【2】特別授業Ⅰ

 通学路には大概、特に学校前の道には有り余るほど、桜の木が植えてあるが、その下を自転車でかっ飛ばすのは、限りなく楽しい。三月の桜は、見事に薄いピンクで彩られているのだから、ふわりと春の匂いも感じられて、随分と穏やかな心地にさせられる。レモンとかいう悪魔に取り憑かれて、四度目の春。もう彼女がいることに慣れてしまった。不服だが。


『もっちゃんの担任の先生ってさあ、やっぱりハゲてること隠し通そうとしてるよね! 今日こそ、あのカツラを剥ぎ取るべきだと思うんだ~』


 相変わらずレモンはロクでもない奴である。情緒も風情も、すべて吹き飛んだわ。


 彼女は、十一歳の俺を部屋から連れ出したように、『催眠』には異常に長けている。それこそ先生を操るなんて、造作もないのだろう。たとえば、先生自らカツラを取り外させるとか……きっと地獄の空気が流れる。クラスメイトの大半が、実際は勘付いているのだから、色々と手遅れだ。


 そうこうしているうちに、中学校に着いた。卒業式の最終リハーサルとかいう気疲れの極致を、今から体感しなければならない。


「よう、望月もちづき!」

「……なんだ志築か」


 自転車に鍵をかけていると、いつもウザ絡みしてくる志築しづきと出くわした。大柄で、いわゆる不真面目なのだが、そこが逆に親しみやすい。どうしても柔道部を連想するガタイだが、所属していたのは意外にも卓球部である。しかし大半はサボりだ。


「おうおう、元気か?」

「まあまあ」


 太い右手を肩に回されて、スポーツのニュースとか、もうすぐ卒業だとか、他愛もないことを喋りつつ、教室まで歩いていく。なんか今日は特別授業があるらしいぞ、とかいう話題になったので、何だろうな、とか相槌を打てば、いかがわしいやつに違いない、とか、それもそうだな、とか、もしかしたら……等々、今週一番の盛り上がりを見せた。志築は声が大きいので、すれ違う女子たちからの軽蔑は避けられなかったが。


 教室に入れば、志築は肩の拘束を解いて、勝手にクラスメイトの輪へ突っ込んでいったので、俺は静かに自分の席に座った。色々と荷物を整理して、肩を気休めに回してから、後ろのロッカーへ通学バッグを放り込む。


 しかしながら、いつもは体調の悪い奴とか、まさか不登校の奴とか、今日に限って登校しているとは、どういう風の吹き回しだ? そんなに卒業式練習が楽しみなのか?


『きな臭いね~』


 何かにつけて事件性を見出すレモンはともかく、「あれ、望月は?」と志築に呼ばれた気がしたので、「ここにいるぞ」と、一応は駆け寄る。案の定、通学バッグを渡されたので、志築の上履きを踏み付け、満足してから、ロッカーに収納してやった。


「ありがとな!」

「おう」


 志築の笑顔に、やっぱ憎めない奴だと感じてしまう俺は、たぶん生粋の馬鹿なのだろう。



  ♢♦♢♦♢


 

 卒業式のリハーサルで午前は潰れた。給食は格別に美味かった。すぐにでも帰りたかった。


 某担任が中年らしいゲップをするので、五時間目の特別授業は初っ端からやる気が失せた。クラスのムードとしても、疲労感ばかり漂っている。小窓から春風が吹くものの、それは弱々しく、気だるさしか残らない。


「本日は外部より、特別講師の方にお越しいただいております」


 相変わらずイントネーションに締まりはないが、突然、改まった言い回しをする担任。珍しい。しかし外部講師とは……この瞬間まで何の説明すらなかった。皆も同じだったようで、湧いた疑問と共に、やや表情が活気付いてきている。


 担任は、かつてないほど眼球を血走らせて、「くれぐれも失礼のないように」などと、諸々の注意事項を垂れている。とりあえずは、適当に聞き流しておいた。よりにもよって、こんな時にレモンの奴が騒がしい。『なんか近くに悪魔祓いがいるね……今こそ、壇上の先生にカツラを取り外してもらうべきかなあ……』なんて、威勢のいいことを抜かしている。呑気な思惑には呆れるほかないが、外部講師の正体が悪魔祓いであることを、言外に警告しているのだろう。


『そうだね~ でも、もっちゃんが警戒する必要はないよ。もしもの時は、私がすべて抹消してあげるから大丈夫!』


 清々しいまでに自分勝手な奴である。


 レモンと駄弁っていると、担任が悪魔祓いの男を連れて、教室の前方の引き戸から入ってきた。170㎝以上はある先生が、小人に感じられてしまうほどの巨漢である。


『あれの前世、絶対に体育教師だったでしょ。まんま熱血漢だよ』


 それは間違いない。


『でも、見た目に反して、戦闘能力は皆無っぽいよ。まんま催眠術師だね』


 そうなのか? ……催眠術師?


「諸君」


 熱血漢の一言で、皆の姿勢が正される。今朝、あれほど調子がよかった志築まで、妙に真面目腐った後ろ姿を晒している。卓球部のサボり魔が、ひとたび姿勢を良くするだけで、こうも違和感があるとは……これが催眠なのか。『チンケな術だねえ』お前の意見は聞いていない。


 それにしても、俺まで姿勢を強制的に正されているのは、どういうことだ?


『チンケな術にでも引っかかったんじゃない?』

『……それもそうだな』

『そうそう、もっちゃんって演技が下手っぴいだからさ。いっそのこと身体だけでも操り人形になった方が、目くらましになるでしょ?』

『……お前が原因か』

『ん? そろそろ熱血漢の講釈が始まるよ!』


「——夜二十時以降について、悪魔の連中が出没する時間帯であることは理解しているだろう。この度、中学校の卒業を控える君たちには、護身のためにも、悪魔に関する知識を深めてもらいたい。本日、講師を務める矢田やだだ。よろしく頼む」

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題未定 #1 Kurui @kurui627

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