第9話

「神の社に無断で踏み込んでこようとは……身の程知らずも此処までくると天晴だな。その上土足で……いや、身体中泥に塗れているではないか。社を汚し、俺を軽んじ……一体どういう了見だ?」

 そう問うてくる龍神には、やはり圧倒的な神気があった。千歳も神気は強いのだが、本物の神は比べ物にならない。彼の前では自分なんて、吹けば飛ぶような存在なのだとまざまざと突き付けられる――……が。

 此処で怖じ気付く訳にはいかないと、千歳は己を奮い立たせた。なんにせよこうして龍神を呼び出す事には成功したのだ。ならば恐れず、交渉せねば。

 と、いざ口を開く前に考える。まずは数々の無礼を詫びるべきか? 這い蹲って頭を垂れ、今のは全て貴方様と話をしたいが為の事でしたと許しを請うべきだろうかと……が、答えは否だ。此処で今更遜った態度を取ったところで、龍神はきっと許してはくれない。追い出されるか殺されるかのどちらかだ。

 ならば、何か工夫をしなければ。この龍神に、殺すのは少し待とうと思わせるくらいに、自分への興味を抱かせなければ……千歳はそう考えると、こちらもまた腕を組み、龍神の顔を真正面から見詰め返す。

「どういう了見も何もない、さっき言った通りだ。お前には何がなんでも、俺を御供として受け入れてもらわないと困るんだよ!」

「なんだと? 何故なにゆえにそんな事を……それに、さっき、とはなんの事だ」

「は?――もしかして聞いてなかったのか⁉」

 千歳はあんぐりと口を開けた。社の前で色々と叫んだが、あれは無視されていたんじゃなく、そもそも届いていなかったという事らしい。

 そう言えば龍神は、過去にその姿を見た時よりも幾分髪が乱れているし、目も開き切っていない。着物にも乱れが見て取れる……どうやら彼は昼寝の最中であったらしい。

 村に止まぬ雨を降らせ、村人達を追い詰めておきながら、自分は暢気に昼寝とは……そう考えるとふつふつと怒りが湧いて来る。が、神に憤っても仕方がない。千歳は自らを落ち着けて、今一度、龍神に向けて言ってやる。

「要するにだ。お前は御供を取れなかった事で怒ってんだろ? だから雨季にはまだ早いのに、止まない雨を降らせてる……けど、新しい神子はまだ見付かりそうにねぇんだよ。だから改めて俺が御供になって、その怒りを鎮めようって、そういう話だ!」

「なにぃ……?」

 龍神は大きく顔を顰めた。……が、少なくとも、すぐに千歳を攻撃するような素振りはない。きっと人間からこうも生意気な態度を取られたり、対等のような顔で交渉されるのは初めてなのだろう、どう対処したものか迷っている。その分なんとか、話ができる。とりあえず作戦は成功だ。

――と、そこで。千歳の顔を険しい顔で睨み付けていた龍神が、ハッとしたように目を見開いた。

「うん? 貴様もしや……二年前のあの神子か?」

「なんだ、今気付いたのか⁉ ……あぁそうだよ、お前に返品されたあの神子だ」

 千歳はむっすりと言ってやる。すると龍神はまじまじと千歳を見詰め、「随分と変わったな……」と呟いた。いや、誰の所為だと思っているのだ。元はと言えば、龍神が選り好みなんかする所為で、自分はここまで落ちぶれたのに。

「まぁともかく、そういうわけだ。新しい神子はまだ居ない……だから繋ぎ扱いでもなんでもいい、俺を御供として受け入れろ! 確かに俺は変わったが、神子の資質は薄れちゃいない。今でも痣はくっきりと残ってんだ。だから御供として不足は――」

「いらん」

 龍神はいつかと同様、きっぱりとそう言い切った。

「二年前にも言ったはずだ、お前の事はいらんとな。お前では御供の務めは果たせない。わかったらさっさと出て――」

「出てかねぇ」

 千歳もまたきっぱりと言い返す。と、流石にこれには苛ついたのか、龍神からの威圧感がぐわっと高まり、呼吸をするのも苦しくなる……が、此処で引くくらいなら最初からこんな馬鹿な賭けなんてしていない。苦しさも恐怖も捻じ伏せて、千歳は堂々言ってやる。

「俺は絶対出て行かねぇ。どうしても御供にしてもらわなきゃ困るんだ。そうでないと、村が……俺の大事な人が死んじまう!」

「は、知った事か。いらんものはいらんのだ。もし村を救いたいなら、他の神子を御供として差し出すしか――」

「それができねぇって言ってんだろ、今の村には俺以外の神子がいねぇんだから! だから村の外で神子を探し回っちゃいるが、なかなか見付からねぇんだって!」

「それはお前達がぼんやりしていた所為だろう。猶予は四年もあったというのに」

「四年……? 何言ってる、たったの二年しかなかっただろ!」

 龍神程永く生きていると、一年一年の感覚が鈍るのだろうか。そう思いつつ言い返すと、龍神は不可解そうに顔を顰めた。眉根を寄せ、「二年だと……?」と腑に落ちないといった様子で呟いている。が、それからゴホンと咳払いをし。

「まぁなんにせよ……俺にお前を御供とするつもりは毛頭ない。というかそもそも、お前は如何して此処に居る? 社には招かれざる客を拒むまじないを施してあったはずだ。どうやってそれを越えてきた?」

