門を通り抜ければそこは天界のはずなのに、景色は変わらず天人界のままだった。
「とうとう繋天門にも見放されたのか?」
「先生。これは一体どういうことでしょうか」
「神とは認められなかったということだろうな。でも消されていないからまだ望みはあるのかもしれないな」
神とは認められなかった・・・。初めての出来事に私の頭は真っ白になり、辺りを見回した。何度見てもそこは天人界で天界ではない。人間神のテウスですら通過できたのに、黄龍である私が通過できないとは。そんなことがあっていいものか。どこからともなく怒りのような感情が湧いてきて、なんとしても天界に行ってやろうと思った。門が通過できなくても、天界に行く手段はある。その場で龍の姿に変身し泳いで行くこともできるし、瞬間移動だって可能だ。
「ミライ、どうした?」
「わかりません。なんかイライラします。腹が立ちます」
「人間のようだな」
「神とは認められず、人間のようだとは、なんとも情けないです」
「いいではないか」
「ああ、先生。グリスはその後どうですか」
先生は自分の目で確かめろと言うと指をパチンと鳴らし瞬間移動した。移動した先は人間界のグリスの家。アガンに燃やされたはずの家はそこにあり、海に面した崖の上のベンチでグリスが寛いでいた。
よかった、助かったんだと思いながらゆっくり近づくと、私の足音に気がついたグリスがこっちを見た。しかし、見ただけでまた視線を海に向けてしまった。様子が変だ。
「グリスはもう神ではない」
「ど、ど、どういうことですか」
先生は着物の袂から赤い玉を出して私の手にそれを乗せた。ゴルフボールほどの大きさのその玉は赤く透き通っていて、中には泡のようなものがいくつかあった。ガラスのように見えるのに、先生の袂に入っていたせいか温かく柔らかいような感じがした。
「グリスの神玉だ」
「え?どういうことですか?」
水の結界の中で眠っていたグリスだったが、ある日急に苦しそうに藻掻き水の結界を自ら破った。そして痛そうにお腹を押さえると、そこから赤い玉が出てきた。その様子を見ていたマドラスが消滅してしまうと思い、すぐに身体に残った神力を抜き、人間にした。先生はそう説明した。
「神であった時の記憶はない」
「そんな・・・元に戻せないのですか!」
「神という運命から解放されたのだ。そっとしておいてあげなさい」
「ダメです。先生・・・私はグリスを失って自信も失いました。全て元に戻さなければ・・・」
「ミライ、それは勘違いだな。自信は他人から与えられるものではないぞ」
「しかし、私にはグリスが必要です」
先生は呆れたようにため息をつくと、私の背中を強めに叩き、
「情けない奴め」
そう吐き捨てるように言うと消えていなくなってしまった。
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