第九話『実体化』

結界が張られている獄落門は沈黙を保っていた。実体化するまで恐らくさほど時間は残っていないと思われる。このまま人間界だけでなく、冥界も天界も混乱に陥ってしまい、手の施しようがなくなる前になんとかしなければならない。

「壊すわけにもいかないし、どうしたものか」

「ウェズ、マドラスはなんて言ってる?」

「何も。何を考えているのかさっぱりわからん」

「グリスが言うようにいっそのこと壊すか」

「ミライらしくない答えだな」

連日、天人界にある私の家では三人が頭を抱えていた。神が三人もいるのに壊すか、隠すか、くらいしか思い浮かばない。そこにやって来たのは天界に避難している先生だった。先生は大きな文献を数冊抱えてやって来た。それは世界のことを記録した文献で、過去に同じようなことがあったはずだと言い、その時のことを調べるように私たちに言うと、お茶も飲まずに帰って行った。

 私の家のリビングのテーブルに背表紙の高さが五十センチはありそうで、厚みはそれぞれ十五センチほどありそうな文献が三冊置かれていた。三人共なかなか手が出なくて、ただ見つめるだけで、その状況が可笑しかった。見ないといけないけど、見なくていいものなら、見たくないとでも言おうか。私は二人が少しでもやる気になればと思い、キッチンにあるワインセラーから最高級の赤ワインを持ち出し、ワイングラスとともに文献の隣にそれを置いた。

「赤ワインか、いいね」

「食事はほぼしないから食材はないけど、お酒なら沢山あるよ」

「助かるよ。仕方ない、やるか」

ウェズが苦笑いしながら一番上の文献を手にした。続いてグリスが取ると、私は一番下の文献を取り膝の上に乗せた。本とは思えないほどの重さだった。

 少し読み進めると眠たくなり、家の中や外をウロウロして目を覚ましてからまた読み進める。これを繰り返すこと数回。文献の中にある獄落門が現れたという記述を見つけたのはグリスだった。凡そ五千年前の話のようだ。まだ地獄の閻魔がモウラではなかった時、私たちも初めて目にした名前だった。その名もドウキ。当時地獄を治めていたドウキも、モウラと同じくなんらかの罰を受けて地獄へと行ったようだ。

「獄落門は消えたと書いてあるぞ」

「誰が?どうやって?」

「ミライ、よく聞け。消したのではない、消えたんだ」

「消えた?誰かが消したのではなく、ただ消えた?」

グリスから文献を奪い取って、自分でも確認してみたが、グリスが言うように確かに消滅したと書いてあった。

~ドウキの妖術で人間界に現れし「獄落門」、人間界と冥界に多少の混乱を残し、消滅した。誰がどのようにしたのかは不明。もしかしたら獄落門が人間界に存在できる期限があったのかもしれない。因みに今回は現れてからちょうど半年だった~

「あの獄落門は現れてどのくらい経った?」

「三か月くらいかな」

「じゃああと三か月で何もせずとも消えるってことだよな」

「でも、気にならないか?多少の混乱ってところ」

人間界と冥界が混乱するのであれば、獄落門が実体化するのは逃れられないということだろうか。だとするとモウラは確実にやって来るはずだ。モウラがやって来たとしたら多少の混乱では済まされない気がするが・・・。


 やがて私の心配は現実となった。人間界に訪れたいつもと同じ朝、それは突然現れた。ビルを飲み込み、不気味な雰囲気を醸し出している二本の柱。獄落門が実体化してしまったのだ。人間たちはそれをなにかのイベントだと思ったのだろう、スマートフォンで写真を撮ったり、仲間で集まって動画を撮ったりと忙しそうだった。しかし、その騒ぎは鬼神の登場で収まったように見えた。門の間から静かに現れた鬼神は人間の三倍はありそうな身長、真っ黒のローブを羽織り、大きな鎌を肩に担いでいた。一瞬で消えたものの、人間たちは「死神を見た」「世紀末だ」と今度は密かに騒いでいたようだ。

 その後も鬼神たちは数日おきに次から次に現れたかと思うと一瞬で消える、これを繰り返していた。次第に門がある地区に人間は誰も近づかなくなった。実体化してからずっと見守ってきた私たちは、モウラが現れるのを今か、今かと待っていたがそれはいつになっても訪れず、門から出てくるのは鬼神ばかりだった。

「人間界に足を踏み入れた瞬間、モウラは処罰の対象になる」

「戦って勝てる相手ですか」

「それは私にもわからんよ」

獄落門が実体化する直前にマドラスが言っていた。門から出て一歩でも人間界に入ってしまえば遠慮なく攻撃しろと。遠慮をするつもりはないが、そもそも勝てる相手なのだろうか。私たちは三人共、モウラに会ったことはもちろん、見たこともないのだ。獄落門が現れてから気が休まる暇がない。考えることが多すぎて・・・。


 私は獄落門を見張りながら、別のことを考えていた。獄落門のことを調べるために先生が持ってきた文献の中に、興味深いことが書かれていたのだ。それは神玉はある一定の条件を満たせば、作り出すことができるという内容だ。私とウェズ、グリスは元々一頭の龍だったと聞いた。そしていずれ一つにならねばならないとも聞いた。彼らが持つ神玉を取り出し、私の神玉が吸収するということだ。神玉を取り出せば彼らは消滅する。ずっと一緒に過ごしてきた二人が消滅するなんて、考えたくもないほど私は嫌だった。私が強くなれば、私が偉くなればそれは免れるのではないかとも考えた。もし、本当に神玉が作り出せるのなら、彼らから神玉を取り出しても、新たな神玉を与えれば消滅しないのではないかと思っている。


 人間界で暮らそうかと迷っている時、グリスはこう言っていた。

「正解を求めるな、正解などないのだから。正解は自分で作り出せ、ミライ」

このグリスの言葉がきっかけで私は人間界で暮らすことを決めた。グリスが言うように、本当に正解がないのなら、今私が考えていることを、いつか正解にしよう。彼らとはまだまだ一緒に過ごしたいから。

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