第十二話『鐘采老』
修行をしに来た。戦い方を教えてほしいと私たち三人は鐘采老にそう言った。
「戦い方など知らぬ。神力の高め方なら教えてやる。神力が上がれば自然と戦闘力も身に付くものだ。神玉の作り方も同じく。案ずるな」
「神力の向上にはどのくらい時間がかかりますか」
「そうだな二、三日かかるかな。元の一つに戻った方が早いのではないか?」
「それはできませんっ」
つい語気が強くなってしまった。マドラスといい、鐘采老といい、ウェズとグリスのことをなんだと思っているのだと怒りを感じていた。
少し話をした後、鐘采老はすぐに始めようと言いおもむろに立ち上がると、私たちの背後に三つの扉を出した。
「左からウェズ、ミライ、グリスの順番じゃ。中に入ったら祠がある。その前で座り、時が満ちるのをただひたすら待て。雑念が多いと時間がかかるぞ。さて、誰が一番に出て来るかな」
鐘采老は神力の高まりは自分でわかると簡単に言った。三人で扉の前に立ち、一度だけ顔を見合わせてから三人同時にドアノブに手をかけた。押して開くタイプの普通のドアだが、開くとそこはまるでジャングル。遠くから風の音、水の音、雷の音や動物の鳴き声まで聞こえる。数歩ドアから離れると、ドアは勝手にバタンと大きな音を鳴らして閉じ、そして消えた。一人だという不安、閉じ込められたのではないかという恐怖、こんな状況で集中できるものだろうか。震える足に力を入れ、数歩進むとそこに鐘采老が言っていた祠があった。木々の間にひっそりと佇む石でできた祠で屋根には緑色の苔が生えている。私の身長と変わらない高さで、正面には小さな扉があり錆びた南京錠がかけてあった。私は鐘采老が言ったように祠の前に胡坐をかいて座った。座布団などない。右の太ももの下にはゴツゴツした石があり、お尻の下は固い草に覆われていた。座り心地は決して良くはないが、私はゆっくり深呼吸を三回すると意識の深いところへと集中した。
集中すること自体は苦手ではない。無心になることなんか簡単だと思っていた。しかし、家で瞑想するのとは違う。意識の深いところまですら辿り着けずにいた。無心にならなければならないのに、色々なことが頭を過る。何度も大きく息を吐き、座り直し、集中しようと努めた。
「雑念が多いな」
「鐘采老様」
「ミライ、よいか。集中しようとするから集中できないのじゃ。色々気になることや、心配事があるじゃろうが、一旦、忘れなさい。其方は黒龍で万能の石を持ち、選ばれた神獣なのじゃよ」
「私は選ばれた者などではありません」
「謙虚なのはよい。ただ、場面はわきまえねばならん。今は謙虚になっている場合か?其方の問題は自分に自信がないことじゃな」
自信などない。私は皆に支えられてこそ存在している。過剰な自信は必要ないと今まで思ってきた。誰かのために、誰かのおかげで存在していると思えることが幸せだと思ってきた。
「ミライ、自信を持て。其方は選ばれた。其方は有能だ。其方は龍なのじゃよ。さあ、目を閉じて、思い浮かべろ、黒龍だった自分の姿を。アガンを倒した時の闘気を」
言われるがまま目を閉じると真っ暗だった視界に一本の光の筋が見えた。それは次第に太くなり白い龍となった。そして青い龍となった後、漆黒の鱗を纏った龍となった。
そうだ。私は黒龍だった。鮮明に思い出した。身体中から溢れる力を制御できず、藻掻き苦しみながら辿り着いた天界。そこでマドラスに出会った。苦しむ私を見て、マドラスは神玉を分けることを提案してくれた。ただ苦しみから逃れたかった私はそれに同意したのだ。苦しみから逃れることばかり考えて、立ち向かおうとはしなかった。私が弱いせいでウェズとグリスを生み出し、残酷な運命を背負わせたのかもしれない。頬に涙が流れるのを感じた。
風の音を聞きながら、遠くで流れる水の音に耳を傾けていると、鳥が鳴く声や猛獣が唸るような声にも気がついた。肌を掠めていく空気は草の匂いと太陽の日差しの匂いがした。私は強くならねばならない。それが私のためでもあり、ウェズやグリスのためでもある。
ただ長い時間、目を閉じてじっとしていただけなのに、急に膝の上で空を向けていた手のひらに汗が滲む感覚がして、背中にも汗が流れた。そのすぐ後だった
「変だな」
そう言いながらゆっくり視線を落とすと、鳩尾に当てていた手を押すようにして透明の玉が身体の中から現れた。自分の物だが初めて目にした神玉だった。透明の水が丸く集まったかのような不思議な雰囲気の玉で、ふわふわと漂いながら私の目の前で止まった。思わず両手を伸ばすと、玉に触れた指先から光が玉の中に流れ込んでいく。しばらくするとその光は玉の中で赤い玉と青い玉に変化し、透明の玉の中で並んでいた。以前、マドラスから聞いた黒龍だった時に持っていた神玉とは少し違うが、元の形に近づいた。もう少し、もう少しこのままここで瞑想していれば元の形を取り戻せるかもしれない。そう思って私は神玉が身体の中に吸い込まれるようにして消えるのを確認し、再び目を閉じた。
「ミライ!!」
目を閉じて少ししてからだった、消えていたドアを開いて入って来たのは鐘采老だった。
「え?」
「お?其方、ミライか?」
「はい」
「随分変わったな。ああ、そんなことより大変じゃ」
「なにか?」
「獄落門に張ってあった時の結界が破られた」
驚いて立ち上がった私は自分の変化に気がついたものの、それどころではなかった。急いでドアの外に出て、ウェズとグリスを鐘采老が呼び寄せると時空の門に向かった。
「ミライ」
「はい」
「自信を持て。しかし過剰になってはならんぞ」
「ありがとうございました」
時空の門に向かおうとしている身体を止めて、鐘采老の方を真っ直ぐ向くと、深く頭を下げて感謝の気持ちを表した。そしてもっと成長して、平和な世界をモウラから守る。そう心に誓った。
「それにしても変わったな」
「ミライではないみたいだ」
「そんなに?」
「これが本来の姿なのかもな」
「無駄話はいい。行くぞ」
時空の門まで走った。獄落門からモウラが出てきたら、この時間の意味がなくなってしまう。少し走ると現れた時空の門。私は走りながらウェズとグリスの腕を握り、ここに来る前の一時間後を思い浮かべた。そのまま時空の門を走り抜けたが、辿り着いた元の世界にはウェズがいなかった。確実に右手でウェズの腕を握ったはずなのに。
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