第10話

「今、村に起きる水害は俺によるものじゃない。単純に自然の力によるものだ。水守村はただでさえ川に挟まれた危険な土地……そこに季節がらの長雨が降れば、川が氾濫するのは当然だろう」

「なに……? それじゃ今降り続いているこの雨は」

「俺が降らせているものじゃない。ただ、そういう天候というだけだ」

「そんな……っ」

 千歳は怒りも飛ぶ程に唖然として、何度も瞬きを繰り返した。

 水守村では、川の氾濫は龍神の不興を買ったが為に起きるものだと、それを鎮める為に神子を御供に捧げるのだと、長年伝えられてきた。だがいつの間にか、その前提が大きく変わっていたなんて……混乱し、頭の整理に苦労しつつも、千歳はなんとか状況を理解しようと試みる。

「えぇとそれじゃぁ……そんな危険な条件下にある水守村に、一昨年まで水害が起きなかったのは……」

「俺が氾濫を抑えてやっていたからだ。神とは人間の信仰によって位を得る。それなのに人間がいなくなっては困るからな。だが雨を止ませ氾濫を抑え込むには、強大な力が要る。だからこそ御供を取り、力を蓄えていたというわけだ。そして二年前、御供から得た力が尽き掛けた。故に新しい御供を求めたわけだが――……」

 そこで龍神は千歳を見やると、これ見よがしに溜息を吐き出した。

「よりによって、こんな奴がやって来るとは……」

「って、あのなぁ!」

 千歳も堪らずに言い返す。

「なんでそこまで俺の事毛嫌いすんだよ! つぅか今の話、お前にとっても村は守るべきものって事だろ⁉ で、その為には御供から力を得る必要がある……なら選り好みしてる場合じゃねぇだろうが! さっさと俺を御供として認めろって!」

「いやだ」

「なんで⁉」

「なんでもだ」

「~~っ、あーもう!」

 千歳は埒が明かないと地団駄を踏んだ。最初こそ龍神に興味を持ってもらう為に敢えて生意気な振る舞いをしていたが、今や龍神の頑なさに腹立って、自然と態度が荒くなる。そして、もうこうなったらと龍神を睨み据え。

「とにかく俺は、此処に居座らせてもらう! そんでお前の世話をする! これでも神子としての資質は相当に高いと言われていたんだ、俺が作る飯を食えばお前の力も蓄えられるはずなんだよ! 悪いがこっちも形振り構っていられねぇんだ、意地でも俺の飯食ってもらうぞ!」

 千歳は大声でそう宣言する――と。

 不意に部屋の空気がざわついた。壁際にずらりと並んだ蝋燭の灯りが、怪し気に揺らめき出す。その不穏な気配の原因は、言わずもがな龍神だ。

「そうか、どうあっても出て行かないつもりなんだな――……」

 唸るように吐き出すと、長い髪が生き物のようにうねり出した。翡翠の瞳が、燃えるような赤へと変わる。その余りの不穏さに、

――あ。しまった、怒らせた……!

 千歳はそう悟ったが、まぁ当然の事だった。龍神の興味を引く為とは言え、千歳はのっけから不敬な態度を取り続けた。更には勝手に此処に居座るとまで宣言した。そりゃぁそろそろ怒らせても仕方がない。

「全く、人間風情にこんなにもコケにされるとは……いい加減に堪忍袋の緒が切れたぞ。二度とこの社を訪れる事のできぬよう、地の果てまで吹き飛ばしてやる!」

 龍神がそう言うや、部屋の奥から強烈な風が吹き付けた。ゴウゴウという音は毎秒毎に大きくなり、目を開けていられなくなる。

 千歳は咄嗟に身を低くした。このままでは本当に吹き飛ばされる、なんとか此処に留まらねばと、畳の上に這いつくばる。

 だが、頭の何処かでは無駄な足掻きだと感じていた。龍神が本気で怒ったのなら、抵抗できるはずがない。

――ああ、ここまでか……!

 平蔵を守りたかったのに。

 村を守りたかったのに。

 結局自分は神子として何もできず、地の果てまで吹き飛ばされて終わるのか……!

 思いつつ千歳はぎゅっと目を瞑り、その瞬間に備えたのだが――……しかし。

 いつまで待っても、“その瞬間”と呼ぶべきものは訪れなかった。むしろ強く吹いていた風は、次第に勢いを失っていくような。そしてついにはそよ風のように、千歳の髪を緩く揺らすだけとなり――やがて部屋は、拍子抜けするような静寂に包まれる。

――なんだ、何が起きたんだ……?

 恐る恐る目を開き、顔を上げる。と、千歳はギョッとした。先程まで威風堂々だった龍神が、畳の上に弱弱しくへたり込んでいるのである。

「……っ、くそっ、力が……こんなにも弱まっているなんて……っ」

 龍神は息を切らしてそう吐き出す。これに千歳は瞬きを繰り返した。――そして、一つの仮説を導き出す。今の発言内容と、そして千歳が吹き飛ばされなかったという事実から察するに。

「要するにお前って……神気こそ強いけど、神力はない……?」

 ここで言う“神気”とは、その者の霊的な格を表すもの。謂わば器だ。

 対して“神力”とは、実際にその者が振るう事のできる力を指す。

「つまり今のお前には、もう俺を追い出すだけの力も残ってない……? 器はデカいけどすっからかんって事だよな……?」

 そう指摘してやると、龍神は鋭い目でキッとこちらを睨んできた。それに千歳は怯むどころか、口元に大きな弧を描く。だってそんなにも怒りに満ちた視線……図星を突かれたからに他ならない。

「そうか……そうかそうか! なぁんだお前、俺を追い出せないんじゃねぇか!」

「いや何を……そんな事はっ」

「強がらなくていいっての、今のでもう十分わかった……力尽くでどうこうできないならこっちのモンだ! 俺はさっき言った通り、この社に留まってお前の世話を焼かせてもらう!」

「馬鹿な、何を勝手に……そんな事許すと思うのか!」

 と、龍神は威嚇するように牙を剥くが。

 しかしここで、千歳に味方するものがあった。

 突如部屋の形がぐんにゃりと歪み、かと思うと次の瞬間、室内の様子が一変したのだ。蝋燭以外に何もない、ただ何処までも続いていく怪しいばかりだった座敷が、あっという間に四方を襖で仕切られた、よくある普通の八畳間になる。部屋の中心には一つの膳が忽然と現れ、その上に千歳の持って来た食材達が乗せられている。

「っ、この――クソ社め、裏切りおって!」

 龍神が天上に向けて吠え立てる。その様子を見るにこの部屋は――実に面妖な事ではあるが――社自体の意思によって自在に変容するらしい。

 そして、神気の強い千歳には、なんとなく理解ができた。この社は、千歳の事を受け入れたのだと。きっと社は主人が弱っているのを見兼ねており、御供をずっと求めていた。そして社は主人と違って選り好みをしない為、早々に千歳の事を認めてしまったというわけだ。

 この後押しに、千歳はぐんと強気になった。そして跳ねるように立ち上がると、未だへたり込んだままの龍神を見下ろし言ってやる。

「まぁ、そういうわけだ。これから俺はこの社で、御供としてやらせてもらう。よろしく頼むな、龍神様!」

 そして強気に笑ってやると、龍神はこれ以上はないだろう忌々しさを込めた舌打ちを寄越してきた。

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