最終話

 俺はかたい床で目を覚ました。


「ん……」


 先ほどまでたたみの上でどんちゃん騒ぎをしていたはずだが、ここはいったいどこなんだろうか。


「おーいここはどこだ」


 俺の声がよく響いた。


 あたりは真っ暗で、一寸いっすん先さえ見えないほど。


「いつの間に夜になっちまったんだ?」


 床はおわんのようにかたむいている。しかも金属かなんかなのかツルツルで、気を抜くと転んでしまいそうだ。


 気をつけながら歩いていると。


 頭が固いものにぶつかった。


 ゴーン。


 除夜のかねの音のような、重い金属音が頭の中にぐわんぐわんと響いた。


「な、なんだ……?」


 闇に目をらしてみると、壁のようなものがある。ノックしてみれば、コンコンと硬質な音が返ってくる。


 壁を上まで追いかければ、闇に溶けこんでどこまで続いているのかわからない。


 と。


 パッと世界が明るくなる。黒かった世界が急に真っ白に染め上げられ、俺の目が悲鳴を上げた。


 目をギュッと閉じていると、カンコンカンと足音が近づいてくる。だが、その音は、俺の頭上からしてきていた。


「目は覚めましたかな」


 その声は、今日ずっと近くで聞いていた声。


 おそるおそる目を開けば、降りそそいでくる人工的な光に照らされた、太郎のじじいのすがたがあった。


 じじいは俺のことを上の足場から見下ろしつつ、手にした湯呑ゆのみで茶をすする。


「どういうことですかこれは」


「いやね。私もこのようなことはしたくはないのだがね」


 このようなこと――その言葉に俺はうすら寒いものを感じずにはいられなかった。


 まるで俺はモルモットで、今から非人道的なことをやらされるみたいじゃないか。


 そう思い、周りを見れば、まさしくペットのように俺は囲われていた。


 それは黒い金属製のお椀のようなものだった。その中心に俺はいる。高さは4、5メートルはあるだろうか。跳躍しても届きそうにはない。


 そこにはなにかが焼けたような跡がある。草が焼けたような香ばしさもあった。


「それはな、釜なのです」


「釜……」


「昼間説明したでしょう。うちの茶は、炒るのが特徴なのだよ。君がいるのはその時使用する釜です」


 言われてみれば、バカでかい釜だ。こんな巨大な釜は一度だって見たことがない。多分、タヌキだって容易に茶を沸かせないだろう大きさだった。


 どうして、俺はそんな場所に入れられてんだ?


「本当はこのようなことはしたくはないのですが、ほかのもんがどうしてもというので……」


「ほかのもんっていうと、ご飯のときにやってきた」


「そうです。村のものは待てないと申しておりまして」


「待てない……なにを待ってるって言うんだ」


「人が来ることですよ。あなたの言うとおりにして、観光客がやってくる未来が待てないそうで」


「おいおいおい。じゃあ、オレのことが信用ならねえってんで、こんなところに閉じ込めやがったのか!」


 俺は釜をぶん殴る。ゴーンと腕にしびれるような痛みが走った。だが、怒りは収まらねえ。


 バカにされるのが、この世のなによりも、大っ嫌いなんだ俺は……!


 頭上のじじいをにらみつけても、返ってくるのは虚勢きょせい前のネコを見るような悲哀に満ちた顔だった。少なくとも、俺のことをわらっているわけではなさそうだった。


「私は、あなたのことをたいそう気に入っていたのですよ。学はありそうだし、なにより今どきの人間にはめずらしくお優しい」


「そんな優しいやつは釜の中のトリだがな」


「なんと言葉を返してよいものか……せめて、極楽浄土ごくらくじょうどへ向かえることを祈ることしかできません」


 太郎じじいが独特のイントネーションで「なむーあみーだぶつ」と繰りかえしはじめた。まるで、目の前に死にゆく人間がいるみたいじゃないか。


 その人間ってのが、俺、みたいじゃないか。


 ようやって話していると、なんだか熱くなってきた。興奮してきた、というのもある。が、それだけじゃない。


 地面から熱波がやってきているような気がするのだ。


 俺はしゃがみ込んで、底に手を触れる。


「あっち!」


「釜ですからな」


「俺を出せ! このままだと焼き殺され――」


 はたと気がついた。


 あのじじいは最初からそのつもりで。


 渾身の力で釜の側面を叩く。熱いとかいたいとか言ってられねえ。


 このままでは、この熱された釜の中でじうじうとみたいに焼かれて死んじまう。


「誰かいねえのかっ!! 俺を助けてくれたやつには金をやる!!!」


 おいっ。聞こえてんだろっ。


 呼びかけても返事はない。


 金属製の釜はどんどんどんどん熱くなっていく。革靴履いてるのに熱かった。ぴょんぴょんと飛び跳ねるが、焼け石に水だった。


 スーツを脱ぎ、汗だくのシャツを下に敷く。それですら足りなくて、俺はズボンも脱いだ。タンクトップとブリーフというあられもない姿。耐えがたい屈辱も、熱された釜の中では、飛びちった汗と同じようにジュッと音を立てて消えていった。


 死にたくない。


 その一心で、俺は全裸にさえなった。


「だ、だれか助けてくれ……! 何でもする、お前らの言うことを聞いてやるから!!!」


 やはり返事はなかった。


 だが、視線を感じる。


 見上げれば、俺のことを見る目が無数にある。


 俺が踊り狂う姿を見て、歓喜にゆがむ目が。


 助けるやつはいない。


 それでも俺は声を張り上げる。


「悪かった! だまそうとしたのは謝る。だから、だれか助けてくれ……!」


 しかし、狂気に歪んだ口からはよだれだけが出ており、俺のことを人と見ているやつはひとりだっていなかった。


 なんてやつらだ。


 こんなことなら、こんな村、こなけりゃよかった。


 悲鳴を上げるオレの足が、もつれからみ、ずっこける。


 焼けるような痛みが走ったのは一瞬で、次の瞬間には視界は真っ白に染まっていた。


 痛みはなく、熱さもない。


 ただ気持ちよさだけがそこにはあり、俺は体を投げ出す。


 ジュッという音とともに、俺の意識は燃え尽きた。

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かまいりびと 藤原くう @erevestakiba

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