第五話 猫、ハムスターのごとく

 心は男、身体は絶世の美少女。

 この身体に意識が移った当時、当然ながら戸惑うことは多くあった。髪の毛や筋肉、声、詳細は省くが諸々の外見に興奮することは多々あるのは仕方のないことだ。

 同時にスカートといった衣服、この身体になり生じる様々な現象に後悔する日もあった。


 それでも時間経過とネットの海を泳ぐことで、俺は女の身体に対応してきた。

 この世界に友人も家族もいない、孤独な女の身体に適応していく。

 

 無知であったから恥を掻くことも、知識を得たから羞恥を覚えることもあった。

 それでもこういう身体になったのだと順応したのは常にある危機感があったからだ。

 

 俺と、この身体が楽をするには大金が必要だ。

 この世界、この国では未だに浸透していない早期リタイアの実現。

 今でこそ知識にある配信者たちの真似事が成功したから良かったものの、当時は動画投稿による収益化が成功するかどうかの不安は付きまとっていたのだ。


「あ、あの、はじめっ、しゃ、はじめまして……! トク、トクガワちゃんねるです」


 ――なんだこいつは。


 ――お嬢さん、アングラへようこそ。


 ――↑きっしょ。


 最初の頃はそんな感じのリアクションが多かった。

 まだまだ動画サイトがこの国に定着していない頃、俺は迷走していた。


 はっきり言えば、恥ずかしかったのだ。

 美少女の皮を被っていても、脳内に貯蔵された数多の配信者たちの喋り口調や、テクニック、どういった物が再生数を増やすかといった知識があっても。

 中途半端な羞恥が脚を引っ張り、素のままではカメラの前で唇が震えた。


 そんな迷える子羊に手を差し伸べたのは古参を名乗る紳士たち。

 あの手この手でポロリといったものを狙う彼らは毒を吐きながらも反応をくれた。


 美少女という外面の良さに助けられた瞬間である。外見至上主義に感謝だ。

 動画投稿で最も恐ろしいのは、視聴者側からの一切の反応が無い時だったから。


「どーも、トクガワちゃんねるのおじさんです」


 ――おばさんの間違いでは?


 ――ロリコンニキちっす。


「俺は、いや私がおじさんだ。誰がなんといっても『おじさん』です」


 羞恥を克服する為に恥ずかしいと思わない仮面を作る。

 元々、絶世の美少女というアバターで新世界にいるのだ。その応用である。

 『おじさん』というキャラにしたのは出来るだけ仮面と中身が乖離しない為だ。


 ――1周年おめ。


 ――おじさん結構しぶといじゃん。


 ――新参か? 俺ら中年の代表やぞ。


「毎回コメントありがとうございます! チャンネル登録よろしく! ではまたな!」


 批判が少しずつ賞賛に変わる。

 視聴者の毒やヘイトを乗り越えて、視聴者好みの女を作っていく。

 やがて、中年男性のふりをした一般人女性という言葉がネットの海を泳ぎ始める。


 コメント欄の反応から継ぎ接ぎしていく。

 たまに行う配信、視聴者の反応から継ぎ接ぎ、継ぎ接ぎしていく。

 

 賞賛と少なくない批判がコメント欄に吹き荒れる。

 それなりに健全で幅広い層に受けるようにキャラを調整する。

 

 ――そんな風に過ごして『おじさん』が出来上がったのだ。


「どーも、おじさんです! 本日はですね、筋トレします! マッスル!」


 動画配信者として活動していくと部屋の中で一日の大半を過ごす。

 以前は俺しかいなかった動画配信市場も、最近は同業者も増え始め頭角を見せつつある。彼ら彼女らが完全に開花する前に、開花しても逃げ切れるように努力していきたい。


「今回は人気の高いダイエット兼筋トレ動画シリーズになりますね」


 外に出ないから肌は焼けず、無駄な脂肪が増えていきがちな身体。

 レビュー動画以外では出来るだけ節制と間食を控えているのだが、限度はある。


「まずはこのコロコロ、えっとアブローラーで腹筋を鍛えます。回数よりも姿勢が大事で、はい。取り敢えず今日も15回を3セットほどします。画面の皆、準備はいいかい?」


 自宅で出来る筋トレ。そんな企画だ。 

 ニッチな需要、初見になる新鮮な企画を練るのも少しずつ厳しくなりつつある。

 飼い猫であるイエの効果か、視聴者が視聴者を呼び、登録者数はうなぎ登りが続く。


 勢いというのは大事だ。

 数年前よりもハキハキと声を発しながら身体を鍛える。


「はぁー……、んっ、ん……」


 食事は日々の生活の活力であり、身体は財産の中でもっとも大切な物だ。

 不健康な生活は後々に影響が出るというのは、俺が良く知っている。

 

「ふっ、っ、くっ……よし」


 喋りながら筋トレを行うのは厳しい。

 しかし黙々と筋肉を虐めるだけの動画を誰が見るのだろうか。美少女といえど見ないだろう。

 結果、何かしら語りながら筋トレをするという苦行を強いられるのだ。

 

