第七話 猫、質問される
「――今回も凄いコメント来てるな……」
辛辣な言葉や歓迎の言葉も多いSNS。
そこで注目される程、動画を視聴する登録者数の増加に繋がることを知っていた。
「今日の8時はおじさんのゲーム動画……企業さんとのコラボでおじさん加入、と」
SNSの有効性を俺は理解している。
前世、証明できるものは脳内にしかない記憶では数多の人間が賞賛を浴び、同時に炎上と呼ばれる批判を受けることもある魔境だ。
炎上商法というものもあるらしいが、長い目で見て伸びるとも思わない。
だからこそ、基本的には動画投稿時の予告といった最低限の使用に控えている。
俺自身、ゲームはそれなりに得意だ。
流石に将来発生するだろうプロレベルの人間ではないが、プレイスキルで足りない部分は外見とトークでカバーするように努力する。
モンスターを狩り、捕まえたり、鬼から逃げたりとゲーム動画も多数投稿している。
「う~ん……、ゲーム動画関係はまずまずの伸びか」
トクガワちゃんねるの登録者数の増加ペースは順調と言って良い。
この顔や身体、猫、必死に鍛えたトーク力を武器に、伸びてはいる。今後パソコンやスマホ機器を誰もが持ち、インターネット文化が広がれば更なる増加も見込めるだろう。
それこそ、1000万人達成の目標も叶う日も加速度的に近づく。
「まあ、それはそれだ」
目標を抱くのは良いが、その為には今を努力しなければ。
調子に乗ることはなく常に謙虚な姿勢でいることが大事なのだ。
頭を振って、俺は切り替える。
1000万人の登録者を迎え入れる為に、今日もカメラの電源を入れる。
「はい、いつも私が使う通販サイトから荷物が届いたので、ん……?」
届いた段ボールを手に持つと、擦り寄る猫。
最近は甘えることが多くなってきたのか、こうして脚に身体を擦り付けてくる。黒色の毛並みは艶があり、此方を見上げて小さく鳴き声を聞かせる姿は庇護欲を湧かせる。
知性を感じさせるような丸く大きな瞳に女の姿を映す、俺の飼い猫。
「んお、どうしたイエ。御主人様の美しさに惚れたか~」
にゃふ、と小さく鳴き声を聞かせる黒猫。
声を荒げる訳でもなく、不快に思うこともない鈴音の鳴き声を聞かせる。
「やっぱり猫だよな~。人間みたいに叫んだり大声を出したり裏切らないし」
カメラは止めない。
邪魔が入った程度で止めることはない。大体編集でなんとかなる。
ただ、最近は更に活動も増し、投稿する動画も多くなり、外注するかも検討中だ。
「――という訳でさっそく届きましたね。開けてみましょう」
興味津々な様子で俺の周りをぐるぐると回る猫。
撮影部屋に置き、カッターでテープを切り、段ボールを開く。
「はいはい……硬くておっきいですね~。説明書があるので組み立てます」
段ボールの中身は、猫の遊び場になる物だ。
中にある部品を繋ぎ合わせて、一つの遊具となる人気の商品。
特に語ることもなく黙々と作業をする。
動画上では早送りするだけのパートである。
それを興味深そうに座布団の上で丸まり、此方を見やる猫。
瞳を細め、ゆらゆらと尻尾を振りながら主人の組み立て作業を見届ける。
どこか堂に入ったような、新人を監視でもするかのような姿はまるで――、
「現場猫」
ぴたりと止まる尻尾の動きを気に留めず、俺は携帯端末を手に取る。
女の身体は男のように頑丈ではない。少し休憩が必要なのだと心の中で言い訳をしながら、開いたSNSで話題になっているワードに目を向ける。
#トクガワちゃんねる。
おじさんの飼い猫。
現場猫。
黄色のヘルメットを付けた猫が安全確認をしている写真が関係しているのだろう。以前の撮影動画を投稿して以来、視聴者の反応を始めとした多くの場所から反響があったのだ。
SNS上で呟かれるワードは前者二つはともかく、最後の一つは誰が思いついたのか。
「現場猫、か」
前世での記憶と見知ったワードが結びつく。
