第二話 猫、テーブルに立つ

 今日も今日とて猫生を送る。


 現在の、というよりも初めての飼い主の元で早くも二週間ほどが経過した。

 最初のうちはトイレなどを覚えたり、広々とした居住地を覚えるなど忙しかったので、落ち着いた感覚はここ最近になるだろう。


 自分という猫を、女は外に出そうとするつもりはないらしい。

 その為、行動出来る範囲は限られているが、現状は窮屈さを感じない。

 インドア派な自分であることが良かったのかもしれない。


 意外にも自分を放置することのある飼い主は恐ろしいほどに勤勉だ。

 誰の邪魔も入らない部屋で動画の編集をしていると思いきや、自由区画であるリビング兼撮影部屋となっている場所で何かしらの撮影をする。

 そして合間に自分に構ったりするという日々。

 自分よりも明らかに寝ているとは思えない労働環境だ。


「ハロハロチューブ。どうも~トクガワちゃんねるで~す」


 決まり文句なのか、いつも同じ挨拶をする黒髪の美女。

 ソファに座る彼女が撮影を始めると、近づいていき見上げる。

 薄着の彼女はどこか艶やかで、衣服越しに隠せぬ双丘が目を惹く。ただアイシャドウでもしているのかという目のクマは良い感じに眼鏡で隠しているのが見て取れた。


「おじさんと……、イエ~。おいで~」


 ソファに置いていた猫じゃらしを手に取る彼女はおもむろに振る。

 先端が分かれたソレを見ると本能的な何かが疼くのだが、正直無視できる範囲だ。

 

『これ、邪魔ですよ』


「んぅぅぅ。挨拶出来るなんて可愛いねぇ~」


『はいはい』


「そうそう、コメント欄で指摘あったんですけど、こいつ賢そうなんですよ」


 相も変わらずコミュニケーションに難ありだ。

 そそくさとその場を後にしてしまいたいが、撮影は始まっている。

 猫に見向きもされない飼い主など誰も見ないだろう。仕方なしにその先端に齧りつく。


 右へフリフリ、左へフリフリ。じゃれる度に幸せそうな女の顔は美しい。

 猫扱いされることに不満を覚えるが、その度に自分は猫だったと思い返すこと数十回。

 稲穂のようなそれを追いかけて女の身体を野原のように駆けずり回る。

 

 五分ほど遊んでいただろうか。

 思い出したように玩具を置く彼女は、定点カメラのレンズに向けて話し始める。

 今のようにたまに脱線することはあったが、恐らく編集で削るなりするのだろう。


「さて、今回はですね……以前に放送したイエの成長動画が大反響で――」


 自分が気にすることではない、そう思う猫を撫でながら女はトークを続ける。

 ある程度話す内容を決めているのか、淀みなく、分かりやすく喋る彼女の話。


「なんか今回企業しゃん……企業さんの方からですね、こちらの箱が届きました。わ~!」


 一人で拍手する彼女。

 その段ボールの箱はカメラの外に鎮座していた。


 どこどこの有名企業なのだとか。

 まだ中身は空けていないのだとか。

 そんな滔々と話す『おじさん』の言葉に耳を傾ける。


「それじゃあ、早速開けちゃいましょう。ナイフを装備!」


 変顔を見せる薄着の女。

 おもむろに取り出したカッターナイフを見て、ふひっと笑う姿はメンヘラのようで。

 腕ではなく、きっちりと箱のテープを切った彼女は中からある物を取り出した。


「おお~。こ、これは……!!」


 驚愕の表情。芝居がかった口調と顔を見せる美女。

 なんとなく目の前の物よりも、茶色の段ボールの中に入りたくなる、そんな謎の本能に逆らい理性を保つと、彼女が取り出したターンテーブルらしき物に目を向ける。


「新しい爪とぎですね」


 昔の円盤を再生するような機械、それを模した爪とぎだ。

 デザイン性が高く、レコード部分で爪を研ぐのだろう。

 解説諸々をする彼女がおもむろに自分を抱き上げてターンテーブルの前に置く。


 実は一度だけ、猫の本能に負けて壁を引っ搔いたことがある。

 それ以降は控えていたが、目ざとい女はすぐに爪とぎを取り寄せてくれた。彼女がどこかのサイトから取り寄せた板状の爪とぎで満足していたのだが、運悪く企業案件と被ったのだろう。


『ほらマスター。さっさとカメラを向けて』


「イエ、そう、丸いところを爪で研いで、研いで」


 にゃあにゃあと猫の真似をしてレコード部分を爪で研ぐ彼女。

 ここまで来るとどんな猫でも何をすれば良いのか分かるだろう。

 おもむろにレコード部分を回しながら、爪を研いでいく。


「……おお! DJイエ、爆誕!! 爆誕んんんっっっ!!!」


 カメラを向けてくる女に顔を向けて爪を研ぐ。

 なんて自分は従順なのか。如何にカメラ映えしているのか。そんなことを思う。


 普通の猫ならば、今の場面はスルーしていた可能性が高い。

 そんな知能の低さよりも、猫がDJのようにレコードをクルクルしているという画が撮れるのは女もカメラの先にいる視聴者も嬉しいだろう。


 媚び猫爆誕。喜ぶ人間。需要と供給。チェケラ!


