第一話『獄落門』

 私は人間のフリをしながら、人間界で暮らしている神。天界から人間界にやって来て、もう千二百年になる。人間界で暮らし、無駄だと言われ続けながらも人間という生き物の研究を続けている。神としての私はというと風を司っていて、時折任務の伝令が届くと龍の姿で空や海に出向き風を起こすのが仕事だ。


 この日私は大学教授として勤めている大学に向かっていた。朝、郊外にある自宅を出た時に感じた違和感はこれだったのかと思った。乗っていた車を路肩に停車し、目の前に現れたローブの彼を目線で追った。そして彼は事を起こした。人間界にあってはならない獄落門ごくらくもんは冥界と人間界を繋ぐ門。通ればそこは冥界で、要するに人間は寿命を終えてしまうわけだ。本来であれば人間界から離れた冥界の入口に門はあり、寿命を終えた者が通り冥界へ向かう門なのだが、一体誰が何のために人間界にそれを出現させたのだろうか。

「ミライ」

「ウェズ、早かったな」

「近くにいたのでね」

私が天界に送った知らせから数分も経たないうちにウェズはやってきた。ウェズは天気を司る神で青龍だ。私が天界で暮らしていた時から親しくしていて、人間界で暮らすようになってからも定期的に会っている神の一人だ。ウェズもまた、目の前の光景に驚いている。

「どういうことだ」

「さあな。死神を一人見たよ」

「死神?こんなことを成し遂げるのは普通の死神ではないな」

「私もそう思うよ」

大学に行く予定を変更し、ウェズと共に天界に向かった私は、久しぶりの天界に少しばかり緊張していたが、主神であるマドラスに会い目の前で見た出来事の報告をした。マドラスは神々の長である。その神々しさは、長い時間は直視できないほどだ。私の報告を聞いたマドラスは深いため息をつくと、座っていた椅子から立ち上がり腕を組みウロウロと玉座の前を歩き回っていた。


 天界は人間には想像もできない場所にある。空には太陽と月が共存し、雨は降らないのに大きな湖があり、地面は濃い緑の葉に覆われ、樹齢数万年の大樹が点在している。マドラスは湖の真ん中にある屋代に住んでいる。許された者しか屋代に入ることはできない。私は人間界に住む神の中で唯一屋代入ることを許されている神だが、十数年に一回のペースでしか会わないため、天界で暮らし毎日のようにマドラスに会っているウェズとは違い、入る瞬間は息をするのも忘れてしまいそうなほど緊張する。そんな私の緊張を知ってか知らずか、マドラスは兄のように接してくれるから、話をし出してやっと緊張から解放されるのだ。

「どんな奴だった?」

「黒いローブで全身を覆っていたので」

「黒いローブか。死神であることは間違いないな」

「モウラを呼びますか?」

モウラとは地獄を治めている神だ。死神を管理しているのがモウラだから、ウェズはモウラを呼ぼうとしているのだろう。マドラスはウェズの提案に対して首を横に振った。その後、しばらく悩んでいる様子だったマドラスから「何もするな」という指示があり、ウェズと私は顔を見合わせた。それでいいのかと疑問に思ったものの、マドラスが言うならと納得するしかなく、私はただ報告しただけで天界を後にし、人間界の自宅に戻ってきた。


 自宅に戻りはしたものの、なんとなく落ち着かず、放っておくのが嫌で、もう一度獄落門の様子を見に行こうとした私だったが、一人の来客によりそれは後回しとなった。

「珍しい客だな」

「久しぶりだなミライ」

「私の名を覚えていたかスワン」

私を訪ねて来たのは死神のスワン。スワンは人間界に住んでいる死神で、一人の人間がきっかけで出会った。あれは二百年ほど前だっただろうか。寿命を終えようとしていた一人の人間が、誰から何を聞いたか知らないが私の所に来て、数日でいいから寿命を延ばしてほしいと頭を下げた。私にそのような力はない。そもそも寿命を延ばすという所業はマドラスくらいにしかできないことだと思っていた。しかし、突然現れたスワンはいとも簡単に私の目の前で寿命を延ばすという行為をやってしまった。理由を聞けば神には関係ない話だと言い放ち、それが死神の世界では当たり前のことなのだとスワンは言っていた。これ以来しばらくの間、偶然会うことが増え、そのうち酒を酌み交わしたりもしたが、何の前触れもなくスワンとは会わなくなっていた。そのスワンがこのタイミングで現れるとは、何か関係があるのだろうかと私は思った。

「通りすがりではなさそうだな」

「獄落門を見たか」

「ああ、現れる所から見ていたよ。偶然だけどね」

「そうか」

「まさか君か?」

「違う。あのような大それたこと、私はしない」

私の言葉を強く否定したスワンだったが、何かに怯えているように見えた。

 自慢のアンティークのソファセットが置いてあるリビング。玄関で立ち話をしていたスワンをそのリビングに案内すると、落ち着くようにワインを温めて渡した。大きめのマグカップに湯気の立つワイン。スワンはふーふーと息を吹きかけて冷ましては、ズズッと音を立てて口に含んだ。誰かに追われているのだろうか、訪ねて来たのは獄落門と関係があるのだろうか。スワンの行動や怯え方に私は考えを巡らせながら、スワンの言葉を待った。


 しばらくの沈黙の後、スワンが何か言おうとした時だった。庭から物音がして二人同時に立ち上がった。思わず指をパチンと鳴らし、部屋の灯りを消すと窓にゆっくり近寄り、外の様子をうかがっていると、隣に立ったスワンが小さな声で囁くように言った。

「追われている」

「誰に?なんでだ?なにをやらかした」

「詳しいことを話すと、君が巻き込まれるぞ」

「私は神だぞ。地獄の揉め事に巻き込まれはしない」

薄暗い部屋。庭に設置している照明の灯りが少しだけ部屋の中を明るくしてくれていて、かろうじてスワンの表情が見て取れた。二人並んで覗いた窓の外には、昼間街中で見た者と同じ、黒いローブで頭から覆った者が数人いた。幸い、私たちの存在には気がついておらず、そのまま少しすると姿を消した。再び明かりが灯ったリビング。私はひとり掛けのソファに座り、スワンは三人掛けのソファに腰を落とした。

「モウラ様が暴走している」

「どういうことだ」

「人間界と天界を牛耳るおつもりのようだ」

「これまた急にどうした。何かあったのか?」

スワンは手のひらを自分の前に差し出し、その手の中に一人の人間の立体的な映像を作って見せた。若い男性で今どき珍しく着物を着ている。黒髪で清潔感のある髪型、若く見えるのに手には杖、キリっとしたというより優しい人相だった。

「彼はテウス。人間神にんげんしんだ」

「人間神?なんだそれは」

「人間の神だよ。人間界に数人いると聞いている」

千二百年も人間界にいながら、初めて聞いた人間神とやらは、人間として生まれるも特殊な力を持っていて、ある程度成長した姿で長く生きるという。スワンが教えてくれたテウスの年齢は二百歳を超えているとか。人間神の中でも彼は特別で、人間から生まれた人間であるのに、身体の中に神玉を持っているという。その神玉がモウスから狙われていることが原因で、今、スワンはこのテウスを匿っているらしい。

「そのせいで追われているのか」

「私が匿っていることがバレたようだ」

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