金の瞳を見開き、急に俺の身体へと走り飛びつく黒猫は全身を転がす。夏の頃より毛量が増え、もふもふの増した猫が甘えた鳴き声を発して、じゃれついてくる。
その柔らかさと甘えられていることを実感し、思わず頬が緩むのを感じながら、
「ハッハッハ……やれやれ。最近、こんな風に甘えてくるんですよね~、モフモフ~」
あざとさの塊のような、黒と白の毛玉が俺の身体をくすぐる。
顔に白い指先を近づけると、小さな鼻が指の腹に擦り付けられる。
「かわいいな~」
きゅうんと鳴くイエは俺の膝の上で撫でろとばかりに腹部を見せる。
それならばと、腹部の白い毛並を指で通しながら俺は呟く。
「お前が現場猫だったとはな」
いったい何のことだと小首を傾げる黒猫が指先を甘噛みする。
前世の記憶といっても、そこまで役立つ知識がある訳ではないのだ。
現場猫と呼ばれる画像は見たことがある。
黄色のヘルメットを被った猫が安全確認をしている絵が人気であることしか覚えていない。
ネット上で人気があった誰かが描いた猫の絵といった程度の認識だ。
「ビットコインとかアップルとか……、そういうのは覚えていたのにな……」
誰もが一度は想像するだろう。
もしも、未来の知識を持ったまま時間を遡れたら。俗物的な俺にとっては、やはり取り敢えず大金を得る為の方法を模索する、そういう妄想に耽ることはある。
本来はそれを誰かに話して一笑に付され、心に傷を負って生きていくのだろうが、
「現実になっちゃったよ」
事実は小説よりも奇なり。
こんな美しい女の身体で動画配信者になるとは思わなかった。
だから、という訳でもないが持ち込んだ記憶は有名な出来事や金稼ぎ関係が多い。
幸いにも、前世の記憶の世界との差異をあまり感じさせない世界でこれらは有効だった。ただ、その有効性も俺が大なり小なり行動したことで変わったのだろう。
「もしかしたら本来のお前の主人があんなポーズをするように仕込んだのか……」
おじさんの飼い猫であるイエも本来ならば他の誰かに飼われたのだろう。
そうして紆余曲折の果てに、あの不思議なポーズがこの世界でも話題になる筈だった。
「どちらにしてもお前が元ネタってことだろう。あんなに賢いんだし、そうなんだろう?」
事実関係が曖昧だからこそ、推測に近い。
だが、考える度にそうに違いないという思いが強まる。
俺の脳内にある記憶と、あそこまで合致した動きをする訳がないのだ。
「でなきゃ……」
いったい、他になんだというのか。
飼い主である女の妄言に付き合い、自分は寝たふりをしていた。
肉球を触られ、尻尾を触られ、毛並みを触られ、最後にカメラでその姿を撮られる。
「魂が抜けてるね~」
どこか慣れた手つきに目を閉じて人形のように扱われながら。
髪型をハーフアップにした黒髪の女の言葉の意味を自分は考える。
『自分、また何かしちゃいましたか?』
ここ最近の擦り寄りやモフモフ偽装でもかき消せない、女の懐疑的な目。
恐らく自分の脳内にある人間の知識から模索した現場猫の真似が原因か。
何か疑われるような真似をした覚えはない。
あの撮影現場で同じ状況になったら同じことをするだろう。
飼い主の反応的に間違いなく大成功したのだ。それで良いではないか。
『元ネタってなんのこっちゃ』
丁寧に毛布まで掛けられた座布団の上からでも自分の姿が見える。
何かの企画で使ったのだろう、大きな姿見は愛玩動物を、猫を映し出している。
飼い主の告げる現場猫は、自分のことではない。
あくまで自分の知識から検索したものを模倣しただけなのだ。
そのあたりを女は何か妙な誤解しているかもしれないが、
『……まあ、いいか!』
あれこれと考えても仕方がない。今後も捨てられないように努力するだけだ。
なによりも、多少脳内の知識を使ったところで、普通に考えて思い至る筈がない。
