第四話 猫、おじさんと寝る

 前回のゲリラ配信はアーカイブとなり、反響があったらしい。

 スマホやパソコンを見ながらニヤニヤする美少女、自称『おじさん』を自分は見る。

 

「ふひ……感動しました。……一生付いていきます。……猫吸いしたい」


 ブツブツと呟く美少女ボイスは猫の耳で簡単に拾うことが可能だ。

 動画に書かれたコメント欄の呟きは彼女の鈴音のような声を通して自分に届く。ちなみに飼い主だろうと猫吸いなど基本的にはさせない。病気になどさせたくはないからだ。

 ピコピコと頭部に永久装着された耳を稼働させて、女の声を聞き取る。


「あー、またお手してくんねぇかな……」


 チラチラと、こちらに向けられる男口調の女から顔を背ける。

 頬を緩める彼女の笑みは大抵投稿した動画の再生数や良質なコメントを発見した類の物だ。それだけ高い反響があったのだろう、何度も『お手』のシーンを見せて、再現を要求してくるのだ。


 遠くからカメラを向けてくる彼女に対して、顔を向ける。

 背筋を伸ばし、出来るだけの決め顔とポーズでカメラ映えを気にする。


「おっとー? 今日はもしかして神がかった写真が撮れるのでは……?」


 遠く、リビングから僅かに離れた一角。

 空間的には同じ場所、しかし大抵その場所では仕事をしている為に近寄り辛い場所。


 質素ながら高価な机と椅子、それだけの場所にパソコン片手の主。

 動画編集中の彼女は飽きたのだろう、独り言と共にカメラをひっそりと向けてくる。


 手軽に猫動画で再生数を稼ぎたい。少し前の『お手』動画のように。

 そんなことを考えていそうだと適当にポージングをしながら思う。悪い事だとは思わない。それだけで美味い飯を食べることが出来るのだから、猫らしく主に貢献しよう。


『みんな好きだもんな。感動もの』


「ん……?」


 人間は分かりやすい感動ものに弱い生物だ。

 それも動物などに対して特にそういう感情を発生させやすい。

 そんな感情を利用すべく今日も楽しく愛玩動物ライフを楽しむ。それだけで画面の皆も笑顔になれる。女も笑顔になれる。自分に笑顔になれる。幸せとはこうして作られるのだ。


「なんだあのポーズ……?」 


 呟く主の幸福の為に、身体を見せつけて、最後に後ろ足で立ち上がる。

 苦笑を浮かべる彼女は満足したのか、スッと無表情になると再びパソコンと向き合う。

 キーボードを叩く女の横顔を見ながら、喉が渇いて水を飲みに行く。


「あいつ、なんでここには来ないんだろ……」


『仕事の邪魔はしませんよ、マスター』


 出来る猫は飼い主の邪魔はしないのだ。


 そんな飼い主である女は本日の業務を終えたのか、ノートパソコンの蓋を閉じて静かに吐息する。疲労によって表情を失ったような真顔に慌てて足元に擦り寄る。

 白い脚の甲、程よく脂と肉の乗った生腿に前足で抱き着いてみると、ようやく笑みをこぼす。


『このままだとお互い長生きはしないでしょうね』


「うん、寝るか」


 奇跡的にそれっぽいコミュニケーションが成立する。

 感動も何もないただの偶然。人間の記憶にあるブラック企業に勤めているような、しかし全て自分で自分を追い詰めているだけのストイックな女の一日がようやく終わりを迎えようとしていた。

 テーブルに置かれた高価そうな時計は一寸の狂いもなく、夜を示す。


「あ、いや、その前にご飯食べて、お風呂に入らないと」


 独り言の多い飼い主に対して勝手に哀れみを覚える。

 思えば、この広々とした家に来てから女以外の顔など数えるくらいしか見たことが無い。

 外に出る時は出るのだが、基本的には家にいるからか、色白の肌の女。

 最初は猫畜生たる自分がいるからかと自惚れていたが、単純に自宅作業が多い。


「いいか、イエ。食事は日々の生活の活力になる。だから適当な物で済ませる奴は大体三十歳過ぎてから身体に病気となって現れる」


『まあ、健康志向は行き過ぎなければ大事ですね、マスター』


 女の投稿する動画には料理動画もある。

 素人による素人の為の、あまり手間を掛けないで作る料理独学動画。


 独学というのはレシピ本とかを検索すること。その日の夕食か昼食として食べるという目的によって動画配信者を初めてからコツコツと定期的に投稿してきたらしい。

 嫁に出ても恥ずかしくない程度の料理スキルは身に付いたと女は自画自賛する。


「まあ、でも俺は結婚なんてしないけどね」


『……』


「結婚なんて人生の墓場って言うし、俺は死ぬまで自由でいたいんだよね」


『……』


「それ以外の幸せを俺は私に与えようって決めたんだ」


 無人だと独り言の多い女に曖昧に頷く。

 彼女の価値観はともかく、食事に関しては大いに賛成だ。

 猫でも人間でも食事は欠かせないものだ。


 なまじ脳内が人間に占拠されている為か、残飯など食べる気にもならない。

 「ほらイエ、ねこまんまだよ~」などとぐちゃぐちゃの飯を出す主でないことに感謝を抱く。そのついでに自分を見ている女はキャットフード以外にも肉、魚、果物などを調べて出してくれる。