 この動画に触発され、同じように筋トレをしているというコメントも多い。 

 そういう彼ら彼女らの為に、程よく緩くラジオ感覚で聞ける雑談枠も兼ねているのだ。


「そういえば……はぁ、この前久しぶりに出張して握手会をしてきたんですよ。その動画も、近いうちに出しますので……よろしく、お願いしますねえ! ぐるじい!!」


 現在の自宅である高層マンションの最上階、その一室をトレーニング用とした。

 肉体的な事情やストーカー的な事情で、セキュリティが高く、猫も飼うことの出来る拠点。


 基本的に誰も来ない俺たちのアジト、聖域、砦、城。

 元々の人生でも、この身体でも知らなかった贅沢を俺は味わっている。


「そういえばこの前アナログ放送が終了しましたね~。マスコットが公式から届きました」


 俺は気が付いたらこの美少女になっていた。

 女体に戸惑いながら金銭を稼ぐ日々、当時この身体になった俺による楽にお金を稼ぐ手段としての動画配信が軌道に乗るまでは周囲を見る余裕はあまり無かった。


「そういえば、海外で大きな地震とかありましたね。皆も備えとかしておきましょうね」

 

 改めて情報を収集すると、元々住んでいた国に近しい世界だった。

 異世界転生をした訳ではない。ファンタジーも見る限りなかった。

 中世ではなく、いわゆる現代的な法による国家、その国民として俺は生きている。


 ここは並行世界なのか。

 それともタイムリープをしたのか。夢なのか。


 その疑問はこの世界で過ごしている現在も解決出来ていない。

 俺が覚えていることは、記憶に残るような大事件や世界的に話題になったことが多い。記憶にある首相は実在はしていても別人が首相になったりと首を傾げてばかりだ。


 こんなことならもっと勉強しておくべきだった。


「ふぅ……よし終わり。いや~疲れた。明日は腕ですね。今日も身体が火照りました……」


 薄手のシャツを捲り腹筋を見る。

 中々減らない脂肪の付いた腹肉は未だに割れる気配が無い。

 くびれた腰を手で叩き、パタパタとシャツの裾で扇ぎ涼むと、開いたままの扉、そこから金目が覗いていることに気付く。ネットでニュースにもなったおじさんの飼い猫だ。


「ほら、イエも応援に来てくれましたね~。でも終わりです! 高評価、チャンネル登録よろしく! 次回はイエに関する重大発表があるよ!」






 

 今日も今日とて勤勉な飼い主は無防備な姿を晒していた。

 そういう計算をしているのか、純粋に男を知らないのか。

 『おじさん』を自称しているだけあって、男のような仕草を見せる女に溜息を見せる。


「カメラ停止、確認ヨシッ!」


 放送事故が無いように指を差して確認する主。

 タオルで首筋を伝う汗を拭き取る女を見ながら、足元で仰向けになる。


「よしよし、いつからいたんだ~……?」


『最初からですよ』


 わしゃわしゃと腹肉と白い毛を撫でまわしながら呟く女。

 黒髪を後頭部でポニーテールにする女は自分を抱き上げて移動する。


『それで重大発表なんて初耳ですが?』


「う~ん?」


 汗と甘い香りがこの女の物であることを猫の嗅覚が識別する。 

 吸って吐いて、吸って吐いて、呼気と共に尋ねると抱きかかえる女が呟く。


「なんかさ~、企業側がイエの写真を撮りたいなんて言ってたけど……」


『初案件の予感』


「ん? ストレスは掛からないとか言ってたよ~。ここでするらしいし」


 飼い猫を気遣える女はさぞかしモテるだろう。炎上もしないだろう。

 元々自分は動画再生の為に購入されたのだから、その程度の仕事は文句はないのだ。

 ぬいぐるみのように脱力し、彼女に抱えられながら問題ないと一鳴きする。


「その時のお前の反応しだいだけどな」


『それなりに頑張ることを検討しましょう』


 それにしても女の努力の姿勢は学ぶべきところが多い。

 特に己の体形に関しては驚くほどにシビアだ。

 そんな女の飼い猫として――、


『太った猫って不味いのでは?』


 なんとなく自分はそんなことを思った。

 シャワーを浴びる女が着替え、いつもの撮影部屋で何かを組み立てている時に思った。


 鏡で見る限り、体形は変わりない。

 身体が大きくなるだけで現状は変わりないが、未来は誰にも分からないのだ。


 当然、餌を食べるだけで運動をしなければブクブクと太っていく。 

 体形管理も出来ない猫、以前の動画を見て「うわ、醜くなった」とは言われたくはない。


 彼女を見習って、もっと運動をするべきだろう。


「よし、1時間掛かったけど出来た」


 そんなことを考える自分を余所に、満足気な女が組み立てた物。

 本能に身を委ねている間に完成したらしい、台座に乗ったホイール状の何か。

 カメラを向けるという事は何かしらの撮影なのだろう。挨拶は後撮りなのだろう。


「ほら、イエ! こんな風に走るんだよ!」


 手で砂を掻くように女が手を動かす度にホイールが回る。

 ハムスターが走る回し車のような形状と主の動きに理解する。


 女も分かっていたのだ。

 自分は痩せるべきだということを。言外に告げていた。


『――――』


「うーん、餌で釣った方が良いのかな……。ちゅーるか猫じゃらしで……」


『どけ! 手、邪魔だ!!』


「おおっ!? マジか! 過去一番理解が早いぞ! あっ、やらせじゃありませんよ!!」


 叫ぶように驚愕する女に向ける耳は持って無かった。


『うおおおおおっっっ!!!』

 

 自分は走り出した。

 必ず、おじさんを語る女の関心を惹き続ける為、体形を維持せねばと決意した。 



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