『過去の話:Ⅰ』 byマドラス
それは約千五百年前の出来事。私が治めている天界に突然現れた黒龍は大雨を降らし、雷を落とし、立っていられないほどの大嵐を巻き起こして暴れた。迷惑ではあったものの、空を優雅に泳ぐその姿はとても美しかった。規則正しく並んだ漆黒の鱗、動くたびに筋肉が波打ち、金の長い髭はまるで星が流れた後の軌跡のようだった。しかし、天界を治めている私としては美しいからと放ってはおけず、半ば仕方なく黒龍に向かって光の矢を放ち、天界の地上へと降ろした。黒龍が現れて十日ほど経っていた。
「マドラス様、近づくと危険では?」
「大丈夫だ。いやはや、近くで見るとより美しいな」
横たわる黒龍に私が手を伸ばし触れようとしたところ、その身体は光に包まれ人の姿となった。黒い着物を纏った彼は苦しそうに横たわっている。彼が人の姿になる瞬間、胸の辺りに私は見たのだ。かつて天界を治めていたミノシスが持っていた神玉「万能の石」を。
万能の石は特別な形をしている。通常の神玉は私が持っている物も含めて、一色だ。しかし万能の石は、透明の丸い石の中に赤い玉があり、その赤い玉の中には更に青い玉を有しているのだ。私はミノシスが消滅する時に一度だけ見たことがあった。水、火、風、土、雷、すべての力を持つその石は、神ならば誰もが欲する石で、選ばれた者のみが与えられて生まれてくる。その石を持っている彼に私はミライという名を与えた。そして彼は天界で過ごすことになった。
ミライは若く無謀で、自身の力さえも制御できずに苦しんでいた。日頃は力が小さく穏やかで優しい青年なのだが、日により力は大きくも小さくもなり、大きすぎるとその力を身体の中だけでは抑えきれず発散した。そのせいで雨が降らないはずの天界に大雨が降り、天界で暮らす神々は迷惑を被っていた。私は頭を悩ませた。
ミライが天界に現れて百年程が過ぎた時、天界の大樹で暮らす鳥の世話をしていたミライに私はある策を持って声をかけた。
「ミライ、辛いか」
「いっそのこと力が消えてなくなればいいのですが」
「それは困るな」
「なぜです」
「ミライ、君はいずれ天界を治めなければならない。これは運命だから、変えることは私にも君にもできないのだよ」
「私が天界を治める?」
「まあ随分と先の話だ。まずは今の話をしようか」
私の提案はこうだ。ミライが胸に抱えている力の源でもある神玉を三つに分ける。私は二頭の龍を生み出し、二つをそれぞれの龍に渡すのだ。その時が来るまでの間、三人で一つの神玉を保有し、力を分散させておくのだ。そんなことができるのかと最初は疑ったミライだったが、私なら可能だと話すと彼はそれにすんなり同意した。
話をしてから数日後、ミライの力が大きくなった日にそれは決行された。黒龍の姿となり天界の空を泳ぐミライにあの日空から降ろした時のように、光の矢を放ち神玉を取り出した。水のように透明な玉の中に、ひと回り小さな赤い玉、さらにその中には青い玉があり、二つが重なると紫水晶のようだった。その玉を私の力で三つに分け、同時に私が生み出した白龍に赤い玉を、青龍に青い玉を入れ込んだ。残った透明の玉をミライの身体に戻すと、黒かった彼の身体は黄色へと変化し黄龍となった。そして白龍にはグリス、青龍にはウェズという名前を与えた。
神玉を三つに分けてからミライは常に穏やかだった。ウェズとグリスと共に天人界にいる私の旧友であるルドスの元で神としての心得などを学んだ。人間でいうと幼馴染が一緒に学校に通っているようで微笑ましかった。三人で過ごすうちにミライは彼らの持つ神玉が、元々自身の物であることを忘れていった。私はそれでいいと思っていた。そして同時に二人の友とミライがいずれ一つに戻るべきであることは時が来るまで伏せておくべきだと思った。
ミライの神玉を三つに分けて二百年ほど経った頃、いつものように天人界でルドスから学んだ後、ミライは私の屋代を訪ねて来た。普段からよく遊びに来ていたが、この日はなにか覚悟を決めたような、大きな決断をしたような、見たこともないような雰囲気のミライだった。
「マドラス、お願いがあります」
「申してみよ」
「人間界で暮らしたいです。人間の研究をしたいと思っています」
「なんのために?必要性が私にはわからないが?」
「人間は興味深いです。短い寿命を計画的に懸命に生きていて、でも中には悪いことをする人間もいます。百人いれば百通りの生き方や性格があるのがただ面白いのです」
「戻ってくると約束してくれるなら許そう」
二千年以内に戻る、そう約束してミライは人間界へと降りた。人間界に移り住んでしばらくは数日に一度、天界を訪れては私に研究の成果を話してくれていたが、それも十年と続かなかった。ミライが人間界に降りて百年程してグリスも海の側で暮らしたいと言い人間界に降りた。ウェズだけが私の側に残り、千二百年が過ぎた。私は彼が天界に戻るのを今か、今かと待ちわびている。
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