TS動画配信者の飼い猫♂になった件
毒蛇@カクヨム
第一話 猫、飼われる
――気が付いたら猫だった。
いわゆる転生を果たしたのか、或いは人間の記憶を持った猫になったのか。
ただ、自分が人間だという確信を持ちながらも猫生を送らなければならない事を悟った。
「動画映えしないと捨てちゃうかも~」
変顔のような笑みを浮かべた飼い主の顔に気が遠くなった。
愛玩動物であろう自分は人気の猫種だったらしい。飼い主の独り言で知った。
それなりの額で買われて、あれよあれよとショップの檻から広い家の檻へ。
転生したら美少女になりたい。次点で雲になりたい。
そんな傲慢なことを思っていたから、猫という中途半端な転生をしたのか。
名前もどこで生まれたかも穴だらけな人間の記憶と意識を持った猫など何が良いのか。それならばただの記憶も何もない無邪気な猫として生まれ変わりたかった。
グルーミングとトイレを覚えて数日。
自分を購入した飼い主の家は広々としていた。
当然だろう。
机から何から全てが大きいのだ。
それだけではなく、なんとなくだが一般的な家よりも広い気がする。
「いや、もう……しゅごい……かわ~」
ゲージから解放され家の床を歩く。
そんな挙動の一つ一つに黄色い歓声を上げるのが飼い主だ。
「えっ、ぇ、え~! 天使!? あっ、キミか~」
容姿端麗な女。
肩まで伸びた黒髪を揺らし、自分を見て変顔を見せてくる女が飼い主だ。
小悪魔的な、どこかに男受けするあざとさを兼ね備えた姿には猫ながら目を奪われる。
「よ~し、それじゃあ撮ろうね~」
赤ん坊に話しかけるような柔らかな声で自分を抱き上げる。
それなりに豊かな双丘の感触と共に鏡に向けてスマホを向ける女。
その微笑と乳の感触でここに来た甲斐があった。
そんな思いはスマホを操作する女の手元を見て、吹っ飛んだ。
2010年。
随分と懐かしさを覚える年が画面の隅にあった。
自分はタイムスリップをしたのか。いわゆる別世界に来たのか。
なまじ知識などがあるから、硬直する自分を余所に女はどこかに写真を投稿した。
「おお~。ほら、もう『いいね!』が5000もいったぞ~」
上機嫌な女の様子。
彼女の腕に抱かれ、改めて彼女の小奇麗さと部屋の装飾に目を向ける。
色々な商品や物が置かれた部屋。
一度だけカーテンの隙間から見えた下界という名の建物群。
もしかすると有名人か富裕層に買われたのか。
自分の猫種に感謝をしながらも、ふと不安に捕らわれる。
『動画映えしないと捨てちゃうかも~』
捨て猫というワードが脳裏を過ぎる。
飼われて数日だが、こんな態度は最初だけではないのか。
保健所。殺処分。猫生などまだ二桁日程度だがそんな末路に身体が震えた。
そんな不安を解消するきっかけがあった。
グルーミングやトイレをしている際にもスマホやカメラを向けるのだ。
迷惑極まりないが、常に手元に持つ彼女の姿には数日程度で慣れざるを得なかった。
カメラ狂いなのかと思ったが、どうやら少し特殊な事情のようだ。
「ハロハロ~」
その日はソファに座る女と自分、そして少し離れた場所に設置されたカメラ。
陽気な挨拶を黒い四角形のカメラに向ける彼女が撮影をしているのは分かった。
「今日もお元気? トクガワのおじさんです!」
どこか芝居がかった口調と身体の動きは、慣れた物だ。
膝の上に置かれ、動かないように手で体躯を掴まれながら彼女を見上げる。
「本日でなんとトクガワちゃんねるも3年目! おじさんを応援してくれてありがとう~!」
おじさんと名乗る美少女にも美女にもとれる黒髪の女。
はにかむ彼女を見上げながら、彼女の言葉に思い当たるものがあった。
動画配信者。
ネットの海に動画を配信し、それを飯のタネとする職業。
大体そんな認識だったが彼女がそういう職業のようだ。
「チャンネル登録者もなんと400万人を突破! やったぜ! ……それはともかく」
自分の背中を撫でる彼女は笑顔で告げた。
