第十五話『赤鬼』

 ウェズの救出にあたっている間、放置されていた十三個の獄落門は、十三個のうちの一つだけがマドラスが施した時の結界を破っていた。状況に振り回されっぱなしの私は、このまま次にまたなにか起こるのを待つのが嫌だった。最初に獄落門が現れてから随分時間が経った。そろそろ我慢も限界だ。

「モウラに会いに行ってきます」

「どうやって?」

「結界が解かれた獄落門から」

両隣にはグリスと元気になったウェズ、目の前にはマドラスと私の先生であるルドス。全員が腕を組み俯いてため息をついた。私の気持ちは理解できているはずなのに、誰一人首を縦に振ってはくれない。


 そんな四人の様子を見ながら、どう説得しようかと考えている時だった。五人が同時に何かを感じて立ち上がった。あまりの勢いにグリスとマドラスの椅子は倒れてしまった。何か強い者の気が人間界に突如現れた感覚だった。モウラか?という思いが頭を走り抜け、心臓がどくどくと大きく鼓動を刻み始めた。

「モウラでしょうか」

「いや、モウラとは違う」

「ウェズ、グリス、行こう」

マドラスの許可を求めるつもりはない。人間界が混乱に陥る。それだけはなんとしても阻止せねばならない。屋代を出て空に向かって三人同時に飛んだ。先ほど感じた気がどんどん強くなり、吐き気をもよおすほどだった。気の在りかを追って飛ぶこと数分。それは実体化した獄落門。しかしこの気は獄落門ではない。中から何かが出てこようとしている。

「二人共、剣を」

「お互い庇い合うのはなしだ。生きて戻るぞ」

グリスの言葉に思わず視線を向けたが、何も言えないまま新たな敵と対面することになった。獄落門からゆっくり現れたのは五メートルはありそうな大きさで、赤い顔、頭には二本の角があり、手には大きな鎌を持った鬼だった。地獄にいるべきものがなぜ人間界に来たのか。私はもちろん、ウェズとグリスも鬼を見るのは初めてだった。

 赤鬼は門から身体が全部出ると、スーッと大きく息を吸い、手の大鎌の柄を地面に突き当てた。バーンという大きな音と共に地面に当たった場所から砂埃が舞う。すると辺り一帯に視界を奪う黒い霧が立ち込めた。一瞬の出来事だった。ズワーッという音を響かせながら黒い霧は広がり、少しするとそれは一気に晴れた。霧が晴れると露わになった街はまるで最初から何もなかったような場所になっていた。ついさっきまで建物が立ち並び、人々が生活していたのに、全てなくなってしまった。全身から込み上げる怒りを、私の中に留まらせることができず、私は怒りのままに赤鬼の前に降り立った。小さな私の視線の先は赤鬼の足首。頭は見上げても見えないほど上にあった。

「何者だ?」

「風を司る神、ミライだ!名を名乗れ!」

大鬼神だいきしんカルマ」

「大鬼神カルマ!獄落門から踏み出た罪により処罰する!」

私の声が届いたのか、カルマは大きな声で腹を抱えて笑っていた。


 私に続いて両サイドに降り立ったウェズとグリスも、私と同じく怒りを感じて震えていた。剣を握る手に力が入る。作戦など考えている余裕はない。三人が同時にカルマに向かって動き出した。身体が大きいせいで動きが遅いカルマだったが、鎌が大きくて最初は避けるので精一杯だった。しかし、動きに慣れてくれば避けながら攻撃も可能になった。肩や腕、足やお腹に三人が振った剣の傷が増えていく。そんな時だった。油断した。グリスがカルマの振った鎌に当たってしまったのだ。地面に叩きつけられたグリスの周りには血が滲んでいた。グリスが落ちたのと同時に、グリスに向かっていた私は、倒れているグリスに向かって振り下ろされた鎌を防ぐことができた。グリスの身体に手をかざし、天界の屋代へ送ると再びカルマに向かって飛んだ。

「小さいのがちょろちょろ飛び回りやがって!鬱陶しい!」

それぞれの傷は小さいものだが、カルマが嫌がっているのを見て、私は地面に降り立ち、持っていた剣に気を纏わせた。ウェズに避けろと声をかけると、その剣を手に走り振り上げながら股の下を通り抜けた。身体が縦半分になりそうな痛みのはずだ。その痛みにカルマは藻掻き苦しみ、ついには倒れると塵となって消えた。そして、カルマが消えると背後にあった獄落門も消えた。


 カルマと獄落門が消えたのを確認したウェズと私は、その場に座り込み、笑顔でハイタッチをした。街が一つ消えたことに胸が痛むが、この程度の被害で済んでよかったと思えた。

「お互い傷が多いな」

「でも無事だったじゃないか。グリスが心配だ。早く戻ろう」

痛む身体をなんとか動かして天界へ戻った私とウェズは、今にも消えそうなグリスを前に愕然とした。寝台の上に寝かされ、まだ血が流れている。守れなかった。連れて行くべきではなかった。私一人で行くべきだった。罪悪感と後悔が押し寄せる。万が一、このままグリスが消えてしまったら私はどうしたらいいのだろう。

「マドラス、グリスはどうなりますか?」

「まだわからない」

「わからないって、なんとかしろよ!」

「ウェズ、落ち着け」

背中に受けた傷が深く、血を流し過ぎたとマドラスは言った。神力が弱まっている。外から神力を与えるにも限界があって、あとはグリスの生命力にかけるしかないと。マドラスが創ったとはいえ神なのに、神ともあろう者が消滅しかかっている。私自身の神力が高まったとしても、仲間一人助けられないのなら、なんの意味もない。目の前で今にも消えそうなグリスを見ていて涙が溢れた。

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