――自分の脳に人間の知識が搭載されているなど。
「はい、出来ました! テッテレーン!」
気が付くと段ボールの中身を組み立てていた女がいなかった。
いったいどこへと、周囲を見渡すと窓際に先ほどまで無かった建造物があった。
『キャットタワー……?』
鼻腔をくすぐるのはヒノキの香りか。
木肌の温かい支柱と台座となるクッションがいくつも積み重なり、ところどころに穴が開けられている。中腹付近と頂上に箱のようなスペースは猫の隠れ家なのか。
「はい! なんと! おじさんの家にもキャットタワーが届きました~……イエだけに」
『ん?』
「イエと出会って半年。ハーフアニバーサリー記念ということで買いました! 拍手!」
わざわざ自分の身体を抱き上げる女が窓際の猫タワーに連れていく。
遊ぶ画を撮りたいのだろう、支柱に備え付けらえた爪とぎが細かな配慮を感じさせる。
「これ、爪研いでも全然大丈夫、ほら! ほらぁ!!」
『はいはい、おかげでピカピカですよ』
猫の真似だろう、にゃんにゃんと自らの手で爪を研ぐ振りをするいい年した女から目を背け、一段一段、クッションや登ることを想定した穴を潜り上階を目指す。
ジャングルジムの猫版ともいえるこの場所を進む度に興奮に鼓動が高鳴る。
スルスルと登り最上階。
設置されたハンモックや高台よりも高い場所に到達する。
『おっ、マスターより高いですね……』
「は~、あっという間でしたね。俺の猫素早すぎぃ!」
見下ろした絶景とも呼ぶべき光景。
久方ぶりに人間の視点になったかのような、広々としたリビングや撮影部屋、キッチン、廊下へと続く扉が見える。カーテンの隙間から覗く数多の摩天楼は輝かしいが女の美貌には負ける。
絶世の美女、端正な顔は見上げることはともかく、こうして見下ろすことなど無かった。
『ありがとうございます、マスター』
半年以上も共に寝食を共にした仲なのだ。
女の性格もある程度は理解でき、捨てられる可能性は以前よりも低くなったかもしれない。
『ほっ』
「う゛っ……! あは……重くなったな」
服越しに豊かさを伝える双丘へとジャンプする。
ふわりと1秒程度の落下と同時に、呻き声と共にむにゅりと胸元で受け止められる。苦笑と共に自分の無邪気さを許す女の態度に、何度かタワーを登っては飛び込む。
猫でなければ楽しめない瞬間だった。
女の身体の柔らかさだけではない。高い所から女に飛び込むのが最高なのだ。
「あっ、そうだ!」
撮影の最中なのだろう。
五度目のルパンダイブを決めた後、女が声を上げ、自分を床に降ろす。
ラフなハーフパンツ、そのポケットから紙を取り出す。
紙は二枚、〇と×が大きく書かれたそれを床に置く彼女に目を向ける。
唐突な質問だった。
「イエ、お前人間だろ?」
『――ぁ?』
人間の言葉を発せなくて良かった。
高鳴る鼓動に思わず何か致命的な言葉を発しかねなかったから。
女の意図を探る前に、強張る自分がリアクションする前に、薄い唇が言葉を紡ぐ。
「〇がはい、いいえなら×を叩いてね~。……イエ、お前は人間か~……?」
『――――』
急展開に白く染まりつつある脳を回す。
バレたのか、と思いつつも声音には揶揄いが込められていることに気が付く。
周囲を見渡し設置されたカメラを見つける。電源は点けられていた。
撮影されているということはいずれ編集されて世に回る。
以前、女が告げていた猫動画の一環、いつも通りの撮影だろう。
ならば簡単だ。
猫らしく、いつも通りに、行動すれば良い。
自分は躊躇うことなく×と書かれた紙を叩いた。
念のため、そのまま足元に擦り寄り、モフモフされるべく腹部を差し出す。
「なんだ猫か」
『ほら、モフっておけよ』
「モフモフ~」
猫以外の何に見えるというのだろうか。不思議である。
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