「なんと今日からおじさんの家に~、家族が増えるよ!」
家族。家族といったか。
毛並みを指でくすぐる彼女はカメラに向けて言い放つ。
「名前はイエ! 家康からとってイエ! なんか偉くなりそうだから!」
自分のことを言っているらしい。安直だがクロとかタマよりは良いだろう。
それにしても動画投稿などしたことは無いが、登録者数が凄まじい。
その容姿で稼いだのか、日々の努力の賜物かはまだ不明だが、この画面の先にそれだけの人間が彼女と自分を見ているということになる。
そして今日がチャンネルの開設3周年らしい。
はきはきと喋る彼女の言葉に耳を傾け、身体中を弄られながら思考を続ける。
話は戻るのだが、そんな有名人だろうと抱える不安がある。
今はともかく、将来的に捨てられるかもしれない、虐待されるかもしれない不安だ。
今の自分はただの猫畜生に過ぎない。資格も就業経験もない。
従順を装い、人間に媚びを売らなければ「なんだこの猫、いらねーわ」と段ボールに入れられ見知らぬ野原に出荷されるかもしれない。そんなことをされたら生きてはいけない。
一応猫の身体をしているが狩りなどしたことはない。
どちらかというと狩られる可能性の方が高いのは間違いない。
食事も満足に取れなくなる。
屋根もない外で雨に打たれて、野良犬に噛み千切られて死ぬ。
遺体はきっとネズミにでも食べられるのだろう。拾われる可能性は期待できない。
だからこそ、自分はここで生きなくてはならない。
もしかすると何もしなくてもこの女は家に飼い続けてくれるかもしれない。
しかしそれは憶測であり、希望に過ぎない。
所詮は他人、それも出会って数日の美女になど騙されないのだ。
ではそんな知識があるだけの猫畜生に何が出来るか。
気に入って貰うのだ。自分を撫でる飼い主やカメラの先にいる視聴者に。
媚びを売る。考えられる限りの芸を覚えて人気を集める。
この世界に『イエ』などという猫がいることを知らしめるのだ。
猫動画が再生されるほど、この飼い主も喜ぶだろう。
愛着の一つでも覚えさせれば、捨てにくくもなる。
そして浅知恵で覚えた芸を世界に飽きられる前になんとか猫生を終えるのだ。
「ほ~ら、イエ! なんか言ってごらん~。まあ、全然鳴かないんですが」
そんな幸せ計画の第一歩。
まずは目の前の飼い主に媚びを売ろう。
『……初めましてマスター。どうせ聞こえないと思うけど』
「えっ」
『まずは、その気色悪い赤ちゃん言葉を止めてくれるかな?』
「オポポポッッ!!? 鳴い、鳴いたぞ! えっ、マジで!? 聞きましたか皆さん! 俺、いや私、今初めてイエの鳴き声を、いや、本当に……ッ!」
当たり前だが通じることは無かった。
驚愕の表情を向ける『おじさん』を名乗る飼い主に身体を預ける。
せめて捨てられないように。美味い飯にありつけられるように。
最低限の努力を惜しまず、動画映えする芸を覚えて媚びを売ろう。
これを人生の目標にするのだ。
どうやらこの身体は自殺に成功したらしい。
俺がそう判断したのは、異常な程に整理された部屋とテーブルにあった薬。
睡眠薬などを明らかに多量に摂取したのだろう。
同じく紙で書かれた遺書にはいままでの人生の恨みつらみが書かれていた。
親に虐待され、容姿の所為で虐められる。
毎日が嫌なことばかりで、誰にも助けては貰えない。
両親が事故で死んで、勉強だけは頑張って、誰も自分を知らない学校へ進学。
そうして日々を送っているうちに、ふと張り詰めた糸が切れてしまった。
そして自殺に至ったのだろう。
元の身体の持ち主は死んでしまったのか。
部屋を見る限りあらゆるものを捨てたらしい。
苗字も変えて、最低限の物だけ残して、残った物は俺の意識だけ。
小さな手鏡には確かに可愛らしい女がいた。
どこか性格の弱そうな女の表情はニヤリとした笑みに上書きする。
「それなら俺が使ってやろう」
死んでしまったのなら仕方がない。
だから、この身体の持ち主が誇りに思える、楽しい人生を送ってみせよう。
