第21話

 ◆◇◆


 自室へと戻った翠は、大きな息を吐き出すとそのままずるずると座り込んだ。

 今の千歳の話により、ずっと不可思議に思っていた事に合点がいった。それはそれで良かったのだが……しかし同時に動揺し、思わず自室へと逃げ込んできてしまった。

――だってまさか、崖から落ちていたなんて……

 その事に酷く胸が痛む。

 あの生涯消えないだろう傷痕に、悔恨の念が沸き上がる。

 何しろ翠は、その時その場に居たのである。

 千歳が記憶喪失になる直前、翠は彼と会っていた。


――その日、翠はいつものように、社にて長閑に時を過ごしていた。村人達からの供物を齧り、渡る風が木々を揺らす音を聞き、花の香りに癒されて。

 だがその平穏は、轟音と共に終わりを告げた。突如社が大きく揺れ、直感する。何者かの襲撃があったのだと。

 慌てて外に飛び出した翠は、鳥居の一部が焼け落ちているのを見た。そしてその下手人は、陰陽師を名乗る集団であった。遠方からやって来たというそいつらは、翠に向かってこう言った。

「姿を見せたな、龍神め! お前は人を苦しめる、葬られるべき邪神である! それを成敗するのが我らの使命、覚悟せよ!」

「……なにぃ?」

 住処に奇襲を掛けられた上、このご挨拶な態度。当然翠は腹を立てた。が、すぐ様そいつらを一掃しなかったのは、言って聞かせたい反論があったからだ。

「待て、待て……貴様らは今、この俺を邪神だと言ったのか? それは随分と人聞きが悪いな」

 神の世界において、“邪神”呼ばわりは最大級の侮辱である。故に捨て置く事ができなかった。翠は怪し気な雰囲気を纏うその連中に向かって言ってやる。

「良いか、邪神というのはな、一方的に人間を攫い食らう者の事だ。俺が何時いつ、そんな所業に手を染めた? これまで御供となった者らは、皆進んで俺のものとなった。そこに喜びを見出していたのだ。……だというのに、口を出される謂れはないが?」

 翠は堂々言い返すが、しかし陰陽師達は一切聞く耳を持たなかった。

「は、何が喜びだ。御供を取る時点で邪神だと言うのだ! 人を食らい、恐怖を与え、思い通りにならなければ川を氾濫させ村を流す……我々はそんな所業を許しはしない!」

 そう告げると、彼らはすらりと刀を抜いた。ただの刀ではない。何やら怪し気な術の掛かったものだ。随分と性急で勝手な流れ。もう少し言葉による相互理解を試みても良いだろうに……しかし翠は、これに乗ってやる事にした。

 何しろ相手は、正義感に取り憑かれた連中である。そういう奴らには何を言っても無駄なのだ。いくら翠が、御供達が自分に惚れ抜いていたのだと語ろうと、それに川の氾濫も、今や自分の所為ではないと訴えようと、きっと聞き入れはしないだろう。ならば武力で蹴散らすより他にない――と、尤もらしい事を言ってみても、結局はただ相手の無礼に堪えられなかっただけなのだが。

 ともかく両者の間には、激しい火花が散る事となった。力と力がぶつかり合って弾け飛び、激しい轟音が辺りに響く。互いが受け流した攻撃により、周囲の木々が粉々になる。

 と、相手は所詮人間だと舐め切っていた翠であったが、意外にもこの戦い、一筋縄ではいかなかった。一人一人を相手にすれば力の差は歴然なのだが、相手は妙に連携がうまかったのだ。

 彼らは翠を取り囲むように陣形を取ると、誰かが剣から発した術に、別の誰かが術をぶつけて軌道を変えた。その速さに合わせて防御体勢を撮り続けるのはなかなかに難儀で、少しでも動きが遅れればその瞬間、容赦なく攻撃されてしまう。

 お陰で翠はこの戦いに思いの外苦戦した。最後には全員打ち負かし、神に牙を向けた報いだと漏れなく葬ってやったのだが、その頃にはまともに立っていられない程傷を負い、力も使い切っていたのである。

 そして悪い事に、戦いの内に翠は、社から随分と離れてしまった。此処は社より幾らか麓に近い木立の中……余りに力を消耗した今、ここから社へと移動するのは難しかった。どうやら力が回復するまで、野ざらしのこの地で蹲っているしかないらしい。その惨めさに気分を酷く滅入らせつつ、しかしどうする事もできない為、ただ空を見上げていた翠なのだが――……

 不意に、傍らの茂みがガサリと揺れた。緩慢な動作で視線をやれば、一人の少年がひょこりと顔を覗かせていた。

 身に纏うのは純白の狩衣。緩く結われた髪は艶やか。穢れを知らぬという言葉をそのまま体現したようなその少年こそ、当時十五歳の千歳である。

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