 その後、女と適当にじゃれたり、腹を触らせたりする。

 無駄もなくスピーディーに進み動画撮影が終わりを迎えた。


「ではまた会いましょう! チャンネル登録、高評価、よろしく!」


 締めの挨拶を終えて撮影は完了。

 そのまま終えるのかと思いきや、彼女はせこせことキッチンに向かう。


 彼女は動画サイトに猫動画以外の物も多く上げている。猫動画がおまけみたいな物だ。

 以前抱きかかえられてパソコンを見た際に、料理動画やレビュー動画、歌を歌ったりなど実に様々なジャンルの物を上げており、超人のような働きぶりを見せていたことを思い出す。


 キッチンから声が聞こえる。


「はいどうも~、おじさんです。えっと本日は巷で話題のチキンカレーを作りたいと思います」


 撮り貯めということなのだろう。

 一日の間に何本か動画撮影を行い、編集を行う。それを毎日繰り返す。地獄か。


 動画配信者とはこんなにも過酷な仕事なのか。

 過る知識に子供がなりたい将来の仕事として動画配信者が圧倒的に上位であった。 

 

 確かに動画を見ている限り、動画の中心にいる彼ら彼女らは輝いて見える。

 だが絶対に成功するとは限らない職業の現実など彼らはきっと知らないのだろう。


「カレーは良いですよね。おじさん、何を隠そう辛いのが好きなんですよ~」


 そんな将来の期待を一身に背負っているだろう美女とは暫く別れる。

 キッチンは危ないと言っている彼女に逆らうことはしたくなく、何より従順でありたい。

 

 とはいえ、そうなると出来ることは少ない。

 猫畜生に出来ることなど、寝るかトイレに行くか、食べるか、遊ぶかだ。

 女がポツリと「お前は良いよなぁ~、俺も猫になりてぇよ」と呟く気持ちが良く分かる。


 自分と二人の時は何故かときおり俺っ子口調になる美女。

 それが素の状態なのかはともかく、彼女の仕事がこれだけ大変なのだと実感してしまうと、女が疲れている時には無言で毛並みを撫でさせたり腹を触らせざるを得ない。


 そんなペット、もといニートな自分だが、そんな状況には甘んじられない。

 何か芸の一つでも覚えられないかと模索は続いている。


 リビングに備え付けにされた巨大なテレビ。

 テーブルに置かれたリモコンを爪の先で押す。


『――……! ……!』


 音量は小さく、そして彼女がいない間に情報を収集する。

 ニュース、教育番組、つまらないバラエティなど適当にチャンネルを変える。


 記憶の中にある知識と大差ない。

 些か古いと感じる娯楽の類を切り捨てて、最終的にはニュース番組になる。


 情報とは武器だ。

 如何なる弱者であっても、情報一つで状況を変えることが出来る。

 そもそもそんな危機的な状況が来ないで欲しいと思いつつも、主要なニュースの時間を過ぎると、時折だが評判の良かった動物の動画に目を向ける。

 そこから何かヒントを得られないかと自分は考えていた。


 そもそも芸とは何だろうか。

 人間ならば手品とか、変装とかだろう。では猫や犬とかの芸は何か。

 代表的なものは「お手」とかだろう。だが、そんなつまらない物で彼女は満足するのか。


 ――もっと何か、「お手」よりも高度な芸の方が良いのではないのか。

 

 思考はドツボに嵌る。

 画面上に映るのは、蚊取り器らしき白い豚に顔を突っ込むウサギ。

 後ろ足で立ち上がりボールを口に咥える犬に人間が吹き替えを行う。笑う人間。


『下手くそな吹き替えをするなって』


 ちなみに犬の言葉などは分からない。

 人間が勝手に吹き替えした動画を見ながら、なんとなく後ろ足で立ち上がる。


 少しだけ遠くの景色が広がる。

 一瞬だが自分が人間に戻ったのではないのかという幻想。

 見下ろすとクリームパンのような白いふわふわした手は猫である現実。


 座る。後ろ足で立ち上がる。座る。立ち上がる。

 スクワットのような動きを数回。これは体重維持の為に有効ではと思い始めると。


 ふと、女の声が止んでいることに気付いた。

 

「イエ……?」


 振り向く。

 向けられる黒いカメラ。


 驚愕の表情の女。

 本日の仕事を終えたのか、時間が過ぎ去るのは早いようだ。


「あれ、テレビ、消したような……?」


 どうやら見られてしまったようだ。


 立ち上がり見つめ合う。

 見つめ合ったからと言って素直におしゃべりは出来ない。


「イエ……お前」


『……』


 薄く艶やかな唇が震える。

 コクっと喉を鳴らし、カメラを構えて声を震わせる。


「人間、だったのか」


『――――』


 真理に辿り着いた女の綺麗な瞳を見つめること数秒。

 座る。後ろ足で立ち上がり、座る。

 そしてそのまま寝転がり、両手両足を広げて腹を差し出す。


『……ほら、もふれよ』


「おっ、もふもふじゃ~ん」


 ちょっとしたことはもふもふが解決する。

 適当に鳴き声を発し、女の白い手に纏わりついて誤魔化した動画は、随分と後になって飼い主本人から『イエ、人間説①』として数百万再生されたことを知らされることになる。

 

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る