 忙しいだろうに、わざわざ調べてくれる彼女に感謝だ。

 当然、撮影の為に向けられるカメラの存在には目を瞑り、黙々と食事する。


「美味いか~?」


『美味しいですよ』


 差し出される掌を無視しながら胃袋を満たす。

 少し悲し気な顔をする彼女の掌に思い出したようにそっと自分の前足を差し出すと喜びの声を上げる。こういった芸は要所要所で役立てていきたいものだ。

 食事を終えて、風呂に入る彼女が自分を持ち上げて見下ろす。


「イエ、一緒に風呂入るか?」


 素敵な誘い文句だった。

 なんて返事を返すか考える自分に対して、彼女は一人で結論を出す。


「いや、まだいいか。今日はもう遅いし……。でも確かそろそろ洗った方が良いらしいし」


 タイムリミットのある誘い文句だった。

 精神的にはともかく、この身体は毎日風呂に入らなくては死ぬという訳でもない。洗いすぎは駄目とも聞く。

 彼女も基本的にはシャワーで済ませるからか、余裕のある時に自分を洗うつもりのようだ。


「イエは爪を立てたりしないし、大人しくて最高の猫だよ」


『褒め過ぎですね』


「この世界の猫ってやっぱり凄いんだな」


 別世界から来た人間、或いは宇宙人のような事を口にする彼女がシャワーを終える。

 何かの企業案件だったか、機能性抜群と名高い、と宣伝していたパジャマを着用する彼女は妖精のような美しさがある。

 女の姿に、態度に、人生を狂わされた男や子供が画面外に多くいそうな、そんな美しさ。

 豊満な胸を張り、惹きこまれそうな笑みを自分に向ける魔性の女。

 

 そんな女の姿を見て自分はそっとケージに向かう。

 いつも自分と女はここで別れる。女は寝室のベッド、自分は檻の中で眠る。

 ここに来てからは、そういうものだと思っていたのだが――、


「ハロハロチューブ。こんばんわ、トクガワちゃんねるです」


 この日は、否。この日から違った。

 わざわざケージの檻の扉を自ら締めた自分の行為を無駄にするように、女が扉を開ける。両手で自分を抱えると女の柔らかさが全身に伝わる。

 カメラを設置し、リビングに布団を敷く女は黒髪を揺らして撮影を始める。


「やあやあ、我こそはおじさんなるぞ~。今ちょうど時計の針が上を向いたところです」


 もはや職業病な彼女の残業を甘噛みして止めるべきか悩むも、彼女の言葉に悩みを解消させる。配信ではない、ただの撮影を続ける彼女の唇が言葉を紡ぐ。


「以前、視聴者アンケートで人気だった『おじさん、寝てみた』動画になりまーす」


 反応に困るタイトル名だ。笑うべきだろうか。

 女は片目を瞑り、その瞳をカメラに映すと、


「イエがこの家に来てもう5ヵ月。以前は身体が小さくて家具の隙間に行くのが心配でしたが、それなりに身体も大きくなったので今日は一緒に寝てみようと思います」


「健康は大事。そんな訳で『寝てみた』シリーズは遂にイエも参戦です。取り敢えず」


 これからは一緒だよ~と甘えた声音で自分の腹に頬擦りする女。

 カメラの前で言葉を区切った女が、呼吸をしてから、続けた。


「取り敢えず特に問題とか無ければ、今後は寝室で一緒に寝ようかなと」 

  






「はい、よーいドン」


 何かの最速動画が始まりそうな言葉と共に室内の電気が消される。

 柔らかな光の照明が自分と濡羽色の女を照らす中、女はアイマスクを出す。 


「ホットアイマスク良いですよ。おじさんが寝るときにおすすめです」


 そう告げた彼女はいそいそと布団に寝転がる。

 女は今回の為に買ったという猫専用の丸いベッドに自分を置く。 


「ん~可愛いね~。はい、寝ます。今回は6時間作業用とショート用になりますのでチャンネル概要欄に貼っておきますね~」


 敷いた布団の近くには設置されたカメラ。

 新しいベッドは眠り辛く、そんなものよりも愛玩動物の役割を果たすべく彼女の傍に寄り添う。カメラが起動していると思うと何故かやる気が湧いてくるのだ。

 

「ふみふみしてる~」


『本能が失礼』


「私の身体を好きに出来るのなんて、俺とお前ぐらいだからな」


 意識が眠っているか、無意識の場合は猫の本能が優先される。

 女の身体によじ登ると前足でふみふみと始める自分の身体に戦慄していると、自分の鼻に女の人差し指が突きつけられる。

 それが許可されたことなのかはともかく、触れた指から光が出る訳でも無く彼女は満足気な吐息を漏らす。彼女の顔の横で寝転がると柔らかな笑みを浮かべる。


 逃げない自分に顔を明るくした女は身体を横たえる。

 おずおずと壊れ物を扱うように、自分の体躯をそっと撫で始める。


「イエ」


『――――』


「ありがとうね」


 カメラでは拾えないような囁き声。

 それは、いったい、何の感謝なのか。

 

 女の微笑に問い返す言葉もなく、ただ彼女に寄り添うことしか出来なかった。



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