第6話
さて、千歳はそうして野生の日々を過ごしていたが、ある日また少し野菜が欲しいと、村へ向かった。
盗みを働くのが罪だとは当然理解しているが、真正面から野菜をくれと言ったところで誰も取り合ってくれないのだから仕方がない。だがただ盗むのも気が引けるので、代わりに山で取った果物なんかを置いて来てはいるのだが……当然ながら、村人達はそれで良しとはしてくれなかった。千歳の姿を見掛けると、彼らは「この盗っ人!」と怒鳴るのだ。
ここ最近ではその怒り方も一段と厳しいが……仕方のない話だった。新しい神子の捜索に難航し、そしてまた雨季が近付いている為に、村人達は皆ピリピリとしているのだ。
なんにせよ毎度怒鳴られるのも面倒な為、千歳はこそこそと人目を盗んで村を行く。木から木へと飛び移ったり、屋根に登り瓦に張り付いて進んだり……全て山で暮らすようになってから身に付けた軽業だ。そうして無事に畑へと辿り着き、野菜と果物の一方的な物々交換を遂行する。
さぁ、それさえ済めば長居は無用。早いところ村を出ようと足を速める千歳なのだが――村外れの、神威側の川岸まで来たところで立ち止まった。
其処にはいつ建てられたのかもわからない、荒れ果てた小屋が一つある。川の氾濫に幾度も晒され、しかしまだ辛うじて建物の体裁を保っているというような、極々小さなボロ小屋だ。
普段はそれを気にする事なんてないのだが、今、足を止めたのは、その小屋から人の気配がした為だ。
──なんだ、誰かいるのか? しかしこんなボロ小屋に、一体なんの用事があって……?
千歳はそう訝しむと、好奇心のまま小屋へと近付く。そして格子の腐り落ちた窓からそっと中を覗き込み──「あっ」と小さく声を上げた。
小屋の中には、平蔵がいたのである。それもこの小屋の中、一人で飯を食っている。
これは、まさか……一つの予感が閃くと、千歳はすぐ様小屋の戸を引き開けた。すると平蔵は、持っていた椀を取り落とし。
「ち、千歳様⁉ どうして此処へ──」
「追われたのか?」
突如の事に仰天する平蔵の声を遮って、千歳は問う。小屋の中を見渡せば案の定、一時何かの作業をするだけだとは思えないような生活道具が運び込まれていた。という事はまず間違いなく、今、平蔵がこの小屋で暮らしているという事だ。
「なぁ平蔵、そうなんだな? お前、村を追われたんだろう。だが、どうして……」
千歳は平蔵と目線を合わせるよう、片膝をついて問い質す。
「そりゃぁ確かに、俺が返品された所為で肩身は狭かったかもしれないが、それでもちゃんと家があるのに……」
「その家が、取られてしまったのですよ」
「なに、取られた……?」
千歳は表情を凍らせる。すると平蔵は困ったような笑顔を作って説明した。
「ほら、昨年の長雨による神威川の氾濫で、家を流された者達がおりますでしょう。その者達は、村の中の空き家に移って暮らしておりましたが……少し前にその中の若い男女が祝言を挙げましてね。互いの家を出て暮らす為に、新たな家が必要となったのです」
「それでお前の家を明け渡したと……? いや、何故そんな必要がある! その夫婦が新しい家を建てれば良いだけの話だろう!」
「ええ、道理の上ではそうなりますが……しかし感情の上ではそうもいかんのです。彼らからしてみれば、自分達が家を失ったのは龍神を鎮められなかった所為……だというのに、神子の従者だった私がのうのうと暮らしているのは許せないと言うのですよ」
「っ、そんな……」
これに千歳は憤った。どうしようもない感情の昂りに、床板にゴンと拳を打ち付ける。
「俺の事ならどう責めてくれてもいい……大事に育てられた癖に、皆の救いとなれなかったのは事実だからな。けど、平蔵まで追い込むなんてどうかしている! だって平蔵は、自らの勤めを立派に果たしてくれていたのに……」
「千歳様はそう仰ってくださいますが、皆はそうは考えてはくれませんよ。皆の不満は解消されぬまま高まり続け、常にその捌け口を探している……その大きなうねりに抗うのは難しい」
「それは、そうかもしれないが……」
しかし、千歳は納得できなかった。何しろこのボロ小屋というのは、川のすぐ傍に建っているのだ。昨年の氾濫には幸運にも耐えたようだが、その際に散々傷んだらしく、ざっと見ただけでも柱のあちこちが腐っている。次にまた氾濫があれば、真っ先に流されるに決まっている。そんな所に平蔵を住まわせるなんて……千歳は表情を厳しくするが、対照的に平蔵は目元に柔らかい弧を描いた。
「千歳様は相変わらずお優しい……私は、皆が千歳様を追い出すのを止められもしなかったのに……」
「それは違う!」
千歳は勢い込んでそう告げた。
「たった今、平蔵自身が言っただろ。皆の不満の大きなうねりに抗うのは難しいって。俺の事を庇おうなんて土台無理があったんだ……それに、それでも平蔵は、俺を家に迎え入れようとしてくれただろう!」
「けれど現状、千歳様は村の外、お一人で暮らしておられます。私にはその状況を変えるだけの術がない……ならばせめてこの機会に、少しでも千歳様と共に苦難を背負いたいのです。そうでなければ、私も私を許せませんので……」
「……っ」
これに千歳は、どうにも言葉に詰まってしまった。平蔵の想いが有難いという気もしたし、同時に酷くやるせない気持ちにもなる。一体何故、こんな事態になったのか。
本来、神子に仕える侍従とは、神子同様に村人から尊ばれるものなのだ。更にはその神子が御供となれば、侍従への尊敬はより一層強くなる。平蔵には、安泰な未来が待っていたはずなのに。
――やはり、俺が悪いのか……?
千歳の中、そんな考えが浮かんでくる。
返品されたのは龍神の好みの問題だと割り切っていたが、そう言って片付けるのは責任逃れに過ぎないのでは。御供の務めを果たせなかった以上、自分はもっと己を責めて然るべきでは――……と、そんな千歳の胸中を察したのか、平蔵は穏やかな声を出した。
「千歳様、そんな顔をなさいますな。私なら心配ありませんから」
「っ、けど……」
「ほら、住めば都と言うでしょう。私はこの小屋も決して嫌いではありません。村の喧噪から離れ静かに過ごす事ができますし、ボロボロなのは補修すれば良いだけです。大丈夫、もし川が氾濫しても流されないよう、強い家に致しますよ。こう見えて屋敷の補修は得意ですからな」
平蔵は胸を張って言い切った。
そこにはかつて保護者であった者の意地と覚悟が見受けられ、千歳はそれ以上、何も言えなくなってしまった。
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