「呪? ……って、鳥居のところにあったやつか?」

 千歳はそう思い至る。確かに鳥居を潜る時、目に見えない薄膜に押し返されるような感覚があったが。

「押せば通れる程度のモンだったから、そのまま入ってきちまったよ」

「なに、押せば通れるだと⁉ そんな馬鹿な……!」

 龍神は大いに驚き素っ頓狂な声を上げたが、それから脱力するように長い溜息を吐き出した。

「成程……やはりお前は厄介者だという事だな。あらゆる意味で都合が悪い……」

「? なんの話だよ」

 先程からちょいちょいと、龍神の言葉にはよくわからぬ点がある。二年前の事を四年前だと言ってみたり、深く関わった事もないのに千歳の事を疫病神のように認定したり……だが神との会話とはこんなものなのかもしれない。人同士でない以上、うまく噛み合わないのが普通なのかも。というかこの際、細かい事はどうでもいい。

「もうなんでもいいから、俺を御供として受け入れろ! 一体何が気に入らないのか知らねぇけど、試しもしないで返品なんてこっちも納得できねぇぞ!」

 千歳は再度そう迫るが、龍神は実に頑なだった。

「何度言っても無駄な事だ。お前だけは絶対に認められん……というかそもそもお前は良いのか? 男なのに御供だなんて……それが一体何をするのか、知らないわけではないのだろう?」

「は、当たり前だろ!」

 千歳は何を今更と言わんばかりに胸を張った。

「その為の修行だって十分過ぎる程積んできたんだ。それに今も、なんの準備もなく乗り込んできたわけじゃない。御供の務めを果たす為、ちゃんと色々持ってきたんだ!」

「色々……ってお前何を」

 そこで龍神は何故か若干慌てたようだが、千歳は構わず、住処から持ってきた袋の中身を掴み出した。そして龍神の眼前に突き付ける──と、龍神はそれを見詰め。

 それからゆっくりと、千歳の顔へと視線を移して問い掛ける。

「……これは?」

「なんだ、見てわからないのか。これは、干物だ!」

 千歳は堂々言ってやった。

「これの他にも色々あるぞ、山で取れた果物とか、村の畑からもらってきた野菜とか……あ、ここって厨はあるのか? できればちゃんと調理して出したいんだが――」

「そんな事は聞いていない」

 龍神は千歳の言葉を遮った。

「俺が聞きたいのは、何故お前が、俺に飯を施そうとしているかだ」

「何故って……何言ってんだよ。御供って、神のお世話をするモンなんだろ?」

「……は?」

 その時龍神は、頭上に多くの疑問符を浮かべていた。だが千歳はそれに気付かず言葉を続ける。

「世話ってつまり、側仕えの事だよな。側仕えの仕事と言えば、まずは何より飯の支度だ。だから食えそうなものを持って来た。それが御供の務めだろうから……ああ、その他にも話し相手になったりとか、落ち込んだ時に慰めたりとかするんだよな。俺はそう習ったぞ」

 自身満々にそう告げる。と、龍神は何故か深い溜め息を吐き出して。

「成程……清廉過ぎるというのも困りものだな。まさか『世話』だの『相手』だの『慰め』だのという言葉の意味をそのままに受け取るとは……」

「は? なんだって?」

 ぼそぼそという言葉が聞き取れずに千歳は問うが、龍神はそれには答えなかった。青味がかった白髪をさらりと揺らして頭を振ると。

「あーとにかくお前、もう出て行け。馬鹿馬鹿しくて細かい事を指摘する気も起きないが……なんにせよ、俺はお前を御供とする気は更々ない」

「っ、なんでだよ⁉ 少しくらい試してみたって――」

「必要ない」

 龍神は冷たく言い捨てた。

 その取り憑く島のない態度に、千歳はグッと拳を握る。その拳が、わなわなと震え出す。悔しくて、腹立たしくて仕方がない。

 だってこちらは、大事な人の生き死にが関わっているのだ。だからこうも必死になって、捨て身の覚悟で懇願を――というにはやはり横柄過ぎたかもしれないが、しかし必死に訴えかけている事だけは事実だ。

 だと言うのに、龍神は全く聞く耳を持とうとしない。理由すら知らせられないまま拒絶される……そんな扱い、憤って当然だ。

 もうその怒りに身を任せ、目の前のスカした龍神を殴ってしまいたいとも思う。だが、そこまでやってしまったら流石にまずい。故に千歳は、暴れ出しそうな拳を苦労して抑え込んだ。そして一度深い呼吸で自らを落ち着けると、改めて龍神を見据えて、口を開く。

「お前が俺を気に入らないのは、よくよくわかった……けど、それじゃ本当に困るんだよ。とにかくお前が怒りを鎮めてくれねぇと、村が流されちまうんだから! 無闇やたらに人を殺して楽しいか? 村人達は健気に供物や祈りを捧げて、お前を祀ってきたじゃないか。少しはその想いを汲んで、自分でも怒りを鎮める努力ってやつを……」

「おい。一方的な決め付けで勝手に説教を始めるな」

 龍神は千歳の言葉を遮り、面白くなさそうにそう言った。

「俺が怒りに駆られ村を襲っていたのなんて、遥か昔の話だぞ。お前の言う通り、今じゃ村の連中から十分に祀られてるしな、怒りなんかは最早ない」

「っ⁉ じゃぁ……じゃぁなんで村を襲う⁉ 一体何が目的で――」

「だからそこが決め付けだと言うんだ」

 龍神は煩わしそうに舌打ちした。

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