第30話
幽閉されたのは、村の外れに設けられた、罪人を閉じ込めておく為の牢だった。土の床になけなしの
千歳はそれを避けようと牢の隅へと避難して、もう何度目か知れない溜息を吐き出した。
──まさか、こんな事になろうとは……
社を出てくる時には全く想像していなかった展開である。むしろ千歳は、村長から呼び出される事を喜んですらいたというのに……こうして牢に入れられて、明日には処刑されるだなんて。馬鹿馬鹿しくて、いっそ笑える。
それにしても、あの美鈴という神子は何者なのか。なんの縁もない水守村の為に御供になろうと言うのだから、余程の清廉な人物なのだと思ったが……翠が千歳に対し怒りを覚えていると言った事から、もう信用するのは難しい。
彼女は何故、あんな嘘を言ったのか。自分を処刑させようと誘導していたようだったが、自分に恨みがあったのか……? 考えてみるも、千歳に彼女との面識はない。村の者ならいざ知らず、外の者にまで恨まれるような覚えもない。
ともかく一つでも明確な嘘がある以上、全てが怪しく思えてくる。彼女はちゃんと御供の御役目を果たすのか……そもそも本当に、神子の資質を持っているのか? 先程襲撃を行った動物達が彼女の事だけは避けていたから、なんらか力はあるのだろうが……
と、美鈴の正体や思惑について色々と推測してみるが、今ある情報をいくら並べてみたところで真実に辿り着くのは不可能だった。せめて村の皆に、彼女が怪しいと伝えたかったが、ここに放り込まれるまで必死になって訴えてもまるで聞き入れてはもらえなかった。
千歳にできる事は、何もない。こうなった以上はもう、死を待つより他にない。それは受け止め難い運命であったが……もうどうしようもないと言うならば。
――ならせめて、翠に別れを言いたかった……
千歳は壁の隙間から外を眺め、北の山へと思いを馳せる。死を前にしたこの局面で、一番の未練となるのがあの龍神の事だなんて、自分でも意外だが。
何せ彼と共に過ごしたのは、たった十日程度の事。しかし千歳にとってこの十日は、十九年の人生の中で、特別に濃密な日々だった。不思議な社の中、神と共に暮らしたなんて。
その神について、最初こそ神子として恥をかかされた恨みと、邪険な扱いをされる不満とで苛立っていた千歳だが、しかし徐々に、悪くは思わなくなった。いつの間にか千歳は、彼に親しみを覚えるようになったのだ。
用事もないのに近寄って来られるのはくすぐったくも温かく。無防備に微睡む姿にはこちらもなんだか癒されて。遠慮なく叩き合う軽口も、嫌悪が含まれなくなってからはむしろ気楽で楽しかった。
神子屋敷に居た頃は、誰もそんな風に千歳に接しはしなかった。平蔵にさえ、いつも一線を引かれていた。それが神子として大切にされていたからこそだと理解はしている、が、常に孤独感が付き纏った。だからこそ、翠との軽いやり取りが嬉しかった。
長い時間を共に過ごしたわけでもない。互いに胸の内を晒すような深い会話をしたわけでもない。だというのにこんな事を言うのはおかしいかもしれないが――まるで家族ができたかのように思っていたのだ。
そして、やはり思い出すのは、あの抱擁。
あの時、眠りに落ちる前。翠は――これはただの推測に過ぎないが――全身で、千歳の事が必要だと言ってくれていた気がする。神子としてではなく、千歳という存在が必要だと……言葉にされたわけでもないのに、千歳はそう感じていた。
そしてもしそれが真実であるのなら、千歳にとって、それ以上に嬉しい事はない。神子という肩書ではなく、自分自身を必要だとされるなんて。
──だからこそ、ちゃんと別れが告げたかった……
千歳はまた溜息を落とす。短い間ではあったが……それに、川の氾濫という危機に瀕している中ではあったが、翠と過ごす事はなかなかに楽しかったと伝えたかった。
嗚呼それに、翠にはすぐ戻ると言ってあった。別に約束という程のものでもないが、その言が守れなくなるという事についても謝りたい。もしかしたら彼は心配するかもしれないから……と、考えたところで。
──いや、そんな事より。
感傷的になっていた千歳は、ぎゅっと表情を険しくする。翠に伝えるべき事は他にあるだろうと思い至ったのだ。
だってやっぱり、あの神子は怪しい。
先程は、自分を処刑するのが目的だろうかと考えたが、それだけならば御供として社へ赴く理由がないのだ。千歳が引っ立てられてすぐ、彼女は山へと入ったようだが……その先で一体何をする?
もしや、翠に何かするつもりか――……
そう思い至ると居ても立ってもいられなくなった。なんとか翠へ、あの神子に気を付けろと伝えねば……その一心で、牢の壁へと体当たりを繰り返す。が、余りにも無謀であった。堅牢な木の板はそんな事ではビクともしない。腐った天上なら壊せるかもしれないが、その為の台も棒もない。脱出するのは難しい……千歳はそう判断すると、すぐさま大声を張り上げた
「なぁ、誰か聞いてくれ! あの神子は怪しい、もしかしたら龍神に危害を加えるかもしれない! そうしたら川の氾濫は誰にも抑えられなくなる……誰か様子を見に行ってくれ!」
喉が千切れんばかり、そう叫ぶ。なんとかせねばと叫び続ける。だが千歳の声はザアザアという雨の音に掻き消され、村の誰にも届かなかった。
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