この少女を虐めて、苦しませた全ての者よりも幸せになれるように。
「まずは金だ」
いわゆる憑依なのか、本当に女の身体に転生したのか、もしくはただの夢なのか。
そんなことを考えるよりも現実的な問題に思考を向けなくてはならない。
生活を、食事をする為には金を早急に稼がなければ。
女の残した遺産のパソコンでネットを見ながら稼ぐ手段を模索する。
そうして気づいた。
「動画投稿者がいない」
動画サイトはあるがこの国の人間は見向きもしない。
否、これから月日が経過すればここに価値を見出す人間も現れる。
一切開拓されていない無人の市場。
ここに魅力と可能性は感じた。
俺が元居た世界の動画投稿者。
今は無き彼ら彼女らが行ったことを模倣すれば稼げるのではないか。
歌を歌ったり、人気の食べ物を食べたり、レビューをしたり。
ゲームを実況したり、変顔をしたり、出来るだけ子供や大人と幅広い層の需要を掴むのだ。
そこからはあっという間であった。
バイトをしながら動画を投稿し、それなりに稼げるようになるのに一年。
そろそろ動画一本で食べていこうとバイトを止めて動画投稿に勤しむのに二年。
この容姿は思った以上に人気だった。
何よりもこんな美少女が子供受けする下らないことをしているのが受けたらしい。
動画投稿の需要に気付いた後輩たちが増える中で、ゲーム実況や歌を歌ったりして三年。
毎日毎日、動画投稿の為にパソコンと向き合う日々。
企業からの案件の為に外出を繰り返し、ファンを増やす。
途中から早期リタイアを目指して日々動画投稿をしてきたが、そんな日々に少し疲れた。
言い寄る男は増えるが、中身が男の時点でスキャンダルはあり得ない。
ストーカーが現れたり男に襲われかけたり、多少の人間不信にもなった。
スタッフは綺麗な女たちで囲い、そういう人なのだと変な誤解もされた。
きっとこれから先、結婚だけは出来ないのだろう。
それだけはこの身体に申し訳ないと思う。
ただ、それなりに動画配信者として有名になってから、言い寄る人は誰も信用できない。
身体か金銭か、何かしら裏があるのではないのかと疑心暗鬼になってしまった。
この世界の、社会の闇を知り、年を取る度にそんな思いが強くなる。
動画配信者としての明るいキャラも身についてきた。
早期リタイア出来るだけの金も手に入り、資産運用を進めている。
現在年齢は22歳。30歳くらいか、それまでに登録者数が1000万になったら引退しよう。
その間、誰かに俺を癒して欲しい。
人じゃなくても良いから、俺を癒して欲しい。
「そうだ、猫。猫を飼おう」
ふと、そんなことに思い至った。
猫は良い。可愛い。世話は必要だろうが賢い猫種もいる。
何よりも動物は人と違って裏切ったりはしない。
健康診断をした時には動物アレルギーが無いことも判明している。
スコティッシュ・マンチカン・フォレストブルーという種類の猫を飼う事にした。
賢く、丈夫な身体と遺伝子改良でもしたかのような猫の良いとこ取りをした猫種の頂点。
生まれて数日程度の彼の目が俺を捕らえるのが分かった。
金色の大きな瞳は満月を思わせ、腹部は白く、背中は漆黒の毛並み。
即決だった。
「……うーん、視聴者にアンケート取ろうかな……、いや、変な名前は嫌だし」
これから先の生活がきっと彩りに染まるだろう。
彼の小さな身体は両手に収まるくらいに小さく、きっと癒しとして貢献してくれるだろう。
ついでに少しだけ。
職業病にもなりつつある動画サイトのことを思うと、ポロリと呟いた。
「動画映えしないと捨てちゃうかも~」
大きく見開いた瞳に微笑みかける。
子供映えする変顔は猫にも受けたらしく、コテンと静かに眠りについた。
「なんてね」
愛らしい寝顔と毛並みに疲れが取れた気がした。
癒しの偉大さを知りながら、これから大切に育てようと、そう決めた。
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